モーセの「出エジプト」は失敗だった

長谷川 良

モーセ像、ミケランジェロ作品(ウィキぺディアから)

イスラエル人が最も尊敬する歴史上の人物といえば、古代イスラエル王国の2代目、ダビデ王だ。「ダビデの星」と呼ばれ、ユダヤ民族のシンボルと受け取られている。それではダビデに次いで誰がナンバー2だろうか。多分、モーセだろう。

考古学者の最新の研究によると、ダビデ王が生きていたことを実証する遺物が発見されたが、聖書で記述されているような大王国の王というより、カナンに拠点を置く数多くの小さな地域王国の王の1人に過ぎなかったという。

一方、モーセの場合、彼が本当に生きていたことを実証する遺物はまだ見つかっていない。そのため、モーセはイスラエル人を率いて神が約束したカナンに入る出エジプト物語の主人公であって、実存した人間ではなかったという声さえ聞かれる。

ある考古学者は「60万人のイスラエルの民がエジプトから出て、カナンに移動したとすれば、移動ルートには必ず何らかの足跡を残すはずだが、イスラエル人の移動の跡や遺跡は何も見つかっていない」という。

モーセが実存した人物ではなかった場合、その後のサウル、ダビデ、ソロモンの古代イスラエル王国時代との整合が難しくなる。だから、考古学的にはまだ実証されていないが、実存人物だったと受け取るほうが合理的だろう。モーセの墓は見つかっていないが、イエスの墓の所在だって発見されていないのだ。

モーセは後にキリストとして登場するイエスの歩みを先駆けて生きた人物といわれている。出生時の話からイスラエル人をカナンに率いる路程、試練と死はその後のイエスの誕生、十字架の道に色濃く反映されている。「モーセはイエスの先覚者だった」という解釈が成り立つわけだ。

モーセはナイル川でエジプトの王パロ(ファラオ)の王女に拾われて、王子として成長する。モーセの「出エジプト」の直接の契機は、自分がへブル人の両親から生まれた奴隷の子であったことを知ったこと、自分の民族がエジプトで奴隷となって苦しんでいる姿を目撃し、激怒し、エジプト兵士を殺したことをラムセスが知ったことだ。

モーセは神の命令を受け、イスラエル人をエジプトから解放させるためにパロと交渉するが、パロはモーセの願いを退けた。パロは当時、モーセと王子時代を過ごしたラメセスだ。2人は王子時代、アベルとカインのような関係だった。

当時のパロ(セティ1世)はモーセを跡継ぎにと考えていたが、王は亡くなると、その後を継いだラムセスはへブル人(イスラエルびと)を奴隷から解放して、エジプトから去らせるよう求めるモーセを拒否。神はエジプトに「十災禍」を下す。

頑なパロはエジプトから出ていくことを一旦は認めるが、わが子を失い心を変えた王はへブル人を紅海まで追いかける。神は紅海を分け、イスラエル人に海を渡らせた後、その後を追うエジプトの兵士たちを海に溺れさせる。イスラエルの出エジプトの状況は米映画「十戒」(1956年作、チャールトン・ヘストン主演)の中に劇的に描かれている。

映画「十戒」のハイライト。チャールトン・ヘストン演じたモーセ(Wikipedia)

60万人のイスラエル人を率いてエジプトを出発したが、イスラエルの民は空腹になると、「エジプトの生活のほうが良かった」と不平不満を吐く、神から十戒を得てシナイ山から下りてきたモーセの前にイスラエルの民は金で子牛の像を造り、その前で踊っていた。それを見たモーセは怒り、十戒が記された石板を壊してしまう。最終的には、モーセはカナンを目前にして亡くなり、ヨシュアがその後を継いでカナンに入る。

以上は旧約聖書の「出エジプト記」の話だ。

ところで、最近、新しいモーセの話を聞いた。モーセが出エジプトせず、パロのもとに留まり、エジプト王国を継承できれば、わざわざカナンに入り、従わない民を引率することもなかったというのだ。エジプトを支配し、エジプトを通じて中東全域に神の王国を建設できたはずだというのだ。

もちろん、そのためにはモーセはカインの立場にあったラムセス2世と和解し、一体化しなければならない。ちょうどヤコブが兄エソウと和解することでイスラエルが誕生したようにだ。モーセが神の導きを受けてエジプトの王位を継承すれば、カナンへの途上で、空腹で不平不満を言い出す民に「マナ」(食物)を神に求める必要もなかったし、カナンの異教の神々と戦う必要もなかった、というのだ。

この新しいモーセ説で最も重要な点は、モーセがエジプトに留まり、王朝を継承できれば、その後現れるイエスの歩みは当然変わったということだ。モーセが出エジプトせず、エジプトで神の国を建設できれば、モーセの道を同じように歩んだイエスも十字架で死ぬことはなく、生きてその福音を延べ伝えたかもしれないのだ。そして2000年前ではなく、もっと早い時代にイエスは降臨できたかもしれない、等々のシナリオが浮かび上がってくるわけだ。

歴史では「もし……」はタブーだが、モーセが出エジプトせず、王の立場で国を統治できていたら、世界の歴史は大きく変わっていた、と考えざるを得ないわけだ。

モーセの歩みを考えると、米テレビ番組「タイムレス」(Timeless)を思い出してしまう。タイムマシーンを使って歴史的出来事を変えようとする悪の勢力とそれを防ぐために奮闘する歴史学者たちの戦いを描いた番組だ。ひょっとしたら、モーセにエジプト王国を継承させないため、モーセの出エジプトを画策した者たちがいたのかもしれない。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年8月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。