価格破壊のマウスピース矯正が、医療ではなくなる日

2020年08月25日 06:00

いつもと少し違うお盆休みが終わる頃、印象に強く残る見出しの新聞記事とともに、にわかにマウスピース矯正が注目を集めています。

(参考)矯正医療、新興が技術で価格破壊 歯並び改善、費用3分の1 ― 日本経済新聞(2020年8月16日)

マウスピース矯正自体は2000年頃アメリカで治療開始され、国内では2006年頃から次第にシェアを拡大している手法です。従来の矯正治療と違い、歯に固定具やワイヤーを取り付けることがないという利点があります。

Carrie A./Flickr

この治療法が本当に治療効果を期待できるのだとしたら、歯科矯正の世界は変わってしまうのでしょうか。

1. メーカー主導がすすむ歯科医療

実はこのマウスピース矯正、歯医者にとっても簡便です。細かいところを割愛すれば、型採りをしてメーカーに送ってしまえば、あとは送り返されてきた装置の使い方を患者さんに教えるだけだからです。

矯正用の固定具の取り付けはそれなりの習熟と技量が問われる、矯正医でない歯医者さんにとってはあまりやりたくない作業。これが矯正治療の参入障壁になっていました。マウスピース矯正については、既に多くの一般歯科医が参入し、矯正専門医のシェアを多少なりとも奪ってきました。

今回ニュースになったマウスピース矯正は、いっそ歯医者の関与をほとんどなくしてしまうことで、大幅なコストダウンを行ったと読み取れます。

このような傾向は歯科医療全般に及んでおり、ホワイトニングはほとんどジェル販売だけでよくなり、セラミックの差し歯もコンピューターで設計や生産を行うCAD/CAM技術による機械化で、制作者の技術力の関与が小さくなりました。その結果どちらも大幅に価格がさがり、多くの人が利用しやすくなりました。

2.マウスピース矯正の限界

メーカーとしてはなるべく多くのケースに対応可能と発信しますが、原則的にマウスピース矯正は軽症が適応です。またある程度以上の歯並びの乱れは、抜歯あるいは歯を削る必要があるので、歯医者の関与が不可欠になります。

仮に全く歯医者さんが関与せず、マウスピースのみで矯正治療しようとすると、歯並びの幅を拡大する必要があります。この拡大量には上限があり、それを超えると却って顔のバランスが崩れたり、口唇が閉じられなくなったり、頬の筋肉の影響を強く受けて後戻りが早まったりするでしょう。

マウスピース矯正が向いているケースと不向きのケースの振り分けは、これまで矯正担当医がその責任の下に診断してきました。確かに特殊なテクニックを使えばマウスピース矯正でも実施可能な範囲は広がりますが、簡単な技術ではありません。上手くいかなかった場合のフォローアップ体制をどのように整えるかというのも、歯医者の責任に含まれてきました。

3、 矯正治療が医療でなくなる日

矯正治療は虫歯や歯周病を予防するというエビデンスは乏しく、主な効果は美観の改善であると言えます。

(参考)矯正歯科診療のガイドライン 上顎前突編 ― 日本矯正歯科学会(2013年12月20日)

(参考)Do malocclusion and orthodontic treatment impact oral health? A systematic review and meta-analysis ― Am J Orthod Dentofacial Orthop.(2020年6月)

今後歯医者がほとんど関与しない矯正治療が存在感を増していくと、医療というより健康商品という側面が強くなってくると考えられます。

既に美容目的の医療に関して一部は特定商取引法の対象となり、クーリングオフや中途解約ができるように改正されました。矯正は辛うじて適用を免れたという経緯があります。

(参考)第13回 特定商取引法専門調査会 議事録 ― 内閣府(2015年11月6日)

(参考)美容医療の消費者被害を防ぐ改正特定商取引法施行で何が変わるか ― 法と経済のジャーナル(2018年1月17日)

こういった状況の中で、今後矯正治療をメーカーに直接オンラインで申し込み、歯医者は最低限のチェックのみを行うという仕組みにしたとき、万が一のトラブルは誰が責任を負うのでしょうか

これまでは歯医者の責任が自明でしたがその関与が小さくなり、メーカーは患者自身の適正使用の不備を主張するかもしれません。上手くいかなかった場合の損失は患者の自己責任、となる可能性もあるのではないかと危惧しております。

まとめ:適応症をえらんで、無理な運用は避ける

以上から歯並びの軽度な乱れに関しては、マウスピースによる治療で十分対応可能です。これまで「ちょっとの乱れだけど矯正治療は高額だから」と我慢していた患者さんにとって、低価格路線のマウスピース矯正は有益な選択肢となるだろうと思われます。

一方で軽症とは言えないケースでは歯医者が介入しないデメリットが顕在化し、かえって治療期間や後戻りするリスクもが増大すると考えられます。

(参考)マウスピース型矯正装置による治療に関する見解 ― 日本矯正歯科学会(2019年6月5日)

マウスピース矯正は原則軽症向けであり、過剰な期待や無理な運用をしない。不安であれば矯正専門医にアドバイスを求める、というのが良いのではないでしょうか。

アゴラの最新ニュース情報を、いいねしてチェックしよう!
中田 智之
歯学博士・医療行政アナリスト

過去の記事

ページの先頭に戻る↑