河井夫妻逮捕:問われる被買収側の責任

椋木 太一

こんにちは、広島市議会議員(安佐南区、自由民主党)・むくぎ太一(椋木太一)です。

昨年7月の参院選を巡る前法相・河井克行衆院議員(広島3区、自民党を離党)と妻の河井案里参院議員(広島選挙区、同)による公選法違反事件(買収)は、現金の配布先が100人弱という類を見ないものとなっています。

受領側の責任を論じる地元紙

この買収事件は、私の地元である広島市(安佐南区=広島3区)が舞台の一つとなってまいました。新型コロナウイルス感染拡大という「国難」にあり、国民、広島の皆様が政治の力を一番必要としている状況にも関わらず、現職国会議員の逮捕によって機能不全に陥り、政治不信を加速させてしまう事態となっていることをお詫びいたします。

河井夫妻が6月18日に東京地検特捜部に逮捕されて以降、夫妻の供述内容や関係者の証言、新たな証拠物といったニュースが連日報道されています。買収疑惑が浮上しても、夫妻はこれまで何一つ、説明してこなかっただけに、こうした「事実」(本筋)の報道注視し、内容を吟味していきたいと思います。

新聞やテレビ、ネットメディアなど様々な媒体で、この買収事件に関しての論評、解説もなされています。「なぜ現金を配布したか」「事件の背景」「(自民党総裁としての)安倍総理の責任」といったものがテーマとなっていますこうした論評・批評は言論活動そのものですので、それぞれの立場から様々な意見が出ることは望ましいことだと思います。

私自身は現金の受領はおろか、検察当局の聴取すら受けていませんが、買収事件の舞台の一つとなってしまった広島市の議員という立場から述べますと、最も重視しなければならないのは、国民、広島の皆様の立場・視点から、今後の国政、広島県政を考えることだと思っております。

広島県議や広島市議、首長ら100人弱に現金を提供したことが表ざたになったことで、「もらった側はどうなるのか?」というご質問を多数いただいております。買収と被買収は表裏一体の関係性にあるといえますから、こうした疑問が浮かぶのはごく自然なことです。「受領側の大半、立件見送り」(<6月12日付毎日新聞朝刊一面(大阪本社版)>)という報道がある一方、河井夫妻が買収の疑いで逮捕されたことから、より一層、この点に関心が高まるのは不可避だと思います。

刑事訴訟法247条は「公訴は、検察官がこれを行う」と規定し、国家訴追主義、起訴独占主義を表しています。つまり、刑事責任の追及は検察に委ねられているということです(例外は「付審判請求」や「検察審査会制度」)。また、同法248条は「犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる」と規定し、起訴便宜主義を掲げています。つまりは、刑事責任の追及は検察当局の判断に任せるということになります。

ただ、逮捕・起訴されないからといって、「無罪放免」と同義ではありません。道義的、政治的責任は刑事責任とは別物といえるからです。交通事故を事例に挙げます。相手側が亡くなれば、過失運転致死罪といった刑事罰を受ける可能性があります。同時に、免許取消・免許停止などの行政罰を受けるでしょう。また、会社員であれば解雇や減給、自営業者なら廃業・倒産といった社会的制裁を受けることもあります。つまり、刑事責任だけが「責任」ではないということです。

河井夫妻の逮捕を受け、広島県議会広島市議会議長は報道機関の取材に対し、調査や対応を協議することを明らかにしています。今後、様々な形の「責任」が示される可能性があります。また、議会には、国民、市民の皆様の疑問に応える責務があります。

河井夫妻はいずれ起訴され、公判で事実関係等がつまびらかになると思います。国民、広島の皆様、議会や司法の動きなどを総合的に判断していただけたらと思います。