報道のクオリティ:東京新聞記者の「3無し」

岡本 裕明

東京新聞40代男性記者が厚労省でコロナの際のマスクの原価を調べる取材で一線を越えたことに対して同紙が謝罪文を掲載しました。同紙の謝罪文の一部です。

(東京新聞が厚労省に謝罪 記者が取材で暴力的行為 :東京新聞 TOKYO Webから:編集部)

(東京新聞が厚労省に謝罪 記者が取材で暴力的行為 :東京新聞 TOKYO Webから:編集部)

9月4日の取材の際、記者が「ばかにしているのか」と大声を出して机をたたいたり、職員の資料を一時的に奪ったりした。取材時間は3時間45分に及んだ。厚労省から、業務に支障が生じたとして編集局に抗議があった、とあります。

情けない、品格がない、社会人としての常識がないの「3無し」であります。大体3時間45分も居座るというのはヤクザもびっくりの業務妨害。取材を受けた厚労省担当者は新聞記者に変なことを書かれてはいけないし、自分の態度が厚労省全体の印象悪化につながってはいけないと必死に耐えたのだろうと思います。これを本当のハラスメントというのでしょう。

記者の行き過ぎた取材姿勢は時として禍根を残します。私が直接的に覚えているのが雑誌「経済界」の社主、佐藤正忠氏でしょうか?氏がトップで君臨していた頃の同誌は異色であったものの佐藤氏がインタビューし、時の経済人を追いかける記事内容は非常に注目されました。

が、それは読み手側の評価であって、取材を受ける側は戦々恐々でした。私のボスであったゼネコン会長も普段は肩で風を切っていたのに佐藤さんのところに出向くときは借りてきた猫のように変貌しました。その時の我々が作った名言が「ペンは剣なり」であります。「ペンは剣よりも強し」は報道機関の勇気をたたえるものでありますが、「ペンは剣なり」とは恐ろしく真逆の意味を指し、書き手の印象を損ねるとどんな暴力的なものでもかけるのだから気をつけよ、という暗示であります。

記者と称される方は新聞協会によると2019年時点で18000人弱いらっしゃいます。2001年が20700人程度で2017年ぐらいまではあまり減っていないのですが、ここにきて少し減少に転じています。新聞発行部数が激減する中で記者は1割ぐらいしか減っていないというのも腑に落ちません。それだけの数の記者が似たような事件や報道ネタを追うのです。ネット主流の時代となり、ネットメディアが相当増え、報道内容がネット上に「散乱」している中で、報道機関としては「特ダネ」がどうしても欲しいわけです。

かつて記者は「夜討ち朝駆け」などと言われたものですが、冒頭の東京新聞の姿勢は情報をくれるまではてこでも動かないという記者の焦りすら見て取れるのです。

かつてフリージャーナリストの安田純平氏がシリアで3年4カ月も拘束されました。これなども起死回生の報道を求めて命も賭けたといえば聞こえはよいのですが、彼を解放するためにどれだけの税金が投入されたかと考えるとちょっと違うでしょう、と思うのです。

野党の追及も最近はメディアや週刊誌ネタからの流用も多くなってきました。政治家は調査費が出るわけですが、もはやそんな調査より、マスコミから情報を貰った方が便利だというのはその辺にある経済小説の典型的ストーリーでもあります。週刊文春のすっぱ抜きは犯罪ではないけれど社会的に粛清させるようなネタを次々と出してきます。それ故、2020年上半期の同誌の販売部数は前年比100%増で笑いが止まらない状態であります。

しかし、これらの報道はある意味、のぞき見趣味であり、私には「家政婦は見た」にみられる日本人の独特の悪趣味と勧善懲悪が背景にあることを否定しません。真の報道とは誰か有名人の上げ足を取ることが重要なのでしょうか?それよりも社会経済政治問題で本当に提示しなくてはいけない事象を地道に取り上げ続けることが本質的なのだろうと思います。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年10月5日の記事より転載させていただきました。