今だから変わるチャンスの大学経営と大学教育

大学生のイメージといえばクラブ活動にアルバイト、キャンパスライフ、社会人になるための予備校…と本来の学業向上、最高学府としての誇りなどという話はあまり聞こえてきません。

(写真AC:編集部)

(写真AC:編集部)

大学側も少子化を背景に経営という視点が強くなり、資産をアップグレードし、ロケーションや見た目を大切にすることでいかに受験生を増やし、偏差値を上げ、世にいう著名大学になるかに必死の努力をしています。最近では寄付金集めにも躍起になり、集める金額が先行し、それを何に使うのか、明確なプランがないことすらあります。

個人的には大学は卒業生の和がどれだけ広がるか、これが一つ重要だと思うのですが、卒業生のために大学施設を開放したり、将来のリーダーとなりうる卒業生をcontinuing educationの一環として講座に優先的に参加できるといったサービスを考えるところは全くありません。

多くの大学では入学時に校友会入会金として何万円かを徴収しているはずです。入学予定学生やその親はその支払いについて嬉しさもあるし、言われた金額を払うのが当たり前と思っているかもしれませんがこれで基本的には校友会の永久会員となるはずです。(校友会には会員の年次会費を設定しているところはまずないはずで運営費は毎年入学する新入生から徴収するというあまり健全ではない手法が一般的かと思います。)

ではその校友会といえば結構なお年寄りの集まりで、リタイアした方や自営業などで時間にゆとりがある方たちのサロンと化し、新卒から先輩まで会した集いは運動部系ぐらいしかないのではないかと思います。

最近、立命館大学の大学新聞がアンケート調査したところ、1割が退学検討、4分の1が休学検討していると報じられました。数字はやや独り歩き気味で本当のところは「退学を真剣に考えている」が2.3%、「どうするか考えている」が7.5%であります。立命館の2018年の退学率は1.7%なのでコロナ禍でややネガティブな声がでているものの1割が退学検討はややミスリードする感じがします。

但し、その理由をつぶやきのワード群から分析したものを見ると授業-オンライン-WEBが多く、次いで学費-払う-施設、大学-意味-生活などとなっています。若者にとって大学は青春の通過点的な期待があったとすればコロナでオンライン授業となり、それまでのイメージを完全に葬り去った点において大学に行く意味合いが問われる可能性は否定できないとみています。

私は以前からなんでも大学に行けばよいというものではなく、専門知識を身に着け、即戦力やその道の専門を目指すことも重要と申し上げました。通常の4年制大学を出ても何をしてきたか問われる時代となった今、大学そのものが学生にそれだけのインパクトある教育を提供できるのか、ここが弱点の一つではないかと感じています。

例えば大学経営方針を学内教授陣が派閥抗争のごとく決めるのではなく、ビジネス界や文化人など第三者を含めた広範囲なインプットを反映できる経営運営員会を設置するのもアリでしょう。また、大学の資産管理部門と教育部門を分離させ、明確な仕切りラインを作ることも必要だと思います。

大学において資産管理や寄付金に軸足がある理事長と教育を取り仕切る学校長の役目と分担が不明瞭になっていることも多いと思います。大学経営はビジネスなのか、教育なのか、ここが問われているのです。

コロナでオンライン授業が普通になれば大学生の脱落組が2-3割に達してもおかしくない気がします。なぜなら学業以外のモチベーションがなく、サークルも飲み会もないなんて多くの大学生にとって「こんなはずじゃなかった」ということだからです。しかし、モノは考えようで大学は勉強するところである、とすればこんなオンラインクラスの大学だけど勉強しに来るか?という大学側の挑戦状をたたきつけるのも悪い発想ではありません。

先日、当地の大学の教育側の人たちと集まりがありました。教える側からすればオンラインは素晴らしく機能していると自画自賛です。勉強する環境だけならオンラインでもいいのかもしれません。最近はアバターを利用して自分のクローンをオンライン上で参加させる技術が展開されてきています。大学クラスも自分のアバターが参加する形になるかもしれません。近いうち、このアバターについても掘り下げますが、世の中、もの凄いことになる気がしています。

ディズニーランド化した大学生活にのほほんとしていた日本の大学生はウサギと亀の話のようなもの。さすが大卒は違うねぇ、と言われるようになってもらいたいものであります。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年8月28日の記事より転載させていただきました。