高齢者の影響力が若者の3.4倍という選挙の現実。なぜ娘のキャンパスライフが奪われるのか?

2020年07月18日 06:00

noteを始めたのは、若い人に政治に関心を持ってもらいたいと思ったからです。ことし最初に書いた原稿には、予想外に年配の方から多くの感想を頂きましたが、若者からの反応は依然として薄いままです。

若者に語り掛けることを止めるということは、日本の未来を諦めることを意味します。もちろん諦めるわけにはいきません。『若者に届け』という思いを込めて、再びメッセージを書くことにしました。やや刺激的な内容を含みますが、是非とも若い世代の皆さんに最後まで読んでもらいたいと思います。

キャンパスを学生にオープンにするべき

最近、私が気になっていることから書きます。私の娘は大学生なのですが、全ての授業がオンラインとなり、朝から晩まで家にいる日が続いています。娘には外に出るように言っていますが、本人も含め多くの友達が早々にそれぞれの地元に帰っており、家を出る機会をつかめないようです。

彼女は比較的活発な性格で、部活や学祭の準備にも参加し、大学を超えたディベートサークルに入ったりしているのですが、何しろすべてオンライン。秋からの授業もオンラインになりそうだと聞き、親として暗澹たる気持ちになっています。

キャンパスは刺激と出会いの場所であり、若者はそこで成長していきます。授業はそこそこにして学食で友人と話し込み、時に夜を徹して人生を語り、アルバイトに汗を流し、長期休暇には国内外を旅した。あの時間がなければ私は全く違う人生を歩んいました。私の大学時代と娘のそれとはあまりに違い過ぎます。

この春、学生が政府に支援を求めて声を上げました。私を含め多くの議員がサポートし、彼らの声が実現する形で二次補正予算に学生支援が入りました。若い人たちの声が具体的な成果につながったことを忘れないでもらいたいと思います。

ただ、大学への立ち入りが制限され、図書館などの施設も使えず、対面で授業も受けられないという学生の現状は変わっていません。感染リスクと比較して、若者が家にこもり続ける社会的なリスクは小さくありませんし、仮に丸一年キャンパスを閉鎖したままとなれば大学の存在意義にも関わります。大学で提供されるべきサービスを受けることができていないにもかかわらず、学費だけ通常通り払わされている学生の皆さんは、もっと声を上げていいと思います。

大学はキャンパスを開くべき。開かないのであれば学費を減免すべき。

東京を中心に感染者の数が再び増加しています。大学として感染者を出したくないという気持ちは分かります。しかし、経済も社会も感染予防をしながら動いているのですから、秋以降は大学もキャンパスを開くべきだと私は思います。

大学生の皆さんに忘れてもらいたくないのは、同世代で社会に出て立派に働いしている若者の存在です。我々政治家も全力でサポートしますが、社会から与えられた『かけがえのない時間』を大切に過ごしてもらいたいと思います。

政治家に影響を与える若者の低投票率

私にとって身近な若者とは、付き合いの深い甥や姪を含めた子どもの世代です。みんな真面目に生きているのですが、政治に対する関心が高くありません。聞くと、選挙については若者の中で全く話題にならないとのことです。

そういう若者を政治家はどう見ているのでしょうか。去年行われた『参議選挙の投票率』を20代前半の若者と、投票率の高い70代前半の高齢者で比較してみると、その一端が見えてきます。

20代前半 28%
70代前半 67%

「若者の政治的な影響力は高齢者の半分以下?」

そう思った人がいたとしたら大甘です。というのは、若者の世代は人口そのものが少ないのです。今度は去年行われた『参議選挙の投票者数』を比較してみましょう。

20代前半 168万人
70代前半 575万人

何と高齢者の投票者数は若者の3.4倍。『シルバー民主主義』はこの数字に表れています。

戦後の大物政治家・大野伴睦代議士が残した名言
「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人だ」

私の正直な気持ちを言うならば「若者の声を大事にしたいと思うけれども、選挙で勝つためにはそればっかりは言っていられない」といったところです。

3.4倍という数字が政策に具体的にどう影響しているか、国政の二大テーマである社会保障と安全保障について見ていきたいと思います。

社会保障の世代間格差の深刻さ

税金と医療・年金・介護などの社会保険料の負担は、働き出すと誰もが実感するものです。結論から言うと、現状においては若者が払った税金と社会保障料のかなりの部分は高齢者のために使われています。

鈴木亘学習院大学教授は、各世代の年金・医療・介護に関して生涯に受け取る給付の総額から、生涯に支払う保険料の総額を差し引いた『生涯純受給額』を試算しています。

2000年生まれ(今年20歳) -3240万円
1945年生まれ(今年75歳)  3370万円

その差は何と6610万円!

私はこの中間の世代にあたり、収支は数百万円のマイナスになります。70代は親の世代にあたり、両親の経済的な心配が比較的少ないというメリットがあるため、マイナスであっても一定の納得感があります。若者の世代から見ても祖父母の世代で大切な人たちでしょうが、6610万円という格差はあまりに大きすぎると思います。

高齢者の認識は変わってきた。若者はどうか。

このような格差が生じた背景には、日本の人口構造の大きな変化があります。団塊ジュニア世代にあたる私が生まれた1970年代前半は各地に小学校が新設された時代でした。65歳になると完全に高齢者として扱われ、高齢化率はわずか7%に過ぎませんでした。今、65歳を高齢者扱いすると叱られるかもしれませんが、統計上同じ方法で高齢化率を計算すると25%近くに達しています。そして、私が高齢者になる時にその割合は40%近くに達します。我々は若い世代に負担を掛けず働き続けることを考えなければならない世代です。

日本の社会保障制度は、豊かな(豊かになっていく)若者と貧しい高齢者という構造からスタートしましたが、現代は若い世代、高齢者ともに状況は一変しています。

今年の正月、甥と姪と会いました。二人とも真面目に働いているのですが、初任給は22万から23万円。25年前に就職した私とほとんど変わっていません。私の父の初任給は2万円だったそうですから、一世代で10倍豊かになった時代と比較すると、若い世代が豊かさを実感できないのはよく分かります。

年収300万の若者や子育て世代が、資産を持つ高齢者の社会保障費用を負担するのは無理があります。コロナ禍に隠れてしまっていますが、社会保障制度改革こそがわが国が避けて通れない最大の課題と言っていいでしょう。

実は、最初の選挙に挑戦する際、私は社会保障の世代間格差の深刻さを訴えようと考えていました。ところが、この訴えはほとんど有権者に響かず、「戦争から生きて帰ってきて、戦後大変な思いをしてきた我々に何てことを言うんだ」と随分叱られたものです。あれから20年が経過し、高齢者の認識は大きく変わりました。

今の70代は、孫の教育費をサポートしているという人が少なくありません。家庭内では上の世代から下の世代にお金が流れ、政府内では下の世代から上の世代にお金が流れている状況です。高齢者の中にこのことに気が付いている人たちが増えています。

シルバー民主主義の下で高齢者に負担を求めるには勇気が必要ですが、我々政治家は「皆さんのお子さん、お孫さんのために力を貸してもらいたい」と語りかけるべきです。

高齢者は変わりつつありますが、欠けているパーツが一つあります。政治家が勇気をもって訴えかけをした時に、若者が応えてくれるかどうかです。

忘れてはならない高齢者の中の経済格差

留意しなければならないのは豊かな高齢者ばかりではないということです。高齢者の中にも大きな経済格差が存在します。

例えば、世帯主が75歳以上の世帯の資産を調べてみると、資産総額が1億円以上にある高齢世帯が9%存在する一方で、300万円未満も9%存在します。金融資産だけで見ると、3000万円以上の世帯が18%存在する一方で、150万円未満も17%存在しています。

すでに今国会からその議論はスタートしていますが、社会保障の保険的な機能を考慮し、団塊世代が75歳になる今こそ負担が可能な高齢者の皆さんに理解を求めるべきです。

『人生前半の社会保障』は経済成長にもプラス

皆さんは『人生前半の社会保障』という言葉を聞いたことがあるでしょうか。広井良典千葉大学教授が提唱した表現で、年金・医療・介護などが中心だった社会保障政策を転換し、子育てや、広い意味で言えば教育も含めた若者を対象とした分野を大切にしていこうという考え方です。

これまで社会保障は経済成長の成果を分配するものと捉えられてきましたが、『人生前半の社会保障』は経済政策の柱になりえます。柴田悠京都大学准教授は、各国の福祉政策が経済指標に及ぼした影響を分析し、子育て支援が、女性の労働力化率、労働生産性の上昇を通じて、経済成長率を高めるという分析を行っています。

この分析は実感とも符合します。多くの若者は、所得を貯蓄に回す経済的ゆとりがありません。特に、保育所の充実、奨学金の充実などの現物給付はGDPを直接押し上げ、支援を受ける親や本人の将来の労働生産性を高める効果を持ちます。他の政策と比較して、短期的な政策効果が最も高いのが『人生前半の社会保障』なのです。

長い目で見ても、若者が高い能力を身に着けて社会に出ることは、社会保障制度の持続性と経済の潜在成長力を高めることにもつながります。

目覚め始めた若者たち。世代を超えて冷静な議論する最後のチャンス。

政治家は若者から縁遠い存在と思っている人がいるかも知れませんが、それは違います。私は若者から求められれば、選挙区かどうか関係なくできる限り足を運ぶようにしています。時に次のようなことを言う若者に出会うことがあります。

「我々の世代は年金を受け取れないのだから、廃止にしてほしい」

「受け取れない」というのは正確ではありませんが、世代としては大幅な支払超過になるのは紛れもない事実です。年金には会社負担や税投入もありますし、不慮の事故などで障害を負うリスクなども考えると年金保険料を払わないのは若者にとって賢明な選択ではありません。しかし、現状を放置すると若い世代に公的年金不要論が広がる可能性があります。

ここ数年は就職状況が改善し、若者の社会保障に対する不満は表面化していません。しかし、コロナ禍で就職状況が悪くなると、若者の不満が先鋭化する可能性があります。団塊の世代が元気な今が、世代を超えてこの問題を冷静に議論する最後のチャンスではないかと私は考えています。

わが国が生き残るために若い世代が考えるべきこと

若い世代に真剣に考えてもらいたいもう一つの分野が安全保障政策です。以前書いたように尖閣諸島には中国政府の船が頻繁にやってきています。

尖閣に危機到来。日本が危なくなった時に、アメリカは助けてくれるのか

私には中国に多くの友人がおり、今後とも政治家として日中外交に関わっていきたいと思っています。だからこそ、強大化した中国と向き合っていくのは本当に骨が折れることだと感じています。わが国の領土である尖閣諸島を守り切れるかどうかは、歴史的な分岐点となる可能性があります。中国だけではありません。北朝鮮のミサイルはわが国を射程に捉えており、脅威は現実のものです。拉致はもちろん核の危機も極めて深刻です。

米国の東アジアでの存在感は、徐々にしかし確実に薄れていきます。安全保障政策で議論すべきは『賛成か反対か』ではなく『現実的脅威に具体的に向き合う方法』なのです。

残念ながら国会ではそうした議論はほとんど行われてきませんでした。長く民主党に所属してきた私の中には、強烈な反省と国政を変えたいという思いがあります。

議論が進まなかった背景には、安全保障政策に関する高齢者の考え方が賛否はっきり分かれていることがあります。高齢者世代には先の大戦の記憶と冷戦思考が色濃く残っており、それが政党の安保政策に影響してきました。もちろん先の大戦の教訓は大切ですが、そこにこだわるあまり現実の脅威に対する体制の整備が遅れてきたことは否めません。

わが国の安全保障環境は、すでに現実から遊離した議論を許さない状況になっています。この際、私の危機意識を率直に表現したいと思います。

『わが国の周辺環境を見ると、2050年にわが国が他国の属国にならずに生き残ることは並大抵のことではない』

私は、私の子供たちの世代に自由と民主主義の恩恵と、世界最高レベルの経済的な豊かさを享受し続けてもらいたいと強く思っています。しかし、現状を考えるとそれは簡単なことではありません。常に他国の意向を忖度し自由にものが言えない国、経済的に他国に従属しするような日本には絶対にしたくはありません。

軍事面に特化した話をしてきましたが、最後に指摘したいのは『人間の安全保障』の大切さです。「こんな魅力ある日本とは軍事的な紛争を起こしたくない」と世界中の人に思わせることができれば、その効果は抜群です。世界中に多くの友人をつくることができるのも若い世代の特権です。

2050年問題の当事者は、高齢者でも我々世代でもなく、若い世代の皆さんです。備えは今始めなければ間に合いません。これまでの限界を乗り越え、一日も早く新しい時代の安全保障政策を確立するために、若い世代の政治参加が必要です。

まずは社会に関心を持つことです。そして機会を見つけて政治家に自分の考えや疑問をぶつけて下さい。最後まで読んでいただいた貴方には、投票に行かないという選択肢はないでしょう!


編集部より:この記事は、衆議院議員の細野豪志氏(静岡5区、無所属)のnote 2020年7月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は細野豪志オフィシャルブログをご覧ください。

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細野 豪志
衆議院議員(静岡5区、無所属)、元環境大臣

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