コロナ総括:日本人がコロナ戦争の勝者となる条件

2020年06月14日 06:00

Johnson/flickr

武漢発の新型コロナ問題が起きてからアゴラに100本近い記事を書いたが、それらも組み込んで「日本人がコロナ戦争の勝者となる条件」という本をワニブックスから17日(水)に刊行することになった。いわば、コロナ戦争の中間総括というべきものであり、この『禍を転じて福と為す』ための緊急提言でもある。以下は、その後書きに手を入れたものだ。

新型コロナウイルス騒動は、5月下旬の段階で世界の死者34万人、感染530万人超といわれる。たいへんな数だが、過去に人類を襲ったパンデミックに比べてずば抜けて多いわけではない。

ただ、流行が世界第二の経済大国である中国に始まり、ついで、欧米先進国が中心だったことや、感染力や病状の残酷さで世界を恐怖のどん底に突き落とした。

日本では、1000人ほどの死者のほとんどが超高齢者で、インフルエンザの流行と変わらない水準だ。なぜこの水準で収まったか定説はない。

ただ、アジアで致死率が低いことから、BCGを接種したからでないかという説明もある。とくに旧西ドイツより旧東ドイツのほうが少ないので説得力がある。

日本では中国発の感染が広く浅く拡がって欧州発の凶暴なウイルスが来たときには免疫ができていたという説もそれなりの説得力があるが、ひとつの仮説だ。

旅行の制限、ソーシャル・ディスタンス(社会的距離)の確保がどこまで意味があったかも評価は定まらない。集団免疫を獲得すれば自ずから収まるからとくに厳しい対策はいらないという政策に徹したスウェーデンでは、やや高齢者の死者数は多いが、ほかのヨーロッパ諸国と死亡率はたいして変わらない。

 PCR検査は、検査の拡充が思うように進まなかったのは反省点だが、それが流行の拡大につながったかは別だ。精神衛生上の問題の域を出ないともいえ、その気やすめのために国民全員を何兆円もかけて検査しろというのは愚劣だ。

韓国が欧州発の第二波を日本よりも防げたのは、欧米からの出入国が制限されていたことと、厳しい国民監視システムで帰国者などの感染ルートの把握や自宅待機などが徹底できたお陰だ。台湾や韓国では、マイナンバーカードの効率的な運用が徹底している。

写真AC:編集部

日本はヨーロッパに比べても制度が機能していないので、私は、長年、せめてヨーロッパ並をと訴え続けてきたが、国民が台湾や韓国のように効率的に感染防止を望むなら、台湾や韓国の厳しい制度をそのまま丸ごと採り入れるようにするのも選択肢であろう。

一方、「自粛」やそれに伴う「補償」などは、コスト・パフォーマンスがあまりにも軽視されて人々の生活や日本経済に深い傷跡を残すだろう。厳しい自粛措置については、結果から見れば、もっと緩やかで良かったかもしれないが、3月に欧米からの波が押し寄せたときには、とりあえず、防御態勢をとるのが常識的だったと思う。

しかし、もう少し、国民や企業の負担とも、財政との関係においてもコスト・パフォーマンスがよい方法を選ぶ観点が必要だったと思う。現実には、無駄に自粛させて、無駄なバラマキをやりすぎた。とくに飲食業で営業の態様でなく営業時間でしぼりをかけたのは、馬鹿げており、そのことが、「補償要求」を呼び起こした。

緊急事態宣言で休業中の飲食店舗(東京・六本木ヒルズ、編集部撮影)

そもそも、安倍首相も「国民の皆さんにご迷惑をかけますが」などといっていたのは間違いだったと思う。なにも政府が国民に迷惑をかけるのでなく、国民がみずからを守るために、指針を示しただけなのに政府が謝ったりするから誤解が生じた。

また、経済的損失を被っていない人にまで支出をしたのも、国民の甘えを増長させたと思う。収入が減ってるわけでも、支出がふえているわけでもない人にお金を政府から渡す理由がない。ただ、暗い気持ちを明るくする効果はあったかもしれない。

無駄なバラマキの背景には、MMT理論の流行がある。そもそもマクロ経済政策は景気循環を上手に制御する意味はあるが、長期的な経済成長はもたらさない。

日本は1970年代前半にヨーロッパ並の社会福祉制度を確立したが、将来の経済成長を期待して財源対策を怠った。ところが、オイルショックで高度経済成長が終わったので1980年に大平内閣が一般消費税の導入を図ったが失敗した。その結果、社会福祉国家でありながら税金は安いということになった。

 その後は、行政改革したら財源が十分に出るといったり、二束三文でもいいから公有地を売る、国営企業を民営化するとか一時しのぎに走ったり、あるいは、世界中から突飛なマクロ経済理論を見つけては財政均衡から逃げてきた。

公共投資にしても、マクロ経済理論では投資の額だけ問題にして質を問わないから、無駄な投資を繰り返した。

私はもともと比較的、積極財政論だが、世界の常識の範囲でのことである。マクロ経済理論はいってみれば財テク論であって、当たるかどうかリスクがあるので、いくら正しいと力説されても過度に特定の理論に賭けるべきではないのである。

しかし、それ以上に大事だと思うのは、経済成長の源泉は新しい技術の開発だとか、楽しみの創出とか、付加価値を生むようなインフラ整備、効率の良いマネージメントや営業、そしてそういうものを生み出す人材の育成だということだ(少子化対策もマクロでもミクロでもないが、最良の経済成長策であることはいうまでもない)。

そうしたことを広い意味で産業競争力の強化と言い換えても良いかと思う。具体的に私がここ半世紀近く提案してきたのは、たとえば、IT化や国際化という動きに合致した人材を養成するための教育改革、優れた景観とかグルメとかも含む文化の創造、新都市の建設なども含む効率的なインフラの建設である。

そのなかでも最後の部分については、首都機能移転論を唱えて、村田敬二郎先生などの尽力で「国会等の移転に関する法律」の立法化にまでこぎ着けたのだが、守旧派の抵抗でお蔵入りみたいになっている。

そのころの仲間だった故・堺屋太一さんは、首都機能移転が頓挫したのち、つなぎという気持ちもあって「大阪都構想」を推進されていたのだが、晩年もお会いすると、「首都移転いつかまたやろうな」とおっしゃっていたものである。

また、首都移転に限らず、日本の主要都市はだいたい関ケ原の戦い前後に建設された城下町がベースなので老朽化しており、パッチワークで再開発するより、新都市建設をすることに非常な合理性があるのだ。あるいは、とくに庁舎だとか学校だとか公共建築は、政治家が短期的な費用を気にして耐震工事をして間に合わせたりしてるが、新築した方がITへの対応やエネルギー効率からいって効率的なはずだ。

教育についても、入試改革で会話など「四技能重視」にしようということすら守旧派の教育関係者に潰される始末だし、IT対応が韓国などに比べてすらひどい遅れようなのは、今回、露呈してしまった。

ここ数十年も優秀な理系学生が医学部に集中しすぎるのも困ったもので、ITなど本当に日本が必要としている分野では人材不足になってしまうし、本当に医学に情熱があるわけでもない学生ばかり集めてるからコロナ対策も間が抜けたものになった。

美しい景観とか美味しい食事など文化力が経済を潤すことは、コロナ騒ぎ以前のインバウンド需要の高まりを見ても分かる。インバウンドはもういいとかいってる人もいるが、観光が日本にとって数少ない有望分野であることに変化はない。

私はアベノミクスにおいても、第一の矢の金融とか第二の矢の財政とかいうより、第三の矢の産業競争力の強化が軽視されすぎだと主張してきた。今回のコロナ対策では、第二の財政出動が主役になっているが、単なるバラマキ、衰退部門の延命などに傾斜しすぎで将来の成長の芽を育てようという発想は極めて稀薄なのが心配だ。

前向きの投資なら、いくら借金をしてやったっていいのだが、予想は外れるから、全体としての規模はほどほどにしておかねばならないだけだ。企業だって身の丈に合わない投資をあまりするわけに行かないのと同じだが、無駄な投資は額が少なくともやらない方がいいに決まっている。穴掘って埋めるのでもしないよりましなこともあるが、それは例外である。

また、コロナ再発防止のためと称して、医療関係の投資には甘くなることが心配されるが、むしろ、人的にも経済的にもコストパフォーマンスが良い医療体制を追求してこそ実質的な対策になるはずだ。遠隔医療、医師の独占領域の縮小、民間機関の参入、伝染病の専用検査所・出張検査・ドライブスルー、軽症者のホテル入院、手書きやFAXになっている各種手続きのIT化などいずれも有益な経験であった。

しかし、安倍内閣になってからも、大きな改革をしようとすると、各省庁と関係業界、族議員の猛抵抗にあっている。加計学園問題など、前川喜平元次官を中心に守旧派が岩盤規制を守ることを正義のように言い立てただけだ。

検事総長人事も、検察人事に政府がささやかな選択肢を持つことが不公正という印象操作がされている。具体的な事件については口出ししないが、検事総長など主要人事は政治が決めて民主主義統制を守るという原則を否定するのは許しがたいのである。

Wikipedia

現在の日本の司法は、カルロス・ゴーン事件やリクルート、ホリエモン、村上ファンドのように、これまで犯罪とされてこなかったことまで、検察が法律の解釈変更で犯罪だといって、逮捕して長期拘留し、自白を偏重し、起訴されたらほとんど有罪、無罪になっても長期の拘留で仕事は失ってしまう前近代的なもので国際的批判を受けている。

もし、検事総長人事すら彼らの仲間内で決めるというのでは、永久に司法改革はできない。だから、民主党内閣時代には、仙谷由人氏が検事総長の民間登用を試みている。駐中国大使を財界人の丹羽宇一郎氏にしたのと同じである。そうした経緯を踏まえれば、野党が政府を批判するのは、まことにおかしいのだ。

そして、今回のコロナ対策では、PCR検査の拡充でもアビガンの新薬認可でも、総理の強い意向があっても、専門家グループや厚生労働省も一体となったサボタージュのような動きがあった。もちろん、文部科学省も検察も厚生労働省も、それぞれのシマごとの論理はあるのだが、それを認めては、日本は再生できない。

そうした意味でも、これから、個人、企業、地方、国のいずれもが、未来指向型の質の政策を吟味しつつ積極的に展開することがこの国の将来に必要と肝に銘じるべきなのである。

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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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