これが「刑事裁判」と言えるのか、“青梅談合事件控訴審逆転有罪判決”(下)

2020年10月14日 15:01

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これで「刑事裁判」と言えるのか

刑事の控訴審というのは、一審判決の判断を「事後審査」する裁判であり、最高裁判例でも、控訴審が一審の事実認定を覆すためには、一審判決に論理則・経験則違反があることを具体的に示すことが必要だとされている。ところが、この控訴審判決は、一審での審理を全く無視し、最初から「原判決破棄・有罪」の結論ありきで審理を行ったとしか思えないものだ。

控訴審判決は、

(1)本件当時、酒井組の経営状況は厳しく、年間売上目標の3分の1程度に当たる売上げを計上することができる本件工事を受注することの意味は大きい

(2)被告人のI(相指名業者)らに対する言動をみると、本件工事について、被告人には積極的な受注意思があったと認められる。これに反する被告人の供述は信用できない

(3)30%の数値目標(「外部への支払」を差し引いた金額が受注金額の30%以上となること)との関係では、酒井組が入札した工事価格(9700万円)から、120万円余り金額を引き下げることが可能である

との事実を認定し、そこから、

被告人には、何とかして本件工事を受注したいという「積極的受注意思」があり、しかも、採算を見込める範囲で、入札価格を引き下げることが可能だった。

との判断を導き

被告人が(Iらが所属する5社は、少なくとも本件工事の予定価格以下での入札はしないとの)認識を有していなければ、予定価格の10万円単位以下の部分を機械的に削っただけの価格で入札したとは考え難い。

として、酒井組の入札価格が、談合がなかった場合の価格を下回るとして、「公正な価格を害する目的」を認定し、これを否定した一審判決の判断を覆した。

酒井組の経営状況と大型工事受注の意味

(1)について控訴審判決は、

酒井組は、平成29年5月期に約2058万円の損失を計上し、また、平成28年5月期に約2361万円あった繰越利益剰余金が約303万円に大幅減少していることなどが認められ、本件当時の酒井組の経営状況には厳しいものがあったといえる。また、M(経理担当者)の当審証言及び被告人の当審公判供述によれば、本件当時も、Mは被告人に対し、少なくとも月1回は酒井組の経営状況(財務状況や資金繰り)に関する報告をしており、被告人は平成29年3月頃、Mから報告を受けて、同年5月期の決算が赤字になる見通しであることを認識していたことが認められる。

このような酒井組の経営状況も踏まえると、酒井組の年間売上目標の3分の1程度に当たる売上げを計上することができ、採算を見込むことができる本件工事を受注することの意味は、大きいと認められる。

としている。

しかし、このような判示は、一審の審理や証拠を全く無視したものだ。

一審では、検察官が、「酒井組の経営状況、財務状況が悪化している状況下で本件工事を受注していること」で「積極的受注意思」を立証しようとし、酒井組の会計関係資料の分析報告書や、複数の金融機関の担当者の証人尋問を請求するなど、相当な力を注いだ。

しかし、その結果、逆に、酒井組の経営は、概ね順調で、本件工事を受注した当時、無理に大型工事を受注する必要が全くなく、本件工事受注が実質赤字となったために経営上大きなマイナスが生じたものであったことが明らかになった。

ちょうど、本件工事の入札の時期が期末であった平成29年5月期に、約2058万円の損失が生じたというのも、大型工事の「期ずれ」によって、利益の一部が翌期に持ち越されただけで、本件工事の売上が見込める平成30年5月期には、むしろ利益の増加する要因だった。

酒井組にとって本件工事の受注が特に意味があったことの立証のために、東京都格付けへの影響まで持ち出し、東京都職員の証人尋問まで行ったが、格付けが何ら受注の動機にならないことが明らかになっただけだった。

「本件当時の酒井組の経営状況には厳しいものがあった」と全く実態に反する認定を行った上、酒井組の年間売上目標の3分の1程度に当たる売上げを計上することができ「本件工事を受注することの意味は、大きいと認められる」として、酒井氏の「積極的な受注意思」を認めた控訴審判決は、一審での審理の経過や検察官立証の結末を完全に無視したものだった。

指名業者の証言は無視

(2)も、一審での証人尋問をすべて無視して、検察官調書だけで認定したものだ。

控訴審判決は、「Iらの各検察官調書等の原審証拠によれば、被告人のIらへの言動等に関して以下の事実が認められる。」とした上、指名通知後に、Iに「今日、指名あったか。ほかの皆さんがよければ、うちにやらせてもらいたいんだけど。」と言った事実、Kに対し、「あれ頼むな。」と言った事実、「その2工事について、うちで行きたいんだけど。」と言った事実、Fに「32号行きたいんだよ。よろしく頼む。」と言った事実を認定している。それらは、酒井氏に「積極的受注意思」があったことを示す発言のように思える酒井氏は、そのような発言をしたことを、捜査・公判で一貫して否認していた。

しかし、一審の第1回公判で、保釈のために、心ならずも、検察官調書にすべて「同意」し、証拠採用されたものだった。

私が弁護人を受任し酒井氏が無罪主張に転じた後、相指名業者の人達は、これらの発言を否定し、証人尋問が行われ、最終的には、一審判決は、検察官調書は「積極的受注意思」の根拠となるものではないと判断したものだった。

ところが、控訴審判決は、一審で指名業者の証人尋問の結果それが検察官調書との相反していることは全く無視し、検察官調書に書かれている酒井氏の発言とされた部分を、そのまま認定した。そして、それらの発言を否定する酒井氏の供述は、「信用できない」と理由もなく斬り捨てている。

突然出てきた「積算内訳書」で「採算が見込める工事」だったと認定

(3)は、酒井組では、「外部への支払」を差し引いた金額が受注金額の30%以上となること(粗利30%)を、工事の採算がとれるかどうかの「目安」としていたという「30%の数値目標」を前提に、本件工事の入札の際に、発注者の青梅市に提出した入札価格の「積算内訳書」に記載された金額で「粗利30%」を僅かに超えていたことをとらえ、入札価格をさらに引き下げることが可能だったとするものだ。

確かに、「外部への支払」を差し引いた金額が受注金額の一定割合以上となる、という「粗利」の確保は、工事による収益を確保するための一応の「目安」だと言える。工事部長も、警察調書で、その「粗利」について一般的な目安の数字として、「30~35%」と述べ、一審でも同意書証で証拠採用されていた。

控訴審判決は、その「30~35%」の数字と、酒井組が、本件工事について入札時に青梅市に提出した「工事費積算内訳書」の金額では、その数字が「30.8%」になっていることに目を付けたのである。入札時の酒井組の積算では「30%の数値目標」を「0.8%」上回っているので、それが30%になる金額まで入札価格を引き下げることが可能だった、上記(1)(2)により、酒井氏には「積極的受注意思」があったと認められるから、他の指名業者に連絡して受注意思がないことを確認していなかったら、もっと低い価格で入札していた、との結論を導いた。

そもそも、「入札時の積算」というのは、発注官庁側が示す積算単価を基本にして算定しているものに過ぎず、「工事費積算内訳報告書」も、そのような発注官庁向けに作成提出するものに過ぎない。実際に工事を受注して施工した場合、工事にかかる費用や得られる利益が入札時の積算のとおりになるわけではない。

「30%の数値目標」は、最終的な工事採算に関する数字であり、入札時点での積算価格から、どれだけの費用が実際の工事施工で増えるか節減できるかの見通しを加味して、その目標を実現できるかどうかが判断されることになる。そのことは、公共工事の実務の知識が多少なりとあれば自明なことだ。

そもそも「工事費用積算内訳書」は控訴審の被告人質問で突然持ち出されたものだった。その積算内訳書の数字に「30%の数値目標」を当てはめるなどというのは、一審の検察官の主張にも全くなかった。

「30%の数値目標」で、本件工事の採算性と被告人の認識を立証するなどということは凡そ不可能なはずだ、ところが、控訴審判決ではそれを強引に行っているのである。

その結論を導くための証拠の不足を補うために行われたのが、控訴審裁判所の職権で行われた酒井氏の被告人質問と、経理担当者の証人尋問だった。経理担当者に、「30%の数値目標」が工事収益を見込めるかどうかの基準であることと、それを被告人の酒井氏に伝えていたことを証言させ、酒井氏に、そのように伝えられていたことを認めさせ、工事の収益性を認識していた根拠とすることが目的だった。判決文に引用された2人の供述を見て、職権尋問の目的が初めてわかった。

判決での被告人供述や経理担当者証言の引用も、控訴審での職権尋問で中里裁判長が強引な誘導尋問で、しかも供述の趣旨を歪曲したものだった。経理担当者Mは、「積算は役所に対するものなので、会社内での工事収益の見通しとは異なる」と説明しているのに、それを無視し、入札時の積算で「30%の数値目標」を超えていれば工事の採算が見込めると決めつけた。

被告人質問でも、酒井氏は「30%の数値目標」について聞いた記憶がないと供述しているのに、聞いていたかのような誤った前提で、酒井氏に「工事部長から、本件工事について30%の確保が難しいという話を聞いたか」と質問し、「あまり記憶にない」との供述を引き出した上、判決では、次のように判示している。

被告人は、当審公判で、工事受注に関する話があったときは、当該工事の工事粗利益の報告を受けること、本件内訳書を見たことを認めた上、積算をした段階で、30%の工事粗利益を確保することが難しい場合は、Aからその旨の話が出ると思うが、本件工事について、そのような話を聞いたということは余り記憶にない旨供述していることに照らすと、被告人は、本件工事の入札価格である9700万円が、少なくとも30%以上の工事粗利益を確保できるものであって、本件工事は採算を見込むことができるものであることを認識していたと認められる。

取調べの録音録画の下では、検察官ですら行わないような露骨な「誤導質問」で強引に被告人供述を引き出し、しかも、その供述の趣旨を歪曲して引用し、有罪の証拠にしているのである。

そのような露骨な誤導尋問に対して、異議すら述べなかったのは、弁護人として迂闊だったと言われれば、そのとおりだ。しかし、一審の審理の経過や結果を全て無視し、有罪判決の辻褄合わせのために控訴審職権尋問を行っているなどとは夢にも思っていなかった。

控訴審裁判所の裁判長は、その判断で、刑事裁判の最終結論を事実上確定させる力を持つ。まさに「閻魔大王」のような存在だ。その裁判長に、「誤導尋問です」と異議を述べることは、さすがの私もできなかった。

刑事控訴審とは何のための裁判なのか

刑事の控訴審判決は、上告審で覆されることは殆どなく、一度言い渡されれば、ほぼ確定判決となる。その控訴審の裁判長が、これ程までに露骨な誤導尋問を行い、引き出した供述で一審無罪判決を平然と覆す。それが、日本の刑事裁判の現実なのである。

一審の東京地裁立川支部では、野口佳子裁判長以下3人の裁判官が、第1回公判で起訴事実を全面的に認めながら、第2回で無罪主張に転じた被告人の酒井氏の言い分にも耳を傾け、同意書証として採用済みだった検察官調書についても、改めて証人尋問を行うなどして、信用性を慎重に検討し、「公正な価格を害する目的」の有無という最大の争点について、検察官にも立証の機会を十分過ぎるほど与えた上、酒井氏に無罪を言い渡した。

それにもかかわらず、不当極まりない「検察官控訴」の判断を行ったのが、黒川検事長の下の東京高検だった。

それに対して、控訴審裁判所は、一審裁判所の無罪判決について、審理の経過や判断を評価検討し、刑事事件判決として特に不合理な点の有無を慎重に判断し、不合理な点がなければ、直接審理を行った一審裁判所の判断を尊重する、というのが、同じ裁判所組織に属する一審裁判所が下した判断に対する、控訴審裁判所としての当然の姿勢だと思っていた。

ところが、中里裁判長らが行ったことは、それとは真逆であった。検察という組織の決定に基づいて検察官が行った「控訴」という結論の方を尊重し、それによって否定された一審無罪判決に対して、最初から「破棄する」という「結論ありき」で審理に臨んだのである。

これが、果たして刑事裁判と言えるのだろうか。

「人質司法」を丸ごと是認するのか

日産自動車のカルロス・ゴーン元会長が逮捕された事件でも、前近代的な日本の刑事司法、とりわけ、無罪主張を行う被告人が長期間身柄拘束される「人質司法」に対して、国際的な批判が高まった。

ゴーン元会長と勾留されていた東京拘置所(日産サイト、Wikipediaより)

本件は、そういう「人質司法」に押しつぶされ、一旦は心ならずも起訴事実を認め、有罪判決を覚悟した被告人が、その後、裁判所の公正な判断を求めて無罪主張に転じ、1年近くの審理の結果一審無罪判決を勝ち取ったものだった。それは、日本の「人質司法」に一石を投じる事件でもあった。

ところが、控訴審では、一審の第1回公判で同意書証として採用された証拠だけを証拠として扱い、それ以降の、一審での審理はすべて無視、証拠が足りない部分は、控訴審で被告人らの職権尋問を行って、強引な誘導で引き出した(引き出したことにした)供述で、一審無罪判決を覆し、有罪とした。

それは、

一審で一旦有罪を認めた被告人が無罪主張に転じても、耳を貸す必要はない。無罪主張をしたければ、保釈を認められないことを覚悟して、検察官証拠を争い、その分、身柄拘束が続くことを覚悟しろ、それに耐えられる被告人であれば、無罪主張に耳を傾けてもいいが、保釈で出たいのであれば、無罪主張は諦めろ

と言って「人質司法」を丸ごと是認することにほかならない。

信じ難いことに、このような判決を下した中里裁判長は、司法研修所教官、東京地方裁判所部総括判事、水戸地方裁判所所長などを歴任し、2018年から東京高裁部総括判事を務めている「エリート中のエリート」であり、定年まで4年を残している。今後、高裁長官、最高裁判事などに就任する可能性もある、まさに、日本の刑事裁判所の中核にいる人物である。恐るべきことに、本件の控訴審判決のようなやり方が「日本の刑事裁判のスタンダード」ということなのである。

日本では、検察官が起訴した事件について「推定無罪」ではなく「有罪の推定」が働く。一審で無罪判決が出ても、検察が組織として有罪と判断して控訴すれば、再び「有罪の推定」が働き、一審無罪判決は容易に覆される。残念ながら、それが日本の刑事裁判の現実である。それは、「人質司法」と並んで、憲法上の「裁判を受ける権利」を著しく害するものなのである。

もちろん、このような「凡そ刑事裁判とは言えない判決」に屈することはできない。上告審でも、全力を挙げて戦い続ける。

しかし、その戦意も、そのための気力も、そろそろ限界に近づき始めている。

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