フロイド氏の「最後の言葉」とマスク

独週刊誌シュピーゲル6月6日号の表紙(Der Feuerteufel=放火魔)

今、世界を震撼させている出来事は2つある。一つは中国湖北省武漢市から発生した新型コロナウイルスの感染問題だ。もう一つは先月25日に米ミネソタ州のミネアポリス近郊で警察官に窒息死させられたアフリカ系米人、ジョージ・フロイドさん(46)の事件に誘発された人種差別抗議デモだ。

新型コロナは既に世界全土にウイルスをばら撒き、11日現在、750万人以上の感染者、約42万人余りの死者が出ている。新型コロナは中国全土からアジア、欧州に飛来し、米国で猛威を振るい、目下医療体制の脆弱な南米、アフリカ諸国に大打撃を与えてきている。世界的大流行(パンデミック)となった新型コロナ問題は「第2次世界大戦後、人類が直面した最大の挑戦」といわれるほどになった。

一方、フロイドさんが警察官に圧迫され窒息死させられたシーンが放映されると、全世界に人種差別抗議デモが拡大した。米全土で警察官の蛮行に抗議するデモが起き、欧州各地にも波及し、当方が住む音楽の都ウィーンでも4日、約5万人の市民が集まって、人種差別抗議デモが行われたばかりだ。

事件現場を撮影したフイルムを見る限りでは警察官の対処は非常に残忍だ。そのシーンを見た人々が警察官の蛮行に怒りを感じたとしても当然だろう。人種差別抗議デモは今年11月の米大統領選の行方にも大きな影響を与える雲行きとなってきた。

「コロナ禍」と「人種差別抗議デモ」は発生時期で少しずれがあり、その内容は明らかに異なっているが、ドイツの著名な心理学者シュテファン・グルュネヴァルド氏(59)は独週刊誌シュピーゲル電子版(6月11日)とのインタビューの中で、コロナ体験がその後起きた米国発の人種差別抗議デモに影響を与えていると指摘、両出来事に繋がりが見られると述べている。

多くの人々が新型コロナの感染を防ぐために自宅に留まり、外出自粛などをしている時、外では人種差別抗議デモが行われている。グルュネヴァルド氏は、「偶然のことではない。抗議デモには明確な契機と動機があるが、コロナ禍の体験はそれを後押ししている。コロナ危機はいろいろな意味で人々を鋭敏化させているのだ」という。

同氏はまた、「新型コロナ感染問題の第一段階目では、われわれは全て同じ危険に直面している、という集団的連帯感を持った。その点では社会の階級格差はない。ただし、外出規制や経済活動の停止などのロックダウン(都市封鎖)が実施された第2段階目に入ると、その集団的連帯感に亀裂が出てくる。その亀裂はコロナ前に既に存在していたが、それがより鮮明になって表れてきた」という。

例えば、ホームスクーリング(自宅学習)では住宅事情に明らかに相違がある。多くの部屋と庭がある家を持つ国民と、2部屋しかなく、大家族が狭い住居に一日中、留まらなければならない国民がいる。すなわち、階級格差が出てくるわけだ。コロナ禍で職場を失うなど生存の危機に直面する人と、自宅で快適にゆったりと生活を享受する人が出てきたのだ。

新型コロナは不可視の存在であり、抵抗できない。多くの人々は無力感に襲われる。その無力感を長く抱えることはできないから、何とかしてその不安と恐れから逃れるため、目に見える敵、スケープゴートを探そうとする。そこに米国から人種差別抗議デモが飛んできたわけだ。人種差別はどこにでもある問題だ。欧州の人々は直ぐに人種差別の責任者を探し出す。

コロナ禍で蓄積した無力感ははっきりとした可視的敵(強権を行使する警察官)を見つけだすことで、怒りや不満は流れる水路を見つける。ここにコロナ禍と人種差別抗議デモが繋がってくるわけだ。

そして第3段階は現在、通過しているところだ。新型コロナが拡大した当初、社会に連帯感が生まれ、社会でこれまで評価されなかった人々、看護師やスーパーの従業員に対し、毎夕、バルコニーから拍手する人々が出てきた。新しい社会現象だ。政治家も国民も「コロナ前と後ではわれわれの生き方は異なり、ポストコロナには新しい生き方が生まれてくる」と期待する。同時に、昔のような生活には戻れない、といった悲しみが湧いてくる時だ。

グルュネヴァルド氏の解説で興味深い点は、フロイド氏の最後の言葉「息ができない」(I can´t breathe)と新型コロナ対策のためのマスクの着用義務の関連だ。欧州の人々はコロナ感染の防止のために慣れないマスクの着用を義務づけられてきた。マスクを着けると息が苦しくなる。フロイド氏の「息ができない」という叫びに欧州の人々は、自分の体験を通じて、同情する。そして彼らは人種差別に抗議するデモに参加する、というのだ。

独週刊誌シュピーゲル最新号(6月6日号)の社説の見出しは「Ausser Atem」(息ができない)だった。新型コロナに襲われ、そして人種差別抗議デモに直面する欧州の人々は呼吸困難のような状況から抜け出すために懸命にもがいている。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年6月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。