緊張の台湾海峡、日本の傍観が許されない歴史的理由

高橋 克己

蔡総統の双十節演説と中国の反応に関する16日の本欄拙稿を読んだ台湾の友人から「台中戦争はあるか?」とメール到来。咄嗟に「米国の台湾を守る意志が固いからないと思う。が、中国が近海へミサイルを打ち込むくらいはあるかも」と返信したのだが、少しく真剣に考えてみた以下、中華人民共和国は中国または大陸、中華民国を台湾と称す。

蔡総統の双十節演説(中華民国総統府公式サイトより:編集部)

筆者は拙稿で、蔡総統が、台湾は両岸問題に急いで行動せず安定維持を約束するが、これは台湾単独で担えない双方の共同責任だとし、有意義な対話を促進するための協力を厭わないと述べた台湾を歴とした国家と位置付けた巧みな言い回し評価した

そして台湾の野党国民党が、米国との国交回復の積極的推進中国機による領空侵犯に対する米国との一層の軍事協力を進めること蔡政権に対し要求する決議案を出し、与野党一致で可決したことを、台湾における「歴史的転換の兆し」と書いた。

他方、中国共産党系の環球時報が蔡演説に対し海峡全体の平和を維持するための基礎は、軍事闘争への確固たる準備だけだ」とか「中国本土には台湾の離脱を強制的に阻止する決意がある」とか述べるのを「追い詰められていることの現れし、「台湾海峡波高し、には違いない」と稿を結んだ

最近の両岸問題「4カ国外相会合」訪日しポンペオ米国務長官が6日、「中国の侵攻を黙って見ているにはいかない」と明言、16日にオブライエン国家安全保障顧問「中国による台湾への武力侵攻には黙っていない」「台湾を孤立させる中国は自らを孤立させる」と警告した

環球時報米国から台湾への武器売却が報じられた14日武器売却は武器業者から支持を得るためのトランプの再選キャンペーンで、旧式の武器を台湾に高値で販売したいだけだから、人民解放軍衝突させて犠牲を出すことはない、などとの識者の弁を載せた

同紙のまとまった米国批判は17日の「米国は台湾との明確な同盟に向かっているかだ。記事は「台湾は国際法上の独立国家でなく中国の不可欠な部分」なのに、国家間の協定である「軍事同盟」に動いているのみならず、高官を訪台させ「中米共同コミュニケを露骨に破ったと米国を批判した。

さらに、米国の対中政策は超党派なのでバイデンが大統領になっても、米台の軍事関係強化は変わらないとしつつも、「台湾が反分裂国家法のレッドラインを越えた場合」、米国が軍隊を出すかどうかは判らないが、「台湾を取り戻すという中国中央政府の決意」は揺るがない、と威嚇する

習総書記は23日の朝鮮戦争参戦70周年記念大会で、我々が国家の主権・安全・発展上の利益が損なわれることを座視することは断じてありえず、それがいかなる者、いかなる勢力であれ、祖国の神聖な領土を侵犯し、分裂させることを許すことは断じてありえない」と演説した(*人民網日本語版)。

朝鮮戦争に擬え台湾統一への決意に触れた格好だが、これを報じる23日の環球時報、「習主席は、朝鮮民主主義人民共和国米国の侵略と韓国支援に抵抗する戦争への、中国人民志願軍の参戦70周年を記念して北京で開かれた会議で講演した」と書き、冒頭からあからさまに歴史を捻じ曲げる。

朝鮮戦争は、北朝鮮の金日成がスターリンの許可の下南へ攻め込んで始まったことは今や定説当時の人民解放軍には朝鮮国境沿いに居住していた朝鮮族や国共内戦後に共産軍に投降した国民党兵士が少なからず含まれ義勇軍の名を隠れ蓑にした中国軍にはこの手合いが大勢いた

他方、マッカーサーは朝鮮戦争の国連軍に国共内戦に敗れて台湾に逃げ蒋介石の国民党軍を投入しようとしてトルーマン大統領に拒否された経緯がある。これもトルーマンが拒んだ原爆使用はやり過ぎと思うが、このとき国民党軍投入が実現していたら疾うに「二つの中国」が実現していたかも知れぬ。

そこで「一つの中国」の話になる。実は、1624年のオランダ東インド会社による台南占領を以て西欧の世界史に登場した台湾の「四百年の歴史」(史明)の中で、台湾が大陸(中国に支配された時代はほとんどない。つまりずっと「二つの中国」だった。

先ずオランダを駆逐した日中混血の鄭成功の23年間反清大陸反攻次の213年も18世紀までは版図に入れず、男子のみ渡台す(家族は人質)歪んだ統治だ。そして50年間の日本統治を経て、蒋介石の国民党による戒厳令下の独裁統治李登輝総統の登場まで約40年間続いた。

では内戦に敗れた蒋介石の国民党が、なぜ我が物顔で台湾に来たのか。それは1945年9月2日に日本の降伏文書署名と共に公布されたGHQ一般命令第一号起因する。同命令は300万ともいわれた日本陸軍が誰に対して武装解除するかを指示したもの

そこに台湾(満州を除く支那と北部仏印も)の日本軍は「蒋介石元帥に降伏すべし」とあった満州、北朝鮮と北方領土はソビエト軍司令官、南洋は豪州軍司令官、他は米軍だ。これは43年12月の「カイロ宣言」にほぼ基づく初代台湾行政長官陳毅は44年春から日本資産の接収準備をした。

ポイントはこれが日本陸軍の武装解除先を決めたに過ぎず、連合国が台湾を蒋介石の領土と決めた訳でないこと。国際法上の台湾の帰属は、今も51年9月のサンフランシスコ講和条約で「日本が放棄」したまま(なお、千島列島も放棄しただけ。朝鮮半島は独立を認めた上での放棄)。

日本敗戦後、大陸で国共内戦が本格化し、共産党軍は49年10月に中華人民共和国を建て、蒋介石はその年の12月台北に臨時政府を移した。その頃までに渡台した国民党軍とそれに従う者(外省人)は約2百万に上ると推定される。

以降、大陸の「台湾解放」と台湾の「大陸反攻」の政策のせいで各々の「一つの中国」が定着した。というのも大陸中華民国の一部とする「大陸反攻」を唱え続けることこそが、蒋介石のレゾンデートルだった。そうであれば毛沢東は意地でも台湾統一を唱えることになる。

いい迷惑なのは終戦時に6百万人いた日本統治以前に対岸の福建省や広東省(主に客家)から渡台していた本省人だ(1割弱は原住民)。約300百年間に台湾に渡った彼らは、かなりの比率で原住民平埔族と混血して台湾アイデンティティーを持つ。白色テロ(二二八事件)を経てそれが強まった。

現総統蔡英文は母方から原住民の、父方から客家の血を引く生粋の台湾人だ。三通で多くの台湾企業を大陸に渡らせた馬英九元総統は香港生まれの外省人だが、戦後の75年経って世代は二回転し、本省人と外省人の垣根も低まった上、コロナ禍がさらに台湾人を結束させた。

以上、「GHQ一般命令第一号」が今日のアジアを取り巻く諸課題の(もとい)の一つであるからには日本には、米国だけに孤軍奮闘させるのでなく、アセアンをまとめ、米国と共に欧州も巻き込んで、中国共産の周縁部における人権侵害とやめさせ、台湾侵攻を思い止まらせる責務がある。