慣例を破り瞞し討ちの猿芝居にしたのは学術会議だ

日本学術会議の梶田隆章会長らは29日、記者会見を開いて、「学術会議の運営に著しい制約になっている」「青天のへきれきともいうべき事態」「(政府と)未来志向の対話を行っていく上で、任命拒否問題が大きな妨げになる」といっている。

しかし、これは、まず、事実関係に反する。2014年の任命の時には、最終的には全員を任命しているが、丹念に1人1人の推薦理由をヒアリングし、2016年の定員補充のときは一部を拒否し、2017年の任命のときは定員以上の人数の推薦をさせている。

そうした経緯を通じて、政府と学術会議の間では、内閣が一定の範囲で介入することについて習慣ができあがっていたのである。

それを山極寿一前会長が政府に喧嘩を売ったのが今回の事件だ。もちろん、政府にも、推薦に先立って説明がないことなど先回りして釘を刺さなかったミスはあるが、基本的には山極氏のだまし討ちだ。このような掟破りは氏が研究するゴリラの世界でも許されまい。

また、梶田会長の理屈も学者とは思えぬ非論理的なものであり、学者らしく世間の常識に沿わぬ唯我独尊なものだ。

人事案が上部機関から拒否されて空席になって業務に支障が出たら、速やかに別の名前をもって協議するのが普通だ。理由を説明されないと「代案を持って行けない」などと言っても、「自分で考えろ」と突き返される。そして今度はそれを「気に食わない」といって横になってふて寝したら「どうぞ御勝手に」と突き放されるだけだ。

学術会議会長として抵抗するのは勝手であるが、それなら、ストライキでも全員辞任でもやればよろしい。法律を変えて組織を廃止される可能性も覚悟して戦えばいい。どうなるかは、選挙を通じて国民が決める。

いずれにせよ、学術会議が廃止されたら学問の自由がなくなるわけでもなんでもない。学者の業界団体として新学術会議のようなものを結成して、会費を集めて運営し、予算ももらわず、いまの六本木の一等地の事務局も出て、正々堂々と政治活動すればいい。