「ブラックパワー・サリュート」の瞬間

2020年09月17日 11:30

メキシコシティ夏季五輪大会(1968年)の陸上200メートル競走で金メダリストと銅メダリストとなったトミー・スミス選手とジョン・カーロス選手が表彰台でみせた「ブラックパワー・サリュート」の姿を覚えている読者は少ないかもしれない。当方はその写真を見る度に「なんと美しい姿だろうか」と感動する。素晴らしい彫刻を見ているような思いすら湧いてくるのだ。

▲1968年メキシコシティ五輪大会で表彰台でブラックパワー・サリュートをするスミス(金)、カーロス選手(銅)

▲1968年メキシコシティ五輪大会で表彰台でブラックパワー・サリュートをするスミス(金)、カーロス選手(銅)

あれから半世紀以上が経過したが、そのシーンが当方の記憶から消えない。そこで前日のコラム「大坂選手の『抗議マスク』の是非」にその写真を掲載した。52年前の出来事だ。「ブラックパワー・サリュート」とは、拳を高く掲げ黒人差別に抗議する示威行為を意味する。五輪大会の表彰台で米国の2人の黒人選手が世界に向かって黒人差別に抗議した瞬間として有名だ。

黒人のスポーツ選手は世界至る所で、様々な競技で活躍している。夏季五輪大会の陸上競技をみれば分かる。特に、その脚力は素晴らしい。黒人は白人社会で迫害され、虐待されてきた歴史を持っている。アフリカから欧米社会に奴隷として売られ、厳しい労働条件の中で汗を流した数多くの黒人たちがいた。その黒人たちが時代の恩恵と共に、次第に解放され、白人社会でその能力を発揮できる時代を迎えてきた。世界の日々はその黒人たちの活躍なくしては、もはや考えられないほどになった。特に、スポーツ世界では黒人選手が大活躍をしている。

以下、当方の一方的な解釈だ。神は黒人に白人以上の苦労をさせたが、その黒人に白人を凌ぐ体力を付与してきたのではないか。スミス選手が表彰台で天に向かって拳を挙げている姿はそれを示している。神が与えた素晴らしい脚力を誇っている瞬間だ。同時に、スミス選手の頭は下を向いている。神が与えたパワー(能力)を誇る一方、一人の人間として神の前に頭を垂れているのだ。それは神に対する畏敬心を表現している。

すなわち、スミス選手とカーロス選手が見せた「ブラックパワー・サリュート」には、黒人の能力を誇示する一方、それを付与した神への感謝と畏敬の思いが見事なまでに調和して表現されているのを感じるのだ。

時代は2020年9月、米国各地で黒人への人種差別に抗議するデモ集会が行われている。彼らの叫びは天にも届いているだろう。多くの人々が共鳴し、連帯を表明している。ただし、米国各地で見られる人種差別抗議デモには、何かが欠けているのを感じるのだ。抗議デモだから、当然、怒りという感情が先行する。その怒りをぶつける対象が必要となる。米国の場合、抗議デモの暴動化を阻止する治安部隊、警察隊に向けられる。正直に言って、現代の抗議デモからはスミス選手の「ブラックパワー・サリュート」に見られる美しさを感じない。

米国の人種差別抗議デモが11月3日の米大統領選の争点に利用され、不必要な政治的な思惑が見え隠れするからかもしれない。それ以上に抗議デモの参加者からスミス選手のように、神が与えた能力を誇る一方、それらを与えてくれた神の前に畏敬心を忘れない姿がどこにも見いだせないからだ。致命的な欠如だ。

スミス選手とカーロス選手の表彰台の姿をもう一度見てほしい。スミス選手は勝利したという誇りを見せる一方、頭を地に落としている。もし拳と同じようにその頭が天に向かっていたならば、スミス選手の姿は単なるブラックパワーを誇示するデモンストレーションに終わっただろう。

実際は、スミス選手は神の前に頭を下げたのだ。厳しい奴隷生活を強いられてきた黒人にとって、白人たちにだけではなく、それを黙認してきた神にも抗議したい思いが湧いてきたとしても不思議ではないが、スミス選手は拳を天に向けつつ、頭は地に落としたのだ。その瞬間は歴史で苦労してきた黒人の本当の勝利を表現していたのではないか。

黒人差別に抗議するデモ集会が、歴史の中で展開された黒人への虐待、迫害に抗議し、怒りを発するだけでなく、神への畏敬と感謝を忘れなければ、抗議デモが暴動化することは絶対にないだろう。「怒り」を神への「畏敬」で抑えることができれば、黒人は歴史の主人公になれるだろう。もちろん、白人に対しても同じことが言える。白人がその能力を誇る一方、神の前に頭を下げ、謙虚になるならば、白人も歴史の主人公に留まれるのではないか。

以上、スミス選手とカーロス選手の「ブラックパワー・サリュート」から当方が感じてきた内容だ。怒る姿、抗議する人々は頻繁に見かけるが、自身の能力、パワーを誇る一方、それらを与えた神の前に頭を垂れる人間は余り多くない。だから、スミス選手のような姿を見ると、感動を禁じ得ないのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年9月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

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