「知ること」が生きる力となる為に

現代人は日々、数多くのニュース、情報に取り巻かれた生活環境下で生きている。地球の裏側の情報から、居住している国の動向まで詳細な情報が飛び込んでくる。これを人類の発展、グロバリゼーションと呼ぶのかもしれないが、最近、その確信が揺れ出してきた。

▲バッタの大襲撃を描いたブレーム動物事典挿絵(ウィキぺディアから)

▲バッタの大襲撃を描いたブレーム動物事典挿絵(ウィキぺディアから)

「現代人は昔の人以上に幸福になったか」と聞かれれば、衣食住、医療問題などを考えれば、「現代人は石器時代の人類より幸せだ」と答えることが出来るが、多様な情報が一瞬で手に入る情報時代の現在と「その前」の時代では、ひょっとしたら「その前」の時代のほうが、人はゆったりと、不安も少なく過ごすことができたのではないか、といった少々苦い思いが湧いてくる。

「知ることは力」とイングランドの哲学者フランシス・ベーコンは強調したが、現代人にとって知ることが果たして生きる力となっているだろうか、それとも数多くの不安と新たなやりきれなさを感じる結果となっていないか。このテーマを少し考えてみた。

アフリカからインドにかけ、数千億匹のバッタが大量発生し、貴重な食糧を食い荒らしたが、南米アルゼンチンでもバッタの大群が同国北部を襲い、農作物に被害が出ている。それだけではない。中国東北部では6月に入ってから、イナゴの大群が発生し、農作物の被害が広がっている。東北部は中国の主要食糧生産地である。イナゴの大襲撃と新型コロナの大感染で中国の食糧事情は厳しくなることが予想されている。

バッタの大襲撃のニュースと関連の報道写真を見ると、エジプトで奴隷生活をしていたイスラエル人を解放するために神が行った「十の災い」を思い出してしまう。ナイル河の水が血になり、家畜に疫病が広がり、バッタの大襲撃だ。それらの災いは旧約聖書の「出エジプト記」の世界だけと考えていたが、そうではなかったわけだ。

地球温暖化もあって世界の気候状況は10年前、20年前と比べ、かなり異なってきている。欧州に住む人々も最近、40度の灼熱の夏を経験したばかりだ。洪水が頻繁に起き、世界各地で多くの犠牲者が出ている。旧約聖書のバッタの大襲撃のように、「ノアの大洪水」の再現もあり得ないとは言えなくなってきた。アフリカのボツワナで数百頭のゾウが謎の死を遂げているというニュースが流れてきたばかりだ。

そして今年に入って、中国湖北省武漢市で新型コロナウイルスが発生し、アジア、欧州、南北米大陸にかけ世界的大流行(パンデミック)とり、死者数は50万人を超えてしまった。中国では新型コロナウイルスだけではなく、新たなウイルスが発生してきたという情報すら流れてきている。

最近では、欧州宇宙機関(ESA)が昨年7月16日、プレスブリーフィングで小惑星「2006QV89」が地球に衝突する可能性はなくなったが、衝突する可能性は1対7000だったと発表した。惑星の地球衝突リスクの確率が4桁内ということは非常に危険だったわけだ。2013年2月15日、6年前、直径20メートル、1万6000トンの小惑星が地球の大気圏に突入し、隕石がロシア連邦中南部のチェリャビンスク州で落下、その衝撃波で火災など自然災害が発生した事はまだ記憶に新しい(「地球衝突リスクの高い『小惑星』の話」2019年7月20日参考)。

上記の出来事は日々、ニュースとして世界に発信されている。現代人はそれらの好ましくない、時には不気味な情報を聞きながら、朝食のテーブルに着く。前世紀の朝食風景とはかなり異なっているだろう。前世紀、その食卓には21世紀の現代人が享受している豊富なメニューはなかったが、上記のような不気味な出来事が地球のどこかで発生していたとしても、食卓の話題に上がることはなかった。

例えば、1755年11月1日、ポルトガルの首都リスボンを襲ったリスボン大地震は当時の欧州の知識人に大きな影響を与えた。ヴォルテール、カント、レッシング、ルソーなど、当時の欧州の代表的啓蒙思想家たちはリスボン地震で大きな思想的挑戦を受けた。彼らを悩ましたテーマは、「全欧州の文化、思想はこのカタストロフィーをどのように咀嚼し、解釈できるか」というものだった。例えば、「ヴォルテールはライプニッツの弁神論から解放されていった」といった報告もあった。しかし、同大震災でアジアの知識人が同じようなショックを受けたとは聞かない(「大震災の文化・思想的挑戦」2011年3月24日参考)。

現代人は情報を共有できるようになったが、好ましくない情報とも付き合わなければならなくなってきた。「知ることが生きる力」となることより、不安と未来への不透明感で鬱屈した思いに沈むことが多くなってきた。

21世紀の現代人に石器時代に戻れというのではない。そんなことはできない。知ることで人類は発展し、生活環境を急速に改善してきた歴史がある。現代人の課題は日々流れてくる膨大な情報、知識を如何に「生きる力」に利用するかだ。残念ながら、好ましくない情報が頻繁に流れてくると、現代人はどうしても不安になってしまう。安倍晋三首相は新型コロナ問題で「正しく恐れる」ことの重要さを強調したが、それを実行できる現代人は多くいないだろう。

長い期間を通じて細胞に刻み込まれた好ましくない出来事の記憶が現代人を苦しめだした。神を失った現代人に対し、前ローマ教皇べネディク16世は「価値の相対主義に陥り、虚無主義の虜になっている」と警告を発した。多くの情報と知識に取り巻かれながら、現代人はボディーブロウを受け続けてきたボクサーのように次第に力を失い、最後はリングで倒れてしまう。

「知ることが生きる力」となるためには何が必要だろうか。神は古代イスラエルの第3代王ソロモン(在位紀元前971~紀元前931年)に何が欲しいかと尋ねると、ソロモン王は、金銀財宝ではなく、善悪をわきまえる知恵がほしいと答えたという話は有名だ。

現代のソロモンは、バッタの大襲撃を恐れず、新型コロナの感染に対しても堂々と立ち向かい、地球大接近の小惑星の動向にも平静な心を失わない、強烈な信念を必要としているのではないか。換言すれば、失った神への信仰を取り戻すことではないか。

参考までに、ここでいう「神」とは新旧聖書やコーラン、律法の世界で登場する唯一神を意味するというより、宇宙、森羅万象の背後で宇宙の統合を維持している存在だ。現代人がその存在への畏敬と感謝を取り戻すことが出来れば、必ずや「知ること」が良く生きて行く力となるのではないか。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年7月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。