日本は「スパイ天国」でいいのか

長谷川 良

スパイたちが愛するウィーンの街風景

オーストリアの首都ウィーンには2つの顔がある。一つは「音楽の都」としての表の顔だ。ベートーベン、モーツアルト、シューベルトら大作曲家が生き、数多くの名曲を残した街だ。世界から音楽ファンが毎年集まってくる。ウィーンはもう一つの顔、「裏の顔」を持っている。スパイたちが愛する街だ。冷戦時代にはウィーンを舞台に華やかなスパイ合戦が展開された(「スパイたちが愛するウィーン」2010年7月14日参考)。

もちろん、ウィーンが自ら好んで「スパイの愛する街」となったわけではない。東西冷戦時代からウィーンには旧ソ連と欧米諸国のスパイたちが暗躍してきた。彼らはいろいろな名目で潜伏しながら、歴史の舞台裏で活躍してきた。

ウィーンがスパイに愛される都市となった理由は、①地理的に東西両欧州の中間、中欧に位置。ウィーンはチェコの首都プラハより東欧に近い位置にある、②ウィーンには、国連、石油輸出国機構(OPEC)など30を超える国際機関の本部や事務所がある。③オーストリアは中立国、等が考えられる。

スパイたちは、①自国大使館の1等、2等書記官の外交官として、②ジャーナリスト、③国連職員や国際機関スタッフ、といった名目でウィーンに潜伏する。

音楽の都ウィーンはハウプスブルク王朝時代の風情を残す古都であり、「会議は踊る」ではないが、ワルツのメロデイに乗りながら内々の話、ひそひそ話ができる雰囲気を有する数少ない欧州の都市だ。

しかし、時代は動く。東西の冷戦時代には、ソ連国家保安委員会(KGB)、米中央情報局(CIA)、英国の秘密情報部(MI6)、そしてイスラエル諜報特務庁(モサド)といったスパイたちが活躍していたが、21世紀に入ると、彼らの他にというより、彼らに代わって中国人スパイ(中国国家安全部)がウィーンだけではなく、欧州の主要都市で暗躍してきた。その数と規模では伝統的なKGBやCIAエージェントもタジタジといったところだ。

ドイツの諜報機関、独連邦憲法擁護庁(BfV)のトーマス・ハルデンヴァング長官は、「ベルリンは既にスパイ活動の主要拠点となっている。その規模は冷戦時代と同程度、特定の分野ではそれ以上だ」と証言している。それだけではない。今年6月末に開かれた連邦議会監視委員会で「ほぼ毎月、ベルリンで中国のスパイが拘束されている」といった報告すら聞かれたという。

ドイツ公営放送ARDが先月報じたところによると、ドイツ人老夫妻がドイツ連邦情報局(BND)と中国国家安全部のために情報収集する二重スパイだったことが発覚したばかりだ。

一方、米連邦捜査局(FBI)のクリストファー・レイ長官は7日、シンクタンクのハドソン研究所で演説し、「中国のスパイ活動や米国の技術盗用は横行しており、FBI取り扱う5000件のスパイ事件の半分は中国に関連し、約10時間毎に中国のスパイ活動を確認している」と述べた。

レイ長官によると、中国のスパイたちは目下、新型コロナウイルスを研究する米国の医療機関、製薬会社、学術機関から研究成果を盗み出そうとしているという(海外中国メディア「大紀元」)。

ドイツでは「毎月」、米国では「10時間ごと」の違いこそあれ、中国人スパイが拘束されたり、彼らが絡んだ事件が発生しているわけだ。世界の制覇を目論む中国共産党政権はスパイ活動では既に世界ナンバーワンだ。

Martinez/flickr

パリからの情報によると、中国人スパイと繋がっていた2人の元フランス情報機関「対外治安総局」(DGSE)のエージェントが10日、中国の利益に奉仕していたとしてパリの陪審裁判所で懲役8年間と同12年間の有罪判決を受けている。被告がコンフィデンシャルの情報を北京側に流していたという。

元DGSEメンバーは2017年末、スパイ容疑で逮捕されている。1人は1997年、北京のフランス大使館で情報員として勤務中、通訳担当の中国人女性と関係を持って、フランスの情報を北京側に流した疑いだ。ハニートラップは中国の常套手段だ。

そのほか、ドイツ連邦報道部の職員がエジプトの総合諜報局(GIS)関係者と久しく連携していたという事件が発覚している。また、イランの情報省秘密情報局もウィーンで暗躍していることは良く知られている、といった具合だ。

ところで、世界第3の経済大国であり、主要7カ国首脳会議(G7)メンバーの日本はどうだろうか。

海外の日本大使館には通常、警察の公安から1人は派遣されているが、主にホスト国の情報収集に終始し、工作活動はしない。

深刻な問題は、日本には外国スパイを取り締まる法(スパイ防止法)がないことだ。違法な活動が見つかったとしても、日本側は外国スパイを国外追放するだけで拘束できない。外国人スパイにとって、日本はやりたい放題で、発覚したとしても逮捕される心配のない「スパイ天国」というわけだ。国家機密を盗んだり、流したスパイ罪の最高刑は通常、死刑、終身刑だというのに。

日本は世界の情報戦を生き抜いていくためには早急に「スパイ防止法」を施行すべきだ。ロシア側と北方領土返還交渉をする前に、「スパイ防止法」を施行すれば、ロシア側の対日交渉の姿勢もきっと変わるだろう。無防備の相手と真剣に交渉する国はないのだ。中国や北朝鮮のスパイ活動を取り締まるためにも「スパイ防止法」は不可欠だ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年7月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。