拉致問題:横田滋さん訃報に思う長期化の要因

2005年に初当選させていただいた頃、万景峰号が新潟港に入港するとのことで、反対のシュプレヒコールを行うために新潟港に行ったことがある。

当時、拉致問題が明らかになってもなお、万景峰号は新潟港に来ていたのだった。
その当時、野党の国会議員で参加したのは私だけ。自民党の他の県議で来ていたのは大渕健さんだけだった。

それからほどなく北朝鮮のミサイル発射実験と地下核実験を理由に第一次安倍政権は万景峰号の入港禁止措置を行った。

私は拉致対策特別委員会に所属することが多くあったが、万景峰号の入港禁止措置については国土交通委員会で国会の都度質問を行ってきた。

入港を禁止するのは、特定船舶の入港の禁止に関する特別措置法に基づく閣議決定と国会承認だったからである。

当時から、拉致は国家主権の侵害であり、人権侵害であるから、より強硬な措置は取れないのか、と政府に求めてきた。そして、もっと早く拉致問題は解決に向かうものと思っていた。

横田滋さん死去を報じる地元紙・新潟日報の号外

しかし、無情にも月日は流れ、ついに横田滋さんが逝去された。

これまで様々な機会に拉致問題の現状、経過を勉強させていただいたが、失踪事件が起こった当初に、長きに渡り拉致問題などあり得ない、と放置されてしまったことが、この問題の長期化につながってしまったと確信している。

特定のイデオロギーによって問題をなかったことにされてしまう恐怖。その恐怖と長きに渡って戦い続けた横田さんの心中は察してあまりある。

これまでの横田さんのご労苦に心から敬意を表するとともにご冥福を心からお祈りする。

改めて拉致問題の解決に尽力することを誓う。


編集部より:この記事は、衆議院議員の鷲尾英一郎氏(新潟2区、自由民主党)の公式ブログ 2020年6月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は鷲尾英一郎の日記をご覧ください。