一線を越えた「土下座像」

岡本 裕明

京郷新聞より引用

韓国の平昌にある「韓国自生植物園」に慰安婦に対して土下座する像が設置されたことが報じられており、新たな国際問題の火種となりそうです。20万㎡の敷地に500種以上の自生の植物がある観光名所であるこの植物園は私立であり、キム チャンヨル園長が私費で彫刻家のワン グァンヒョン氏に発注し、作ったものでタイトルは「A Heartfelt Apology(永遠の贖罪)」となっています。

Apologyが贖罪と訳されるのは正確ではありません。一般的にHeartfelt apology とは「心からのお詫び」であります。贖罪は英語でAtonementで本来、キリスト教的背景が強く、イエスキリストが十字架にかかり、人類の罪を償ったという意味が主たる背景です。その派生的意味合いとして金品や社会的奉仕をすることによる罪滅ぼしをするものです。北米で悪さをした人に罰として社会奉仕をさせるのと同じようなものでしょう。

さて、この像を作ったキム園長はインタビューに以下のように発言をしています。

「植物園に小さな銅像をひとつ作ったものだが、日本が問題にして出るならばそれは彼らの自由。(私の)考えを表現した作品で、当初から社会的にも政治的にも問題化することを望んでいなかった」(中央日報)

「民間の植物園の広場に個人的な資金で個人の考えを表現したことに干渉するもので、全く気にしない」(朝鮮日報)

「日本の首相でも政治家でも、責任ある人が謝罪する姿をどうしても見たいという思い」(同)

「安倍首相も造形物の男性のように謝罪すれば本当に良いのに、と話したことで誤解を呼び起こしたようだ」(同)

2019年3月付のパンフレットがあり、人を介して翻訳してもらいました。日付からすると本像は割と前からあった可能性が高いと思われます。

「許しは反省の贈り物。それゆえに反省をしない者には許しはない。その代表的なものが日本だ。日本はこの地に若い女性を20万も強制的に引き連れてきた。それでも『客観的な材料を出せ』とむしろ反撃を加えている。性奴隷として蹂躙されたお年寄りは「わたしたちよりもっと確実な証拠なんてどこにもある」と身に染みて感じながらこの世を去っている。この女性像は特別だ。贖罪を知らない日本がこうして頭を深く地につけて私たちが『もう十分だ』というまで贖罪してこそ私たちが許しを与えられることを現象化したものだ。日本統治36年の恥ずかしい歴史は今後、私たちの歴史360年のアイデンティティにならなければならない。私たちの民族性を前に日本が永遠に贖罪しないことは私たちの民族精神をさらに高揚させるよい促進剤になるだろう。」。

まさに10倍返しという恨みであります。

観光地として多くの人が訪れる敷地をプライベートの植物園だから何をしてもよいかといえばそれは違います。園長は「植物園に見どころをひとつ作った」(中央日報)と述べているように明らかに人に見せたいという気持ちをもってこの像を設置しています。

安倍首相をモチーフにしたという直接的表現を避けたものの園長の行動は作為的であり、一線を越えています。一線を超えるとはどういうことか、といえば人間としてやってよい事の許容範囲を超えるということです。表現の自由だから、お金があるから、思想的に許されないからという理由で全ての人が好きなことをすれば世の中がまとまることは絶対にありません。

菅官房長官は「日韓関係に決定的な影響を与える」と述べています。「決定的」というのは極めて強い意味であり、国際的プロトコルからしても許されるものではありません。また、「日韓関係」という意味は園長の勝手な行動が国際間紛争の事象となり、日本は韓国政府に対して極めて厳しい態度をとるという意味でもあります。日本は園長を相手にしているのではないのです。韓国政府がどう対応するのかを見るともいえます。

日韓関係は基本的に何も解決していません。徴用工問題では韓国政府に対して再三の解決策の提示を求めているものの文大統領は何らそれを示していません。現状、8月4日を過ぎると裁判の判決に基づき、差し押さえ資産の現金化が技術的に可能になります。もしもそれを行えば日韓の外交的関係は破綻しかねない状態になります。

私が懸念しているのはコロナで国際間のFace to Faceの会議がほぼできないことにあります。書面のやり取り、オンライン会議、電話会議では表層の事実確認はできてもハードネゴシエーションが出来ません。それはハードに迫ればオンラインのスイッチや電話をパチッと切り、逃げる方法があるからです。多くの人が参加するリアル会議は胃がキリキリ痛むぎりぎりの戦いをすることで案を絞り出し、成果が上がるものなのです。

米中関係が悪化の一途を辿っているのもコミュニケーションレベルが落ちていることがあります。同様に日韓関係も何一つ変わらず、平行線のままこの土下座像のように刺激を与える事象が起きればナショナリズムから保守的な動きが出やすくなり、双方のテンションが必要以上に上がりかねません。

日本は韓国に様々なクレームをし続けることになります。一方、韓国の一部のメディアには関係が悪化しても日本を凌駕できるという短絡的トーンの記事も見られます。表層の争いにかまけ、その勝敗に喜んでいるようではあまりにもレベルが低すぎます。

日本はこのところ、距離を置き、あまり構わないようなスタンスも見受けられますが、世界的にみて侮辱するような行為については声を大にして韓国だけではなく、世界に発信すべきものであります。これは国家と国民の品格の問題です。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年7月29日の記事より転載させていただきました。