半沢直樹は現代の水戸黄門

岡本 裕明

ドラマ「半沢直樹」が好調のようです。2013年に放映されて7年もの間を開けて再登場というのもすごいと思いますが、時代背景が相当変わった今でもこのこてこてのドラマが大人気になるのはある意味、不思議なのであります。

テレビ好きの方のプロフェッショナルなコメントは私にはできませんが、一視聴者としてみてもよくできているドラマだと思うのです。原作は前回分も今回分も全部読んでいますが、ドラマと本では脚色がかなり違っており、別物だと思わせるほどであります。また、キャストが素晴らしく俳優さんの個性が見事に出ており、「ここまでやる?」と思わせるほどです。

さて、ある意味、時代錯誤感も無きにしも非ずの「半沢直樹」になぜ、はまっていくのでしょうか?すっきりした、というコメントがぴったりくるとすれば、誰でも大好きな勧善懲悪であって、日本的な水戸黄門様なのだろうと思います。平民はなかなかできないことを成し遂げるというのが洋の東西を問わず、勧善懲悪もののパタンでありますが、昔のお侍さんと平民の関係ではなく、現代のサラリーマン社会におけるズルをする人間を暴き、役員会の席で恥をかかせ、謝罪させるというシナリオはお勤めの方にはまさに溜飲が下がるということなのだろうと思います。

会社はコンプライアンスに厳しくなり、社内に対しても社外に対しても間違ったことをしていないとディスクローズをして、必死にアピールする一方、過当競争ともいえる企業の戦いの中、社員は無理に無理を重ねているケースはいまだ多いでしょう。

個人的には最近は民間企業より役人、役所の一部の部署の人の方が厳しい立場に追いやられていると思っています。突然襲ってくる自然災害、国会答弁や対応、コロナを含めた社会一般の問題と対応について対応が悪ければ国民や市民からジャンジャン電話かがかってきて苦情が殺到、役所内では「〇〇さん、一刻も早く対応してください」「電話を取る身にもなってください」という悲痛の声を受けて不眠不休、ストレスフルな仕事をしている方は相当多いのではないかと察します。

写真AC、イラストAC

コンプライアンスと成熟社会という現代でなぜ、未だに勧善懲悪なのか、これまたある意味、矛盾しそうな取り合わせです。私は人々の欲求は果てしないものである、よってその純度を究極まで高めようとする人間の性なのではないか、と考えています。マズローの要求5段階説の話ではありませんが、我々の社会はまだ上をみれば相当道のりは長く、成熟社会の定義はあるようで無いのであります。

一方、徐々に我慢をすることが出来なくなり、常に不満を抱えているのが現代社会であります。戦後直後のあの貧困の時はわずかな食糧にも感謝しながら頂いたと聞いています。それが時代の移り変わりとともにより豊かさという名の欲求が高まります。わかりやすい例としてコロナで海外に行けなくなったといいますが、50年前にはそんな手軽な海外旅行はなかったのです。ネット販売もなかったし、毎日グルメ生活なんてできなかったのにそれが当たり前になるとないことにストレスを感じ、爆発したりするのです。

正直、半沢直樹はドラマとしては面白いのですが、あえて苦言を呈するなら、あの怒鳴り合いに近いシーンを真似る輩が出てくるような懸念を感じます。勧善懲悪の部分ではなく、自分の利益のために何が何でもグレーなことでもとことんやるという部分だけが印象に残りそこだけが切り取られて現実の社会で再生されるというものです。

画面の向こうの話と割り切ればこれほどのエンタテイメントドラマはないと思います。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年8月23日の記事より転載させていただきました。