実現性なき理想主義は、時に対立と分裂を煽る。核なき世界に向けて私たちができること

こんにちは、音喜多駿(参議院議員 / 東京都選出)です。

8月9日、長崎に原爆が落とされてから75年が経ちました。改めて戦火の犠牲になった方々に心からの祈りを捧げます。

https://twitter.com/_satokoto/status/1292283416042328065

東京都北区には、長崎出身の北村氏による「平和祈念像」が北とぴあ(北区を代表するシンボル的な建物)の前に設置されており、「これってなんの像?」と大人に尋ねる子どもたちの姿がときどき散見されます。

子どもたちの未来のため、戦争と核のない社会を目指して邁進していきたいと存じます。

さて、この時期になると「核廃絶」について活発な議論が行われ、それは前向きなことだと思っているのですが、海外の急進的団体(ICAN)による極端な言説に対しては一言物申して置きたいと思います。

核の傘依存、原爆の教訓無視 日本、保有国と「共犯」―ICAN事務局長

「核兵器禁止条約に賛成しない日本は共犯だ」

とまで言い切っている「核兵器廃絶国際キャンペーン」事務局長ですが、さすがにまったく得心できません。

私自身、「核兵器反対」という部分を否定するつもりは毛頭ありません。「核兵器のない社会になって欲しい」ということは、ほとんどの日本人に共通の想いであると思います。

しかし現実問題として、一筋縄ではいかない利害関係を持つ国々が核兵器を所有し、安全保障上の問題とともに「そこにある」わけです。

彼らが推し進めようとしている「核兵器禁止条約」は、核兵器を即座に違法とするラディカルな内容で、核兵器所有国はおろかその同盟国すら軽々に賛同できる内容ではありません。

こうした極端な主張を進めていく問題点は、国際強調どころかむしろ分裂を招いてしまう点にあります。

実際、かねてから河野太郎大臣が指摘しているように、「核兵器禁止条約」には核による安全保障と利害関係のない国々が賛同していることで、いまや「核保有国VS非核保有国」という対立軸に加えて「非核保有国同士の対立」が生まれつつあります。

これは他の政治課題においても多く見られる問題ある手法の一つで、一見すると多くの人が賛成であるテーマをぶち上げて、賛同しない人たちにあたかも非人道主義者であるようなレッテルを貼る。

しかしその内容はよく見てみると、あまりに実現不可能な理想が並んでいたり、イデオロギーに染まりきった内容だったり…ということは、日本の議会に出される請願書や決議案にもよく見られる展開です。

こうした交渉の余地なき「高すぎるボール」を投げてくる人たちは、それが本当に課題解決のために寄与するのかどうか、むしろ分裂と対立を招くのではないか、もう一度再考していただきたいと感じることも多々あります。

話を戻します。

では核のない社会に向けて、何が考えられるのか。残念ながら国同士の利害が絡む以上、禁止条約の批准一つで解決するような魔法はありません。

相互の抑止力を高度に用いながら、現状のNPT(核拡散防止条約)の内容を推進することで核兵器を徐々に減らしていき、ある種の「縮小均衡」が最大化された時点で一斉に核を手放す合意をする。

そのためには、確実に核放棄を確認・監視するためのテクノロジーや信頼関係も必要不可欠なものになるでしょう。

核兵器禁止条約、日本はなぜ反対したのか

無料会員登録が必要な4年前の記事ですが、上記は賛否両論の論客の意見がコンパクトにまとまっていて参考になります。一部抜粋。

オバマ大統領のプラハ演説に影響を与えた、いわゆる「四賢人」の一人で、元国防長官のウィリアム・J・ペリー氏に「『核なき世界』を実現するために重要なことは何か」と尋ねたところ、ペリー氏は「日本がNPTの守護神になることだ」と即答しました。

核兵器を使用したことがある唯一の核保有国であるアメリカが日本にその役割を望むのは都合のいい理屈に聞こえるかもしれませんが、被爆国である日本が「NPTはもう、ダメだ」と言った瞬間にNPT体制が崩壊するのは紛れもない事実です。

非常に高いハードルではありますが、この道を諦めずに同盟国と歩調を合わせながら歩んでいくことが、いまの日本ができること・やるべきことであると思います。

安全保障の問題こそ、国家の根幹に関わる一大テーマです。リアリズムに基づいた安全保障政策に貢献できるよう、引き続き私自身も研鑽を重ねて参ります。

それでは、また明日。


編集部より:この記事は、参議院議員、音喜多駿氏(東京選挙区、日本維新の会)のブログ2020年8月9日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は音喜多駿ブログをご覧ください。