公開情報から読み解く近衛文麿自決の謎③

2020年09月02日 06:00

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続く近衛叩きと総司令部の手の裏返し

Wikipedia

10月24日、米各紙の人気コラムで、コラムニストのドリュー・ピアソン近衛を「考えられる限り最悪の男が日本の憲法改正の仕事をしている」と痛罵した。が、同時に米国で知名度のい加藤勘十を褒めちぎり、日本との連携が推察された。後にピアソンはヴェノナ文書でKGBスパイと明かされる

10月26日、ニューヨークタイムズに「近衛を現在、その地位にとどまらせておくのは、日本の降伏依頼、極東で起きていることの中で最も危険なことであり、我々が犯した最悪の失敗」との寄稿が載った。執筆は太平洋問題調査会(IPR)の機関紙の寄稿メンバーだった

10月29日、これを受けて朝日は「近衛公は不適任 改正憲法の起草者に 米誌論調」の見出しで、「近衛公は何回となく首相に就任し日本の圧迫政治に尽くした。近衛公がマッカーサー元帥により戦争犯罪人として牢獄に抛りこまれても、恐らく誰一人として驚くものはあるまい」と報じた。

日米リベラル両紙の連携は終戦時からか。安倍政権での憲法改正阻止を叫ぶ日本の左派の今日にも似る。が、当時の改正憲法の中身は同床異夢で、国体護持のため直宮へのご譲位であるはずの近衛の天皇退位論を、左派勢力が自説の天皇制廃止論と曲解させるべく策動したようにも見える。

11月1日、総司令部は近衛は東久邇宮内閣の副首相であったがゆえに、彼に向って日本政府に憲法改正を要求すると伝えただけのことであり、東久邇宮内閣は総辞職したので、憲法改正問題についての連合軍当局と近衛の関係は終わった声明、ついに近衛に手の裏を返した

この日に新発刊した雑誌「新生」に近衛側近の評論家岩淵辰雄が、「戦争という国家の大事が、僅かに総理大臣としての東條と内大臣としての木戸と、この二人の専断によって推し進められ、決定されていたという結論を生み出すものである」と書いた。近衛側の反撃だ。

広田弘毅がIPS調書で、木戸についてこれとほぼ同じ趣旨を述べている(粟屋前掲書

木戸に責任があるといいたいのではないが、木戸は天皇に非常に近い地位にあって、全ての重要な問題について天皇に助言した。内大臣は自らの意思で天皇に助言できる唯一の人間であった。天皇の決定は内大臣の助言を受け入れたものと考えれば、その職責は重大である。木戸は天皇への責任ある助言者として、内大臣在職中に起きた事件について責任があるといえよう。

「覚書」

11月5日、ノーマンは近衛の「覚書」を総司令部に提出した。彼は言葉の限りを尽くして近衛を誹謗中傷した。日米マスコミの近衛叩きと共に、総司令部の近衛観を低める効果は十分だったろう。長文につき「結論」部の少し前辺りから要旨を示す

  • 近衛は木戸侯爵を政界に引き入れ、文部や厚生の大臣にした。彼の後押しがなければ、木戸が内大臣になり、その地位を前任者の誰の時期より重要にすることはなかった。
  • 近衛は第二次内閣で全政党の解消を指示、政党は日本の国体と両立しない旨を述べた。大政翼賛会創立は、このディレッタント貴族の一つの政治的酔狂に過ぎなかったであろうか。その人物が改正憲法起草者を買って出ていることをどこまで信用できるのだろうか。
  • 近衛にはコンプレックスがあり、時に特に政治において矛盾した性格があった。生まれつき憂鬱症で、ふさぎ込んで逡巡と不決断と因循に身を任せる性質だった。彼は弱く動揺する、結局のところ卑怯な性格だった。彼の憂鬱症でさえ、病床に逃げ込んで不愉快な決定や相談を避けるための子供じみた手法で、一種の狡さを交えたものだ。
  • 淫蕩なくせに陰気くさく、人心を恐れ軽蔑さえしながら、世間からやんやの喝さいを浴びることをむやみに欲しがる近衛は、病的に自己中心で虚栄心が強い。
  • ある人間が流血と戦争と戦争に伴うあらゆる不幸を唆しておきながら、余りに「優雅」で、自分の仕出かした結果を見つめたり、認めたりできないということは、実に奇妙で不愉快である
  • 公式記録を見れば、戦争犯罪人に当たるという強い印象を述べることができる。しかし、それ以上に、彼が公務に出しゃばり、よく仕込まれた政治専門家を使って策略をめぐらし、もっと権力を得ようと企み、中枢の要職に入り込み、総司令官に対し自分が現状勢において不可欠の人間であるように仄めかすことで逃げ道を求めようとしているのは我慢がならない
  • 確かなことは、彼が何らかの重要な地位を占めることを許される限り、潜在的に可能な自由主義的、民主主義的運動を阻止し挫折させてしまうことである。彼が憲法起草委員会を支配する限り、民主的な憲法を作成しようとする真面目な試みを全て愚弄することになろう。彼が手を触れるものはみな残骸と化す

近衛に対する何らかの恨みでもノーマンにない限り、これほど読むに堪えないような激しい人格攻撃や誹謗の言葉がでてくるものだろうか。

一方、11月8日に提出された木戸の「覚書」には、近衛に対するような人格攻撃は全く見られず、長さも近衛の半分に満たない。以下に要約する。

極東軍事裁判で訊問に答える木戸幸一(Wikipedia)

  • 木戸の栄達は、倒幕の計画を練り上げた有名な木戸孝允ゆずりの政治的遺産が有力な原因だった。孝允は明治天皇の有能な政治顧問の中でも最も明敏な頭脳の持ち主だった。
  • 前任の湯浅までの内大臣は多分に名誉と威厳を伴うもので、政治的影響力において宮内大臣を凌ぐことはなく、枢密院議長より重要でないのは確かだった。が、木戸はこの地位を官僚の階級的身分の要にし、元老西園寺がいない政治的空白を埋めた。
  • 木戸は重臣が新総理を決める審議の上席座長を務め、それと判らないながら疑いもなく重い権威を及ぼした。戦時中を通じてこの権力を行使し、特に東条を総理に選んだ事実は彼の政治責任を甚だ重くする。
  • 木戸が最初に降伏を決定した重要政治人物の一人であることは合理的に十分立証される。彼は考えられるあらゆる影響力を使って天皇とその顧問たちに降伏の必要を説いた。
  • 彼は果断で鋭敏な人物で、友人でかつて後援者だった近衛とは対照的だ。木戸が元来近衛の子分で近い関係にあることに変わりないが、両者の間に今では裂け目が表れている証拠がある。雑誌「新生」で近衛の側近の一人岩淵辰雄が木戸を鋭く攻撃している。
  • 近衛が経歴上の不快な記録を捻じ曲げ弁明してきたのと違い、木戸は9月に米国記者に、41年の主要な決定について全く率直に責任を認めている。
  • しかし、彼のような経歴の人間が、連合軍の占領期間中引き続き影響力ある地位を占めるべき理由はない。日本政府は彼に現在の内大臣の職を辞することを強制し、将来いかなる公職をも占めないよう禁止することを勧告される

工藤前掲書、ノーマンが内大臣の地位を低め、木戸が近衛の子分であることを強調した、との趣旨を述べる。が、きちんと読めば、内大臣職の重さや東条起用の責任など触れている広田のIPS調書に見るように、事情を知る者にすぐ判る嘘はつきにくいということか。

近衛への酷い人格攻撃で目的は達した。木戸については近衛のように「戦争犯罪人に当たる」とはせず、「将来いかなる公職をも占めないよう」にする辺りまでが、ノーマン都留に応えられる限度だったのではなかろうか。木戸は東京裁判では僅差で死刑を免れ終身禁固刑となった。

④に続きます。

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