ナチス時代の旗も…独で広がる「コロナ規制反対デモ」

ドイツ各地で29日から30日にかけ、メルケル政権が施行した一連のコロナ関連規制法に反対する抗議デモ集会が行われた。警察側の発表によると、29日には総数4万人が複数の抗議デモに参加した。ブランデンブルク門周辺や“6月17日通り”では30日、2500人が参加したという。ベルリン州警察は数千人の警察隊を動員し、市内で広範囲に警戒警備・交通規制を実施した。

問題は29日、極右過激派がベルリンの国会議事堂建物(連邦議会がある)の階段に登り、ナチス・ドイツ時代のドイツ帝国議会の旗を振り、過激な政治的プロパガンダを行ったことから、警察隊が介入して強制解散させる事態が生じたことだ。

ベルリン国会議事堂前のデモ(ARDより)

警察当局によると、国会議事堂の階段を上ったデモ参加者数は300人から400人という。316人が逮捕され、33人の警察官が負傷した。131件の刑事責任が問われた。国会議事堂建物の階段で帝国旗を振ったのは極右過激派や「旧ドイツ帝国公民」(Reichsburger)メンバーとみられている。彼らの幾人かは建物の中に入ろうとしたため、警察部隊は催涙ガスなどを使って防いだという。

シュタインマイアー大統領は30日、デモ参加者が国会議事堂の建物前でナチス・ドイツ時代の帝国旗(Reichsflaggen )を振り、極右的な過激な言動をしたことに対し、「われわれ民主主義の中核への耐え難い攻撃だ。絶対に甘受できない。帝国旗を振った人間の数は少ないが、ドイツでは大きなシンボル的な意味が出てくるのだ」と強く批判した。

1933年、ドイツ国会議事堂放火事件が起きた。同事件はワイマール共和国の終わりの始まりを告げ、国家社会主義の独裁政治の台頭を促す出来事でもあった。その国会議事堂建物前でナチス時代の「帝国旗」を振るということは、ドイツ国民に否応にも1933年の歴史的事件を想起させてしまうのだ。

ちなみに、ベルリン警察側は当初、デモ集会の開催禁止を通達したが、行政裁判所がドイツ基本法(憲法に相当)に基づき集会デモ開催の権利は認められなければならないとして、コロナ規制への抗議デモの開催を認めた経緯がある。集会では極左、極右、環境擁護グループから人権擁護団体までさまざまな集団がデモを行った。

ドイツ南部のカールスルーエにあるドイツ連邦憲法裁判所は30日、ベルリン市中央でコロナ規制反対の「徹夜デモ集会所」(Dauermahnwache)の設置禁止を確認した。抗議デモの主催者側によると、8月30日から9月14日までの期間、ベルリン市内の「6月17日通り」で徹夜デモ集会所の設置が計画されていた。

ドイツ連邦憲法裁判所第1上院第1部は設置禁止の理由として、「容認できないうえ、根拠が乏しい」とだけ説明している。それに先立ち、ベルリン・ブランデンブルク高等行政裁判所が徹夜デモ集会の拠点設置申請を拒否している。

抗議デモ参加者の中には、「政府が実施するコロナ規制は国民の自由を制限している」、「マスクの効用すら不明な時、マスクを着けなければならないことは耐えられない」、「メルケル政権はコロナ感染を理由に国民を管理しようとしている」といった批判の意見が聞かれた。

多くのデモ参加者は「政府はわれわれから自由を奪おうとしている」(Wir sind hier, wir sind laut, weil man uns die Freiheit klaut)といったスローガンを叫びながら行進した。

コロナ規制に反対する抗議デモでは、ソーシャルディスタンスの確保やマスクの着用が義務つけられていたが、テレビの中継から観る限りでは、マスクを着用している参加者は少なく、ソーシャルデスタンスは元々不可能だ。

新型コロナの感染拡大でロックダウンが実施され、外出が制限された時、「自由を蹂躙している」といった批判の声はほとんど聞かれなかったが、5月から6月にかけ、欧州でコロナの感染ピークが過ぎたことから、規制が緩和されたが、ここにきて感染が再び増加傾向に転じた。そこで欧州各国ではマスク着用、2mのディスタンス、外出制限などが再度強調されてきた。新型コロナ感染との戦いが半年を過ぎて、国民の間に疲れが見られると共に、政府の規制措置に対して不満が溜まってきているわけだ。

人は自由を求める。取り巻く環境、社会が自由を制限するならば、その障害を突破して自由を獲得しようと腐心する。中世時代からカトリック教会の伝統や慣習に縛られていたフランス国民が起こした革命はその代表的な例だ。最近では、冷戦時代、ソ連・東欧共産政権から西側自由世界に逃げてきた数多くの人がいた。現在では、香港で多くの若者が自由のために戦っている。命を失うリスクを冒してまで自由を獲得するために戦ってきた人々が過去、そして現在もいる。自由は人間にとってそれほど大切なものだ。

ただし、無制限の自由は考えられない。社会的存在としての人間にとって、自由には常に一定の「規制」が伴う。さもなければ、社会、国家の秩序が維持できなくなるからだ。自由と「責任」は表裏一体だ。

新型コロナ感染問題で現代人は自由な外出、経済活動、スポーツ、イベントなどを断念せざるを得ない状況下に置かれている。戦争世代ではない現代人は今、自由が制限されるという初めての体験をしている。困惑したり、不安になったりするのは理解できるが、「責任」なき自由はないことを忘れてはならないだろう(「ポストコロナ時代の『自由』の再発見」2020年5月30日参考)。

参考までに、「マスクの着用問題」が欧米諸国で議論を呼んでいるが、トランプ米大統領の新型コロナ問題顧問、米国立アレルギー・感染症研究所所長のアンソニー・ファウチ博士は独週刊誌シュピーゲル(8月22日号)とのインタビューの中で、「マスク着用は政治問題ではない。感染病対策のテーマだ」と指摘、マスク着用を含む新型コロナ対策の規制措置を「政治化して捉えるべきではない」と警告している。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年9月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。