参謀と補佐役

2020年09月18日 06:00

自民党Youtube:編集部

第99代内閣総理大臣に就任された菅義偉さんは、故・堺屋太一さんによる歴史小説『豊臣秀長 ある補佐役の生涯』を愛読書とされています。堺屋さん曰くは「参謀と補佐役は違うということが大事なところで」、夫々を次の通り述べられています

参謀は始終策を練っているわけです。参謀の典型的なのは黒田如水で、しょっちゅう策を練る。(中略)補佐役は一切自分の手柄を言わない。これが一番のポイントですね。豊臣秀長というのは日本史上、最も優秀な補佐役です

此の参謀と補佐役ということで私見を申し上げますと、例えばCFOのポジションというのは単に金勘定をやっているだけでなく、CEOの戦略面におけるあらゆる補佐を常に行いながら一緒になって事業構築をして行くという重要な役割を担っています。従って金回りの事柄だけを扱うCFOは私から言わせればCFOではありませんし、米国では基本そうしたレベルでの取り組みが同ポジションには求められます。

現代の企業で言えば補佐役はCFOであって、金勘定を含め色々な戦略的方向性を決めるに当たっても色々な形で関与して行くことになると思います。私自身、20年以上前に「孫正義氏の戦略参謀かつソフトバンクのCFOとして、数々の大型買収、提携などを手がけていた」当時、自分の仕事をそういうふうに位置付けて、ある意味孫さんの補佐をやってきたということです。

孫正義氏(本人ツイッター:編集部)

日本の歴史に見てみても、徳川家康に対する金地院崇伝や南光坊天海、豊臣秀吉に対する竹中半兵衛や黒田如水、あるいは北条時宗に対する無学祖元禅師、等々と誰につけ、非常に見識が高く洞察力・先見力に優れた人物を周りに置くことを必要としました。そしてそれは時として補佐役、時として参謀といったところで、両者を峻別する必要性もなければ、実際それは出来ないことだと私は思っています。

また菅さんの言葉を借りて言うならば、「自分は表に出ずに物事が前に進むよう段取りをとる秀長の生き方」は、血縁関係という特殊性の中での地位に基づくものであろうと考えられます。それは一つに、兄貴(秀吉)に刃向かうことは絶対にしない、という信念を互いに持っていた中で、良く相談し良く話も聞き、といったことがあったのではないでしょうか。それが堺屋さんの言われる「補佐役のあり方」に、色濃く映されている部分があるように思われます。

中国史上、貞観の治(じょうがんのち…唐の第2代皇帝太宗の治世、貞観時代の政治)と称される最も良く国内が治まった時代を纏めた『貞観政要』(…太宗と家臣達との政治上の議論を集大成し、分類した書)にある有名な言葉、「創業と守成いずれが難きや」が示す通り、創業には創業の難しさが守成には守成の難しさがあります。家康をに挙げてみても、所謂「関ヶ原の戦い」迄の家来達(…軍略家や戦略家、腕っ節の強い人といった戦に勝ち抜く為の人材)と、それ以後「徳川三百年」の礎を創って行く家来達とでは能力・手腕の違う人間であるべきで、天下平定後の家康は如何に国を平和裏に治め徳川政権の長期安泰を維持するか、というところに知恵を出すような人材を国づくりのステージに応じて周りに置くようにしていました。

それに同じく大事なポイントは、時々刻々と変化する環境次第で様々なエクスパートが必要になり、一貫して参謀であるとか一貫して補佐役であるとかは有り得ない、ということです。大参謀とも言われた耶律楚材(やりつそざい)は若干27歳で54歳のチンギス・ハンの大宰相となり、30余年モンゴル帝国の群臣を仕切った非常に博学かつ胆識を有した人物であります。彼の死後、帝国は崩壊への過程を進んで行くわけですが、事程左様に、人間みな歳を取り全ては変わって行くものです。補佐役だ参謀だのと定型化していては、現実に難しい局面があるように思います。我々は常々その時分その時分でのベストを探して行かねばならないのです。菅総理はどちらのポジションに就かれても大きな成果を出されると思います。


編集部より:この記事は、北尾吉孝氏のブログ「北尾吉孝日記」2020年9月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。

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