教員免許制度の廃止で「30人学級推進」に踏み出せ

2020年10月05日 06:00

社会と学校が完全に断絶してしまっている

終身雇用が崩壊して久しい。久しくなったけれど、明らかになったのは最近かもしれない。けっしてコロナだからリストラという流行ではない。

30歳から早期退職を募っている名門企業もあるが、すくなくとも年齢にかかわらず「必要な人」しかいらないというところまで企業が追い込まれてしまっている。

終身雇用を前提に組み上げられたビジネスモデルがいくつかあるが、「持ち家」「専業主婦」「教育」がその代表で、サラリーマン人生の三大負債とも言われる(専業主婦が怒りそうだけど)。

教壇から見た教室風景(写真AC)

そんな終身雇用の時代を背景にできあがったのが、日本の公教育の学校システムだ。

会社なり役所なりに、一生奉公する。じっさいには終身雇用の人のほうが少数なのだけれど、そういう建前の社会に出るための準備段階として、学校は用意された。

学校の先生は「社会の鏡」であるべき

けれども、完全に終身雇用が壊れたことが明白な中で、前近代の建前を生きている先生と、実際に社会に出ていく子どもたちとでは、全く違う社会を生きていることも明白になるだろう。

20代30代では、強気な転職者が多いが、実際には40歳くらいで早期退職制度による転職を迫られる人が多い。そういったときに、慌てふためいているような人の行く先は暗い。

今の時代は遅くとも40歳くらいまでには、キャリアがある程度完成・完結していなくてはならない。それらがなければ職務経歴書すらまともに書けない。

「キャリア教育」はますます求められるが、残念ながら教員はキャリアを描いたことがない。これは子どもたちをまちがった方向に導いてしまう恐れがひじょうに強い。今の50代くらいまでなら、かつての学校教育で刷り込まれる規律や行動様式で逃げ切れるかもしれない。それ以下の年代の勤労者たちは、学校でまちがったこれらの価値観を刷り込まれているので、苦労する可能性が高い。

ある教委のキャリア教育担当が講和で「私には教委というキャリア以外に、父というキャリア、地元住民としてのキャリアなどがあります」と言っていたが、外から見れば「こいつバカじゃねーの」だ。

先生たちは社会というものを知らなくてはならない。

30人学級の推進を物足りない人材で行うべきではない

「30人学級推進」というアプローチは大切だけれど、その方法は、愛川晶氏が主張するような「教員免許“更新”制度の廃止」では抜本的な対応にはならない。

以下に、私案をあげてみる。

  • 教員免許という能力・技能の証明になっていない資格をもっている人だけでなく、持っていない人にも門戸を開く。これによって、免許はないが教員の適性と教育の情熱のある離職者や専業主婦(夫)の人が参入して、母数が大きくなるだろう。
  • もちろん有期雇用。1年だと教壇に立ったそばから就活をしなければならなくなるので、3年くらいの任期がよいのではないだろうか(3年で短いと言うなら5年でもいいが、有期というのがポイント)。もちろん、またもっとよい別の仕事が見つかれば、途中で転職することもあるだろう。こうすることによって、適性のない教員に退出を促すことができるし、教育委員会にも魅力的な職場にしないと逃げられるという今までになかったインセンティブが働くようになる。
  • 教員に年齢制限をつけること。これはパターナリズムな制約ではあるのでマストではないけれど、採用資格は30歳以上とする。30歳まで働いてみないと、社会のしくみや就業の仕方はわからないし、教職にむいていないとわかったときに転職もできないので、30歳まではなんらかの社会人経験をもつ。
  • 待遇に関しては、年功制をなくして、職能給+役職手当のような形で、年齢に関係なく一定の報酬(たとえば今の教員全体の平均賃金くらい)を払って、魅力的な職場にすれば、社会的な意識が高く、教育に興味をもっている多くの優秀な社会人が、転職の合間にやりたいと手を挙げるのではないだろうか。もちろん、ジョブ・ディスクリプション(職務記述書)は明確にして、基本的に定時退勤とする。事務作業などの職務外以外の人員が足りなければ、教育委員会内の責任によって有期雇用で採用する。もしくは無期雇用の教委の職員が超勤で対応する。
  • 教員が割高で無期雇用なので、柔軟な人員計画ができない。今後、少子化のさらなる進行で、ほっておいても30人学級になるだろう。その間の雇用のバッファーは有期雇用の契約社員の先生たちだ。それはさすがに不正義だろう。それに、高給な正規教員を解雇できないから、必要なときに教員を増やせないのだ。それはだれのためなのだろう?
  •  一律に30人学級というけれど、子どもたちの実態によっては20人学級にしなくてはならない場合や、45人学級でもうまくいく場合もあるだろう。そういう柔軟性はあるべきだ。
  •  免許制度がなければ、人材が担保されないという批判があるだろうが、採用試験の工夫でいくらでも見極めはできる。少なくともだれでも取れる免許よりは信頼できる。

人材の入れ替わりがない組織は腐る

なにより、外部の視点が入ることにより、学校の閉鎖性や非常識が排除されることが期待できる。神戸市で起きたような陰湿で執拗な教員いじめや、大阪府の部活で生徒を死に至らしめた部活の過酷な指導も、川崎や大津などでのいじめ事件の隠蔽も、他の教員や職員が、「一生いる職場だから波風はたたせまい」と見てみぬふりをしてしまった面が大きい。

教員の経験と、何社か渡り歩いてきたエンジニアが小さい脳みそで考えたことだ。もっとよいアイデアがあると思う。ただし、学校を社会に巣立つ準備段階にしないと、今のように社会と断絶したままにしておくと、日本の子どもたちにとって、ますますたんなる強制収容所になりさがってしまう。

良くも悪くもも、コロナ禍で社会と企業は大きく変わった。いや、すでに前々から変わっていたのだけれど、コロナ禍で可視化されただけだ。

学校も変わらなくてはならない。

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中沢 良平
元教員、ギジュツ系個人事業主

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