オフィス不要論の衝撃

岡本 裕明

小太郎wan/写真AC(編集部)

日経に三井不動産の菰田正信社長へのインタビュー記事があります。オフィス不要論に対してどう考えるか、についてなのですが、不安感を抱く内容でありました。

「オフィスの需要が減るか、減らないかについて確信を持っているわけではない」「本社に集まる拠点型が残るか分からないが、社員の自宅近くなどにオフィスを分散させる企業は増える」「1つのエリアで完結できればロックダウン(都市封鎖)があっても生活していける」といった具合で財閥系不動産企業や東急といった新興系が生み出した集積型都市開発の方向性について確信が持てなくなっていることがうかがえます。

オフィス供給をする大手不動産開発会社は大手町、八重洲など東京駅周辺から「街の西方移動説」に基づき、新橋汐留、品川と動き、最近、その中間に「高輪ゲートウェイ」が生まれているところです。

品川はリニア新幹線の始発という利便性、羽田空港へのアクセス、更には山手線で東京駅方面と渋谷新宿方面へのアクセスの利便性という圧倒的優位性を持っていますが、土地が足りず、高輪ゲートウェイの再開発につながっていますし、可能かどうかは別として大崎にあるJRの東京総合車両センターが中長期的には再開発がないとは言えないと考えれば開発余地も存分にあるともいえます。

一方、私がもう何十年も不思議に思っていたのはなぜ、これだけ多くの人々がオフィスで仕事をしているのだろう、という非常に単純な疑問です。経営者から見てオフィスは利益を生まないオーバーヘッドと称するコストであります。ですが、そのオフィスの賃料は建物の高性能化と価格上昇のなか、見栄と社員のプライドをくすぐる以外の何物でもありません。名刺を交わしたときの相手の事務所ビルの住所で儲かっているのか判断するぐらいの感じであります。

そして本社やそれに準ずる事務所になぜ、何百人という人が在籍しなくてはいけないのでしょうか?これぞOECDで最低水準の労働生産性とされる元凶の一つだろうと思っています。オフィス勤務者の給与とコストは高いのです。一人当たりのオフィススペース代も高ければ通勤手当も安くない、つまり、人をそこにはめ込むだけで人件費を含め一人年間1000-2000万円の費用がかかるわけです。それに対する社員一人当たりの売り上げや利益はどれだけあるのでしょうか?こう考えると結局稼いでいるのは現場でありオフィス組はそれを食い潰すという構図になるはずです。

コロナが背中を押すオフィスの在り方の変化とは三井不動産の社長が考える世界ではないとみています。つまり、会社経営そのものの効率化、現場と顧客を結びつける接点役はデジタル革命で最小限、かつ自動化と省力化が進み、オフィスは分散しかつオーバーヘッド人員は3割-5割減ぐらいの感じではないかと考えています。

これは何を意味するかと言えば日本の経済と常識観が大きく崩れる可能性を示唆しています。例えば企業は新年度の新卒の一斉採用を見送り、通年採用でかつ特定の能力がある人材を取る傾向が強まる、つまり、即戦力の採用であります。新卒者は小さな会社で実践を経験してから大企業に入社するというパタンが生まれるかもしれません。相撲の世界だって初めから関取になれる力士はおらず、幕下から積み上げているわけです。ならば新卒が右も左もわからないのに大企業に入る意味もないと思いませんか?

人が集積せず、分散型都市計画が進めば、それは関東全域、はたまた地方にまで散らばるかもしれません。商業スペースとは人口集積を引き起こし、売り上げ誘導をしていたわけですが、当然淘汰されるはずです。JRは東京、品川を中心とする路線拡張に多額の投資を行ってきていますが、その投資効率は下がるかもしれません。その代わり衛星都市に明るさが出てくるでしょう。

コロナ禍、デジタル革命、そしてオフィスの在り方という議論ですが、日本経済は全てが連鎖し、ある一定の方程式と枠組みの中で育まれてきた弱点があるのです。これは日本経済と社会構造にひびが入るほどの衝撃を与えかねないのです。丸の内のビルが暗くなる、そんな時が来ないとは言えないほど我々は変革期にあるといえるのかもしれません。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年8月21日の記事より転載させていただきました。