新渡戸稲造先生と私(下) --- 李 登輝

2020年10月10日 06:00

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李登輝氏と新渡戸稲造(台湾総督府flickr、国立国会図書館HP)

ここで私と新渡戸稲造先生の出会いについてお話ししましょう。

私は1923年、台北郊外の淡水で生まれ、純粋な日本の教育を受けながら育ちました。少年時代から高校時代の私は、古今東西の先人による書物や言葉にふんだんに接する機会を得ることが出来ましたが、これはまさに当時の、教養を重視する日本の教育や学校システムによる賜物であると感謝しています。

台北高等学校在学中、トマス・カーライルの『衣服哲学』を英語の原書で読まされるという授業がありました。日本語訳を少しだけ引用してみましょう。

このようにして『永遠の否定』は、私の存在の、私の自我の、隅々まで命令するように響き渡っていたが、私の全自我が神に創造された本来の威厳を備えて立ち上がり、力強くその抗議を述べたのはその時だったのである。

日本語訳でも非常に難解な文章ではありませんか。しかし当時、「自我」や「死ぬということ」について答えを求め続けていた私には、その大意がじんじんと身に沁みて来るのを感じたのです。もっともっと深く知りたいという衝動に駆られた私は、台北市内の書店や図書館を歩きまわり、内外の関連書を読みあさりましたが、「これは」というものに出会うことが出来ず途方にくれていたのです。

そんなある日、台北市内で最大の公立図書館で偶然に手にとったのが一冊の講義録でした。かつて台湾総督府に在籍し、台湾の製糖業発展に多大な貢献をした新渡戸稲造先生による講義録です。

新渡戸先生は毎年夏、台湾の製糖業に従事している若きエリートたちを軽井沢に集めて特別ゼミを開いていたことがあり、その中心教材としてカーライルの『衣服哲学』が取り上げられていたのでした。すでに黄色く変色したその「講義録」を手にした時、私は思わず飛び上がって喜びました。

そして、何度も何度も読み返しているうちに、原書では十分に咀嚼しきれなかった「永遠の否定」から「永遠の肯定」への昇華を明確に理解していくことが出来たのです。

懇切丁寧な講義録を精読することにより、私が少年時代から常に見つめ続けてきた自分の内面にある「人間はなぜ死ぬのか」「生きるとはどういうことなのか」というメメント・モリ、つまり死生観に対する苦悩が氷解していきました。

この時、新渡戸稲造先生という日本人の偉大さに心底感服したことを覚えています。そしてこの感激は私自身の進路にも大きな影響を及ぼしました。

1942年の春、かつて新渡戸先生が専攻していた「農業経済」という新しい学問分野を私も究めてみたいと望むようになり、迷うことなく進学先を京都帝国大学農学部農林経済学科と決めたのです。

大学進学と前後して、新渡戸先生の農業経済学における代表的論文『農政講義』をはじめ、あらゆる著書や論文を洗いざらい読み込みましたが、その過程で、ついに出逢ったのが、国際的にも大きな評価を得ている『武士道』でした。これにより、私はよりいっそう新渡戸稲造先生に心服するようになりました。

「日本人は如何にして道徳教育を施しているのか」という問いに答えるかたちで日本人の精神を解き明かした『武士道』の著者が、その一方で、西洋哲学の大家による難解な哲学書を解き明かしていることに大きな度量の深さを感じ、まさに「国際人」として新渡戸先生が持つ世界の広さに感銘を受けたのでした。その意味で、後藤新平先生が私にとって「リーダーとしての先生」であるならば、新渡戸稲造先生は「人生の先生である」と言えるでしょう。

新渡戸稲造先生は敬虔なクリスチャンでした。彼が学んだ札幌農学校ではウィリアム・クラーク博士の「物質的な発展や近代化も必要だが、国づくりの根幹はあくまでも人間にある。それゆえに、最も重要なのは人間の精神的な成長や発展である」という固い信念を下地にした倫理教育が施されており、それに感化された新渡戸は当然のようにキリスト教の洗礼を受けるのです。

かくいう私もクリスチャンです。1988年1月、蒋経国総統の突然の死去によって総統に就任してからの12年間、1日として気の休まる日はありませんでした。私には頼れる人も、後ろ盾となる派閥も、情報機関や軍の支持も一切ありませんでした。ただ、私にはキリスト教という強烈な信仰がありました。

この信仰によって、あらゆる困難を排除し、台湾の民主化を成し遂げる信念を持つことが出来たのです。私が常々主張する「指導者は信仰を持たなければならない」という理由はここにあります。つまり、強い信仰を持たなければ、あらゆる問題に恐れを生じ、突破することを躊躇させるからです。指導者の信念を支える原動力は信仰にほかならないのです。

また、先ほど述べたように、後藤新平先生が築いた基礎は、その後の台湾の発展に大きく寄与したと言っても過言ではありません。その、後藤先生が築いた基礎をもとに、新しい台湾を築き、民主化を促進した私は、後藤新平先生とも無縁ではないと思います。

ただ、彼が信仰していた宗教は何か、私にはわかりません。しかし、信仰を持っていたことは十分に想像出来ます。あるいは宗教ではなく、天皇に対する忠誠だったのか、それとも国家に対する信念かもしれません。

後藤先生が台湾で民政長官を務めた以外に東京市長や満鉄総裁を歴任したように、私も台北市長、台湾省主席の時代に都市経営や農村建設を全力でやって来ました。

その際に私が強く感じたのが信仰を持つことの大切さだったのです。新渡戸稲造先生と後藤新平先生、時間的な隔たりはあるものの、彼ら2人と私をつなぐ精神的つながりは、強い信念と信仰心、これを持っていることだと強く感じています。そうした意味で、新渡戸稲造と後藤新平の2人は「私の先生」であります。

限りある生命の時間を公のために尽くすことが出来るのは、ただ信仰の助けがあるからです。指導者が個人や権力にとらわれてはなりません。指導者に必要なのは、まさに「私」の心を捨て去り「公」のために奉仕する「私は私でない私」という信念なのです。

これで本日のお話しを終わりたいと思います。ありがとうございました。

本講演録掲載については、埋葬を終えた7日午後、李氏の秘書を務めた早川友久氏から「ぜひご掲載ください。李総統は、自分で発言したものはすべて責任を取るからすべて公開だ、というのがポリシーでした。講演原稿でもなんでも、自由にお使いいただく、というのが李総統のやり方でしたので、むしろ日本の多くの皆さんにお読みいただければと思います」とのご連絡を頂戴していますこと、ご報告します。(高橋 克己)

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