「学校の『当たり前』をやめた。」学校の末路

2020年09月08日 06:00

写真AC:編集部

「学校の『当たり前』をやめた学校があった。テレビなどメディアでも話題となったので、ご存じの方も多いかもしれない。

「『当たり前』をやめたことの当否はふれない。「目的思考」で学びが変わったのかは分からない。型破り校長非常識な教えがどれだけ効果があったのかもよく分からない

けれど、「百ます計算」を子どもたちにやらせまくった人、「よのなか」のしくみを子どもたちに過剰に伝えた人など、教育業界で一世を風靡した人たちがその後継続的に実績をあげているという話は、寡聞にして聞かない。「ヤンキー先生」に限っては、そもそも何を成し遂げたかすら怪しい。ただ、彼らの「セルフブランディング」として、大いにうまくいったようだ。

このように、「教育」という、成果が何十年も先に出るような分野では、目新しいことを言ったもの勝ち、やったもの勝ちという側面があるが、これは指摘されること少ない。

今回は、この「学校の『当たり前』をやめた学校がどうなってしまったかということから鑑みて、一部の教員のセルフブランディングの道具になると、地域に根ざした公教育は崩壊するということを指摘したい。

「学校の『当たり前』をやめた学校は、前校長(すでに私立中高の校長に栄転)の大いなる宣伝によって、(学校選択制をとっている自治体なので)入学希望者が殺到した。当然、テレビなどで宣伝しているから、そういったことを真に受けて、「子どもによい教育を受けさせたい(しかも公立で)」という一部の親には強烈な印象を与えたのだなかには自治体の外からわざわざマンションを学区内に買ったり、住民票だけ移したりする親なども現れた。

このことによって、生徒数は激増、一クラスの人数は上限いっぱい(場合によっては40人超)、教室は足りなくなり、先生たちは日々のルーティーンを回すだけで手いっぱいになる。施設も設備も足りなくなる。

写真AC:編集部

皮肉にも、「学校の『当たり前』をやめた学校に子どもが流れたぶん、近所の学校は生徒数が少なくなり、20人学級の2クラスとかで、タブレットやエアコンなどの設備も行き渡り、とても手厚い教育環境になっている。

入り口で生徒を選別できない。課題を抱えた子どももたくさん入ってくることになる。もとからそんなに多くの子供を受け入れる体制は想定されていない。そういった中で、残された先生たちは大いに疲弊している。これでは教育の質も下がるはず

一番の被害者は、本来の学区の子どもたちである。通常であれは、普通程度の教育は受けられたはずなのに、過剰な受け入れにより、教育レベルは大に低下してしまった。

このように、公教育の持続性や地域性を無視したブランディングによって、結局、「学校の『当たり前』をやめた」学校は自壊しようとしている。

学校を一部の先生のセルフブランディングの道具にしてはならない。またそのようなアナウンスは疑ってかからなくてはならない。・・・というのが平成の学校教育の教訓である。

アゴラの最新ニュース情報を、いいねしてチェックしよう!
中沢 良平
元教員、ギジュツ系個人事業主

過去の記事

ページの先頭に戻る↑