今週のつぶやき:新高値近い米株式市場、外交問題、学術会議

2020年10月10日 14:00

ノーベル平和賞ほど難しい選考もないかもしれません。それは目立つ人ほど批判も多くなるからです。世の中の考え方が一つではない以上、その選考結果に真逆の論理でクレームすることも可能です。この10年受賞したのは発展途上の国で活躍する方や団体ばかり。特に2009年にオバマ元大統領が受賞し、翌年に中国の劉暁波氏が受賞したころから決定的におかしくなった気がします。今年の平和賞は国際連合世界食糧計画が受賞しています。そもそも物議の多い平和賞、今年も候補には議論を巻き起こす方々が上がっていた中でもっとも安全なところで収めたという感じがしないでもありません。

では今週のつぶやきです。

株式市場は新高値が射程圏に

ナスダック公式Facebookより:編集部

アメリカは追加経済支援策がまもなくまとまりそうな期待もあり、ダウは高値まで800㌦ぐらい、ナスダックも500㌦程度にまで迫っています。一方の日本は1月に日経平均がつけた年初来高値まであと500円程度です。金も高いし不動産も高騰が続いています。どれも共通ワードは長期化する低金利状態であります。そして仮に追加経済支援策が決まれば小銭をもったにわか投機家が投資アプリ、ロビンフッドに資金を突っ込むのが目に見えております。

リスク資産の購入に踏み切る人が増えているとも報じられています。あるいはすでにリスク資産を購入している人はその割合を増やした方も多いでしょう。いわゆる大相場の末期になると相場の素人が市場に参入し、最後の爆上げを演じることはしばしば小説ネタにすらなります。思い出すのが料亭の女将、尾上縫が日本興業銀行を巻き込んだ巨額詐欺事件で一料亭の女将に2300億円を貸し込んだ同行とそのグループのあり方が問われました。

一つだけ覚えておいてほしいのは株価が上がるときは階段を登るようにじわじわとその高揚感を楽しむことができますが、下げに入るとバンジージャンプ状態になる点です。バンジージャンプは一度奈落の底まで落とされた後激しい上下を繰り返す、しかし、絶対に元にいたところには戻らないのです。今日の問題はお金が世界で有り余っていてその運用に困っているということ。これが相場を大きく歪めたとみています。ヘリコプターマネー推奨者のバーナンキFRB元議長は後年、どのような評価となるのか、私には別の意味で強い興味があります。

外交2題

慰安婦像(Wikipedia:編集部)

某省庁の友人がLINEでドイツ、慰安婦像の件について「日本人は舐められている」と怒りまみれのテキストを送ってきました。本件の解決手段はバンクーバー方式である「議論ある事象を第三国で繰り広げないためにその問題が両者の間で平和的に解決するまでは設置を認めない」というやり方を踏襲しました。これはこれで結構。ただ、バンクーバー方式と違ったのは日本政府が全面的に前に出たということ。もしかしたら現地日本人組織が十分に機能しなかったのかもしれません。基本的には政府が表舞台に立つのはタブーなのですが、茂木外相の戦略変更は長期的に功をなすのでしょうか?

一方、日本の外交が叩かれたのがWTO事務局長選の行方です。最終候補は2名の女性、一人が韓国、一人が中国をバックアップにするナイジェリアからの候補者です。例の半導体部品の輸出規制問題がまだ解決していない中、韓国候補者が勝利すれば日本にとっては大きな痛手となるのは目に見えています。ではなぜ、こんなになるまで制御不能だったのでしょうか?産経の見出しには「日本外交失態 究極の選択迫られる」とあります。コロナ禍で工作ができなかったというのは言い訳にすぎません。

WTO事務局長選で、最終選考に進んだナイジェリアのオコンジョイウェアラ氏と韓国の兪明希氏(WTO公式サイトより:編集部)

日本は5年後、10年後に向けて海外で通用する強力な人材を育成すべきでしょう。特に女性が足りないと思います。多分、潜在的才能ある人材はいるはずなのですが、日本政府や関係省庁との距離感や感性が合わないのかもしれません。そのために才能の芽が出てないのだろうと思います。また、アメリカのニュース番組を見ているとコメンテーターの主張が非常に明白で説得力をもち、プレゼンテーションのうまさを感じます。政府はもう少し放牧させながら活躍の場とそのチャンスを作らないと世界の中で戦い続けるのは難しいと思います。

河野行革大臣の手に渡る学術会議問題

菅総理にとって最初の野党とのバトルとなる学術会議問題ですが、国がそもそも運営費を年10億円程度負担しているということは国のお抱え組織であります。政府は各種政策を推し進めるにあたり学術的論拠や支援が必要です。そのあと押しとなれば政府の諮問機関に見えます。ところがウィキには日本学術会議について「日本の国立アカデミー」「政府の特別機関」とあるのです。これはよくよく考えると真逆の定義を二つ並べているようなものであります。

アカデミーの一般的理解は独立した組織が学術的立場から存在するものであります。例えばノーベル賞を決めるスウェーデン王立科学アカデミーは独立行政法人でスウェーデン政府の資金は25%以下で外国人の会員もいます。その点、日本の学術会議は中途半端だと言わざるを得ないのです。諮問機関なのか、独立性の高いアカデミーなのか、であります。では日本にアカデミーを作る土壌があるのか、企業や個人がこれに資金を供するのか、それに見合う成果をどう築くのか難しい課題であります。

ここで本問題の担当になった河野行革大臣がどのような采配を行うのか、ある意味、氏の将来を占う重要な試験のようにも見えます。河野氏の割とドライな考え方からすれば「すっかり一から作り変える」という方向性を出してもおかしくないと思います。目的論とその運営母体の在り方全てが俎上にのせられると思います。では6人の件はどうなのか、ですが、政府の100%お抱えの現状からすれば好き嫌いは出てもやむを得ないと思います。むしろ今まで何をしていたのか、という話ではないでしょうか?与党と野党は理想と現実というか、同床異夢というかこの議論、そもそもが不明瞭なので結論が出ない気がします。

後記

二つの不思議な裁判がありました。一つは池袋自動車暴走事故の飯塚被告の公判で「車の何らかの異常で暴走したと思っている」といまだに言い続けた往生際の悪さ。もう一つは座間市の殺人事件で白石被告が自分の弁護士を無視し、さっさと終わらせたいという姿勢を示し、弁護側の主張(承諾殺人)と被告本人(殺人罪)の主張も食い違っていたことです。被告をどう守るかは弁護士の腕次第ですが、飯塚被告はもともと社会的立場があった人で論理性は理解できているはずです。一方、座間のケースは弁護士のあり方を考えさせられます。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年10月10日の記事より転載させていただきました。

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