元小学校教師が考える。ツーブロック禁止の学校がオワコンの理由

2020年07月25日 06:00

ぼくは小学校の教員を定年を前に辞めたのは、もう数年前になるけれど、当時の小学校でも金髪にしたり、ピアスをしたり、マニキュアを塗ったりした子どもたちはその当時からいて、よく、「〇〇ちゃん、個性的だねえ」などとからかっていました。

ご存じの方も多いと思いますが、今の小学校、中学校の児童生徒は、ひじょうに多様化していて、日本国籍の人たちだけで構成されているわけでもないですし、地域によっては「外国につながる子供(外国籍の子どもだけでなく、海外に自分自身のルーツがあり、多様な言語、文化、価値観、慣習などの中で育ってきた子どもを指します)」のほうが多数派になっているところもあります。

ぼくも、当初はそういった「服装指導」は正しいと思っていました。けれど「外国につながる子供」たちが、ピアスをしたり、小さなタトゥーをいれていたりするのを見て、それを否定するのはおかしいのではないかと思うようになりました。彼ら彼女らの文化の一部なんだから。じゃぁ、日本人(今どきの言葉でいう純ジャパ)/それ以外で線を引くのか。

かっちゃん/写真AC

そんな中で、ツーブロック禁止や、地毛が茶色い生徒の髪を黒く染めあげさせたりする事案が話題となって、それが「ブラック校則」と命名され、世の中に認知されるようになったことはとてもよいことだと思っています。

どうせ、ぼくの意見など、ソーシャルメディアのタイムラインで流れていくだけですが、これも一つの機会ではあるので、ぼくなりの考えを整理してみようと思います。

学校の教員は、日本社会の中の、とくに狭い社会で暮らしています。だから、日本社会の、地域社会のルールが絶対だと思いがちです。ホモソーシャルと揶揄される日本企業のほうが、はるかに多様化は進んでいます(それでもほんとうの多様化へはほど遠いですが)。

企業経営のキーワードは多様化です。多様化しないと製品開発などしようがない時代だから。

ツーブロック禁止校則の一連の騒動は、現場でやんちゃ盛りの生徒たちの行動が問題なのではなく、「学校という制度が現代という時代に合っていないこと」が、明明白白可視化されただけだということです。

要は、教員から見た管理しやすい/しにくい、というだけのプロダクト・アウト的な発想からの問題提起です。

ぼくなりの考えは以下の通りです。

まず問題なのは、「ツーブロック」やモヒカン刈りなどが高校生としてふさわしくないという根拠や基準は、どのあたりにあるのか。タラちゃん程度の刈り上げはよくって、モヒカン刈りに近いもの、額の両端に剃り込みを入れたり、長髪にしながら一部を剃ったり、という髪型のラインはどこにあるのかということです。

「いわゆる」生徒指導困難校の生徒の一部は「これもツーブロックだ」と声高に主張するだろうけれど、それでいいのだと思います。たんなる見た目なんだから。

はっきり言って、多様化とは言葉は優しいですが、多様化の過程はかなりの摩擦が伴います。それを許容できるかどうかが、そこに住む人たちの器の大きさだと思います。「多様化してもいいけど、郷に入れば郷に従えで行ってもらおう」では通じません。

ぼくが問題だと思うのは、指導する上で莫大な労力を費やさなければならない学校になっている時点で、その学校は、社会と時代のニーズからかけ離れているのです。

ほんとうに必要なカリキュラムなり、プログラムを提供しているならば、見た目の指導に莫大な労力はいらないと思います。

まぽ (S-cait)/写真ACか

もちろん、現行制度で現場の教員たちが疲弊しているというのは、別の問題です。

また、とりあえずは「望ましくない」という扱いにしておいて、常識的な範囲のものはチェックのみで済ませるというのは、まさに役所の発想です。裁量行政で、事後的制裁で、ひじょうに日本的であります。

これだけ多様性が増して、尊重されなくてはならない時代に、こういった対応が許されている時点で、ぼくは目がくらくらしてきてしまいます。

「多様性」を認める。これが日本社会の大きな課題の一つだと思います。それでも日本はホモソーシャル(ようはおじさん中心主義)が気持ちいい!と言っているおじさんの意見を尊重するのもありだとは思います。そして、おじさんたちは「多様性の大切さはわかった。だが、許される多様性と許されない多様性があるのだ」と言うのでしょう。

しかし、そんな社会は停滞させていくだろうし、このままいけば日本社会経済はますます没落して地盤沈下していきます。

コロナ後の学校現場およびビジネス現場は、もっと別な深刻な問題で破綻をきたすでしょう。ツーブロックなど些末な髪型の問題に拘わっている暇など、ほんとうの教育者にはないのです。DXのような改革にむけて、そっちにちゃんと眼を向けてほしいと思います。

ちなみに、学校制度の制度疲労のことを言うと、先生たちは、「文科省ガ-」とか「教委ガ-」とか言うかもしれませんが、先生たちの生活の保障と、子供たちの教育ニーズの保障は、まったく関係のないことです。

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中沢 良平
元教員、ギジュツ系個人事業主

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