友の命日に呟く

2020年06月27日 11:30

毎年、友人が亡くなった踏切に、友人が亡くなった日に行く。
その時仲間だったやつらが、20年経っても今でも友達だ。

同窓会なんて行ったことはないけど、この慣習は20年欠かしていない。

ということで、去年書いた文章を以下に置いておきたい。いつまでも、共にあるために。

ーーーー

独り言を書く。

20年前、僕は大学に入学した。仲良くなった仲間と、映画サークルを立ち上げた。映画を作る、という響きが胸を躍らせた。

文化祭に短編映画を発表する予定で、泊まりがけで撮影した。下手くそな脚本と素人丸出しの演技だったけど、何かを懸命に作るのは楽しかった。

その日も友人の家で泊まりがけで撮影し、編集しようとしていた。今泉という友人が、映画に使うBGMを(今はもう無い業態だけど)レンタルCD屋に借りに出ていった。

僕らは何十分経っても彼が帰らないことに気づいた。携帯も通じない。

友人の家から出ると、すぐそばの踏切で、電車が止まり、パトカーや救急車や多くの人がガヤガヤと集まっていた。

★☆

結局、今泉の学生証が電車の下から出てきたことを警察官から知らされ、僕らの世界は崩れ去った。

ついさっきまで自分と同じように笑って、怒って、バカな話をしていた友達が、もういない。

胸の中の柔らかいものが、握りつぶされたように痛んだ。

★☆

後で警察が教えてくれた。

踏切には60代の男性が先にいた。酔っ払っていたのか、死のうと思っていたのか。それは分からない。

そこにレンタルCD屋に行こうとした今泉が通りかかった。

電車は近づいていた。おそらくはそれは彼も分かっていただろう。

その状況で、今泉は踏切をくぐった。助けよう、と。

そして間に合わず、2人とも轢かれた。

★☆

何度も自分に問うた。

なぜ、自分がCDを借りに行かなかったのか。そうしたら、彼は死ななくて良かったのではないか。でも自分だったら、自分を犠牲にして踏切をくぐっただろうか。いや、できなかっただろう。なぜ彼はそんなことができたのか。間近に近づく電車のヘッドライトに包まれ、怖かっただろう。怖くてどうしようもなかった時に、なぜ一歩を踏み出せたのか。普通の、本当に普通の学生だった、彼が。

そこに光を見た。人間の中に宿る光を。
見たことも無い赤の他人のために、命をかけられる崇高さが、我々の中にあったなんて。

自分の人生は、そこから変わった。

少なくとも、それまでのようには、生きられなかった。

追いかけたかった。いつか自分が死んでもう一度彼と会った時、俺は君に恥じない人生を歩んだぞ、と伝えたかった。

見ていてくれたかい、と。

★☆

こんな昔話を書くのは、書かなければ、今泉の存在が忘れられるからだ。人は二度死ぬ。一度目は体が無くなった時に。二度目は、人の心からいなくなった時に。

できれば、今泉が誰かの心に生き続けてほしい。

そして自分自身の中で薄れゆく彼の記憶が、書くことで自分の中で消えていかないようにしたくて。

あれから20年も経った。自分の心の中でも、ちょっとずつ消えていってしまう。行かないで、と思うけど。ちょっとずつ。

少しでもあがこうと、毎年彼が消えた踏切に行っている。仲間たちもそこで会う。1年に1回の、同窓会みたいなものだ。

これからも何度でも同じ独り言を繰り返そう。

何度でも。

いつか君に会えるまで。


編集部より:この記事は、認定NPO法人フローレンス代表理事、駒崎弘樹氏のブログ 2020年6月26日の投稿を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は駒崎弘樹BLOGをご覧ください。

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駒崎 弘樹
認定NPO法人フローレンス代表理事

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