ベラルーシ正教会トップ人事の「狙い」

ロシアのプーチン大統領は27日、国営放送でのインタビューの中で、大統領選(8月9日実施)の不正問題を追及されているベラルーシのルカシェンコ大統領の支援要請を受け、「予備警察の派遣準備をした」ことを明らかにした。ただし、「ベラルーシの治安が混乱し、制御できなくなった場合という前提条件だ」と強調した。ルカシェンコ大統領の大統領選不正問題を追及する欧米諸国の圧力に対し、プーチン氏はロシア側の強硬姿勢をアピールする狙いがあると受け取られている。

ルカシェンコ大統領とモスクワ総主教府のキリル1世(バチカンニュース8月26日、写真はANSA通信)

ベラルーシはウクライナとは違う。親ロシアのベラルーシに武力介入した場合、ベラルーシの国民を反ロシア側にしてしまう危険性がある。実際、大統領選の不正に抗議する大多数の国民は大統領選のやり直しを要求しているだけであり、ウクライナの民主運動で見られたように、欧州接近かロシア併合か、といった国の方向性は争点ではない。大統領選で対抗候補者だったスベトラーナ・チハノフスカヤ氏ら反体制派メンバーが所属する調整評議会はその点をはっきりと説明している(「ベラルーシはウクライナではない!」2020年8月22日参考)。

ところで、ミンスクの抗議デモに目を奪われている時、ベラルーシの主要宗教、ベラルーシ正教会のトップが突然代わった。バチカンニュース独語版によると、ロシア正教の運営組織、聖シノドは25日、バリサウのベンジャミン主教(51)をベラルーシとミンスク総主教区の首座に選出したという。それに先立ち、モスクワ総主教のキリル1世は2013年12月からベラルーシ正教会首座だったパーヴェル総主教(72)の辞任嘆願書を受理し、ロシア連邦南部クラスノダールで今月初めに新型コロナウイルスで亡くなって空席となったクバン主教区に同総主教を人事している。

ベラルーシ正教会のトップ人事は正教会内の事情に基づくものとは考えられない。人口950万人余りのベラルーシの国民の80%が正教会に属している。そのベラルーシ正教会は1991年のベラルーシの独立で一定の自治権を得たが、総主教、主教人事では依然、ロシア正教のモスクワ総主教府が決定している。だから、ベラルーシ正教会のトップ人事はロシア正教会を掌握するプーチン大統領の指図に基づいているとみるべきだろう。

プーチン氏は自分は幼い時、正教会の洗礼を受けたと公表し、モスクワ総主教のキリル1世とは緊密な関係だということを機会のある度にメディアを通じて表明してきた。プーチン氏はそのロシア正教を通じて国民に愛国心を訴えてきた。プーチン氏にとって、ロシア正教会は自身の政権維持の道具なのだ(「正教徒『ミハイル・プーチン』の話」2012年1月12日参考)。

それではベラルーシの場合はどうか。プーチン氏は、ロシア正教会のモスクワ総主教府の管理下にあるベラルーシ正教会を通じてベラルーシの国民を親ロシアに繋げておくという政策だろう。

モスクワ総主教府は今回の人事の理由については何も説明せず、「ベラルーシの社会的混乱に懸念を表明し、早急に社会安定が戻ることを要望したベラルーシ正教会のアピールを支持する」というだけだ。パーヴェル総主教が突然辞任に追い込まれたのには理由があるはずだ。

パーヴェル総主教は当初、ルカシェンコ大統領の再選を歓迎し、抗議デモ参加者に対しては距離を置き、聖職者関係者には「政治問題に干渉するな」と指示していた。そこまでは問題なかったが、総主教がその後、デモで負傷した参加者が入院している病院を訪問し、デモ参加者と治安部隊の衝突事件の公正な調査を要求し始めたのだ。同総主教の変心に気が付いたモスクワ総主教府は急遽、聖シノドを開き、(プーチン氏の同意を得て)同総主教府を辞任に追い込んだ、というのが事件の核心だろう。

プーチン氏はベラルーシへの武力介入の可能性を示唆する一方、ベラルーシ国民をモスクワ離れさせないために、ベラルーシ正教会のトップにモスクワ総主教府に忠実な主教を選出したわけだ。

蛇足だが、ルカシェンコ大統領は同国の少数宗派、カトリック教会指導部に対し、「教会は国内の政治に干渉するな」と主張し、干渉すれば制裁すると警告を発した。それに先立ち、ミンスク大司教区のタデウシュ・コンドルシユヴィチ大司教は今月21日、ユリー・カラエフ内相と会談し、民主的抗議デモに対する弾圧を批判し、「教会は常に弱者側に立ち、その声が届くことを支援してきた。だから、我が国で今展開されている事態に対して黙過できない」と教会の立場を説明し、拘束されたデモ参加者の即釈放をアピールした。

ルカシェンコ大統領は今月22日、同国西部のフロドナ市での演説で「聖職者の発言を聞いて驚いた。聖職者は反体制派の言動を支持してはならない。国家当局はそのような言動に対して静観していると考えているのか」と声を大にして批判し、「教会はこれまでと同じように国民のために祈っておればいいのだ」と述べている。

なお、ベラルーシでは26日、2015年ノーベル文学賞を受賞したスヴェトラーナ・アレクシェービッチさんが捜査当局に出頭を要請され、事情聴取されている。アレクシェービッチさんも大統領選の不正を抗議するデモ参加者を支援したからだ。ルカシェンコ大統領はカトリック教会であれ、ノーベル文学賞受賞者であれ、片っ端から呼び出し、「政権打倒を目論でいる」とクレームを付け、圧力を行使している。「欧州の最後の独裁者」ルカシェンコ大統領の強権政治には限界が見えてきた。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年8月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。