埋まらない世代間ギャップ

2020年08月27日 14:00

このブログのリーダー層は比較的年齢層が高い方が多いと認識しています。どれぐらいの高齢者なのか、調べる方法がないので勝手な推測ですが、少なくともコメントを積極的に発信して頂いているのは私より上の団塊の世代(ブーマー族)だろうと思っています。この層の特徴は「熱すぎる」ともいわれますが、要は「うるさい」のであります。「うるさい」とは声の大きさと自己主張について譲らない点だろうと思います。

(写真AC:編集部)

(写真AC:編集部)

私も色々な方と話していると「ブログを読んでいるよ」と声がけしてくださる方もたくさんいるのですが、異口同音「恐ろしくてコメントをかけない」と言います。私はなるべく多くの方をウェルカムしたいので一定の節度をもとに言いたい放題の放置状態にしております。それはずいぶん以前に申し上げた通り、モノの見え方は見る角度によってどうにでも変化する、よって答えは一つではなく、メディアで報じられた一般論に対して様々な切り口で考えてみるというのが趣旨だからであります。

よって私の論理や考え方もかなり偏ることがしばしばでありますが、それはそんな切り口もアリではないか、と一石を投じることが目的だからです。別にそれが普遍的に正しい必要はなく、へぇ、そういう考え方もあるのか、ぐらいに思って頂ければ結構なのです。よって時として(いや、結構)「それは違う」と断言されてしまうのですが、そもそもの趣旨が違うのであり、これは学者の論文でもないのであります。どちらかというと皆さんと考えるネタの提供なのであります。だから「突っ込みどころ満載」と言われる所以であります。

なぜそういうスタンスを取るのか、といえば私自身が典型的な偏差値世代でこれほど画一的で正解は一つという教育で苦しむとは思わなかったからであります。私は外交官志望で試験を受けるために大学3年生の時は1年間ほぼ勉強だけに費やしたのですが、その時の衝撃の一つが戦前戦後外交史でありました。外交官試験ですから必須なのですが、これほど知らない世界があったのか、と自分が恥ずかしい思いすらしたのです。東条英機も山本五十六も名前は知っていても自分の知識になかったのです。多分、今でも多くの方はそうでしょう。なぜでしょうか?それは明白な答えが出せないものは教えないという教育スタンスが背景にあったのだろうと察します。

もう一つは海外に赴任してこれほど英語ができないのか、ということに対する恨みであります。私は英語の成績は悪くはなかったのですがそれは日本の学校のテストという狭い世界での話でした。アメリカやカナダでは日常会話以外、使い物にならず、それ以上に英語表現の傾向や思想的アプローチが構築されておらず、ビジネスの議論で論破されやすいことにこれまた撃沈されたのです。

このブログの背景はそこにあります。だから「あぁ言えばこう言う」という切り口はたくさん欲しかったのです。

さて、世代間のギャップも面白い社会現象です。日本では社会学的に団塊の世代、新人類、バブル世代、団塊ジュニア、ゆとり世代、新人類ジュニア…といった呼称がついており、世相などを反映した世代間のグルーピングがあります。個人的にはその枠組みで括ることでその枠がその世代を作るという逆効果があるのではないかとも思います。

ただ、新人類である私の世代はいわゆる子供の数がかなり少ない谷間の世代であり、テレビゲームが世に出回り始めた頃だけど社会の仕組みは古いままという古い世代と新しい世代の両方が理解できる特徴があります。その中でこの二つの世代、つまり、新人類の私から見れば団塊の世代とバブル世代をどう繋げるか、何度も考えたこともあります。

私感としては上の世代は次の世代に任せる、そして「べき論」を抑制することが大事ではないかと思うのです。私にとって団塊の世代の方は会社でいう顧問か相談役なので、特定の専門的知識についてはぜひ伺いたい一方で今、社会を廻す原動力はバブル世代から下の人なのです。更に社会の基盤もどんどん変わっているので彼らが彼らの社会を責任もって形成していくことを否定ではなく、肯定から入るべきなのだろうと思います。褒めて育てるですかね。

とはいっても世代間ギャップを無理に埋めようなんて大それたことは考えず、皆さんが好きにコメントを書いてくれて「へぇ、面白い」と思わせてくれることが何よりなのです。私もそれなりの歳になったのであまり若者向けのネタが振れないことことだけはご勘弁頂きたいところですが。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年8月27日の記事より転載させていただきました。

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