乳腺外科医冤罪?事件

中村 祐輔

写真AC

今、医療界で最も話題となっているのが、いわゆる「乳腺外科医冤罪?事件」である。手術直後の女性患者の胸を舐めたなどとして準強制わいせつ罪に問われ、東京地方裁判所では無罪となったが、東京高等裁判所においては「被害者が診察だと信頼した状況を利用した犯行で、刑事責任は軽視できない」として懲役2年の実刑判決が出されている。日本医師会長と日本医学会長が、この判決に対して抗議を表明している。

乳腺外科医控訴審判決に対する見解を示す(日医オンライン)

医師の常識としては、被害者の訴える状況は考えにくい。麻酔によってせん妄状態になり、性的被害を受けたと訴えた例は少なくない。特に、このケースでは他の入院患者もいる部屋で起こったとされるので、なおさらに、考えにくい状況である。

日本医学会長の門田守人先生は抗議声明のなかで、ご自身の外科医としての経験として、起こりえない状況であると述べられているが、警察による解析結果が正確であるということがそもそもの検証のスタートであるとした上で、「遺伝学的な検査の科学的評価をもう少し正しく示して頂きたいというのが学術団体としての考え方だ」との見解を示されていた。

裁判でどのような証拠が採用されたのかはわからないが、科学的な評価がすべてではないのか?冤罪との前提で、最近では、ネット上で、被害者の個人攻撃のようなコメントを見かけることもあるが、冤罪と決めつけることは、被害者が嘘をついていると決めつけることと同じことである。被害者の人権侵害のような悪意あるコメントは、事実から目をそらすことになり、これでいいのかと思うところが多い。

多くの医師は、麻酔によってせん妄を生ずることを知っている。病室、しかも、他の患者がいる状況で胸を舐めるような行為はありえないと考えるのが普通だ。それにもかかわらず、なぜ、起訴されたのか?有罪と判断されたのか?手術をして、その後の状態を診察しながら、患者さんに話しかければ、飛沫が飛ぶことは、コンピューターによるシミュレーションからはありうることだ。

当然ながら、飛沫は唾液成分であるので、唾液腺から分泌されたアミラーゼは含まれることになる。唾液や膵液に含まれるアミラーゼの活性は非常に高いので、微量であってもアミラーゼの活性は検出される(どうでもいいことだが、人の唾液腺と膵臓のアミラーゼ遺伝子をクローニングして、mRNAの遺伝子配列を決めたのは私だ)。そして、唾液には細胞成分が含まれる(今や、唾液からDNAを取り出して利用している)ので、飛沫が飛べば胸を拭き取った試料から医師のDNAが検出されても不思議ではない。

したがって、被害者が提出した試料に含まれるアミラーゼの活性や医師のDNAの量が決め手となるはずである。科学的に考えれば、簡単に判別できるはずのことだが、どうも、報道されている内容からは、この点が明確に伝わってこないのである。ブログでも取り上げようと思ったが、こんなことくらいは調べたであろうと思って、科学的事実も知らずにコメントすることを躊躇っていた。

報道されている事件の内容は、私の短い外科医の経験でもありえない話だとは思う。そして、冤罪で実刑とされ、医師免許がはく奪されることになれば、この医師の一生は大きく傷つけられることになってしまう。「疑わしきは罰せず」が原則であるので、有罪と判断した裁判官は、100%黒と判断するだけの材料があったはずだが、流れてくる報道情報では、黒と判断するにはかなり無理のあった様子だ。

最高裁判所で争われることになっているが、科学的な証拠があれば、ここまで長引く必要のない案件だ。感情的にならず、裁判で科学的な証拠について議論ができれば、正義は実行されるはずだ。

コロナウイルスワクチンについて、英国で健康な人にワクチンを投与した後、ウイルスに暴露する研究が開始されると報道されていた。日本では危険な人体実験だと批判する声が多い。しかし、英国ではすでに76万人以上が感染し、約4万4000人が亡くなっているのだ。

現在、第2波に襲われ、日々15000人が感染し、100-200人が命を奪われている。このまま感染が拡大すれば、被害がどこまで広がるのか先が見えないし、現状が続けば経済も壊滅的となる。副反応のリスクを覚悟で、この危機に早く対応することの是非は結果を待つしかない。

ただ、いい結果になれば、英国国内だけでも数万人、数十万人もの命が救われ、世界中では百万人単位の命が救われる。経済的なダメージを含めれば、数千万人単位の人の命が救われるだろう。被験者になる人がリスクを理解して、世界に貢献する覚悟があるなら、立派なものだと私は考える。


編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2020年10月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。