南仏ニースの教会襲撃テロ:イスラム過激思想の背景と「問題点」

フランス南部のニースのノートルダム大聖堂で10月29日、21歳のチュニジア出身の男が教会にいた3人をナイフ(長さ約17cm)で殺害、1人の女性(60歳)の首を切るといった事件が発生、捜査当局はテロ事件として逮捕した男の背景などを調べている。

テロの現場ニースを訊ね、イスラム過激派テロとの戦いを決意するマクロン大統領(2020年10月29日、フランス大統領府公式サイトから)

男は9月末、イタリアのランぺドゥーザ島に着くと、10月上旬にフランスに入国している。警察隊の銃撃で負傷を負った。男は犯行現場で「神は偉大なり(アラー・アクバル)」と叫び続けていたという。マクロン大統領は同日、現場に駆け付け、イスラム過激テロを厳しく批判し、「フランスはテロには屈しない」と述べている。

フランスでは10月16日午後、パリ近郊の中学校の歴史教師が18歳のチェチェン出身の青年に首を切られた殺人事件が国民に衝撃を与えたばかりだ。殺害された教師は授業の中でイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を描いた週刊誌を見せながら、「言論の自由」について授業をしていた。

同国では4年前の2016年7月、北部のサンテティエンヌ・デュルブレのローマ・カトリック教会で2人のイスラム過激派テロリストによるアメル神父(85)を人質とするテロ事件が発生した。テロリストは特殊部隊によって射殺された。神父は首を切られて殺されていたことが明らかになると、フランス全土に大きな衝撃を与えた。

いずれにしても、イスラム過激派テロリストが教会を襲撃し、キリスト者の首を切るという犯行の背景には、キリスト教への強い憎悪と敵愾心があることは間違いないだろう。

2015年1月7日午前11時半、パリの左派系風刺週刊紙「シャルリー・エブド」本社に武装した2人組の覆面男が侵入し、自動小銃を乱射し、建物2階で編集会議を開いていた編集長を含む10人のジャーナリスト、2人の警察官などを殺害するというテロ事件が発生して以来、同国ではイスラム過激派によるテロ事件が多発している。

ところで、ロシアの文豪ドストエフスキーの「罪と罰」の主人公、貧しい元大学生ラスコーリニコフは、「自分のような選ばれた人間は社会の道徳を踏みにじっても許される」と考え、金貸しの強欲狡猾な老婆を「存在する価値のない人間」と見て、殺す。主人公には「神がいなければ、全ては許される」という思想があった。

一方、イスラム過激派テロリストは「神が命じるならば、全ては許される」と考え、関係のない人々を襲撃し、殺害、その首を切るという蛮行を行う。前者は神の不在を信じて犯行を行い、後者は神の願いを果たす使命感に燃えて殺害を繰返す。

前者はキリスト教の世界を舞台に、「神の存在」云々が問われているが、後者の主人公はイスラム教の世界に生き、「神の存在」云々はテーマではなく、神の願いを行う戦士として戦場で向かう。「神の存在」で揺れる21世紀のキリスト教の知識人たちが時たまイスラム過激派の絶対信仰に恐れと同時に焦燥感を覚える、というのは理解できる。

キリスト教の「聖書」もイスラム教の経典「コーラン」も共通している点は、神は唯一の存在であり、他の神を崇拝してはならないと、異教の神に対し繰り返し警告を発していることだ。ちなみに、旧約聖書に登場する神は「妬む神」(「出エジプト記」20章)という。

著名なエジプト学(Agyptologen)のヤン・アスマン教授(Jan Assmann)は、「唯一の神への信仰( Monotheismus) には潜在的な暴力性が内包されている」という。「絶対的な唯一の神を信じる者は他の唯一神教を信じる者を容認できない。そこで暴力に訴える行動が出てくる」と説明し、「イスラム教に見られる暴力性はその教えの非政治化が遅れているからだ。他の唯一神教のユダヤ教やキリスト教は久しく非政治化を実施してきた」と指摘し、イスラム教の暴力性を排除するためには抜本的な非政治化コンセプトの確立が急務と主張する(「唯一神教の『潜在的な暴力性』とは」2012年6月5日参考)。

同教授は、「イスラム教はその絶対的真理を剣を振り回しながら広げようとする。同時に、終末が近い、神の敵を処罰しなければならない、といった切羽詰った終末的思考が生まれる。それに対し、ユダヤ教やキリスト教は唯一神教の政治的な要素を排除するプロセスを既に経過してきた。ユダヤ教の場合、メシア主義(Messianismus)だ。救い主の降臨への期待だ。キリスト教の場合、地上天国と天上天国の相違を強調することで、教えの中に内包する暴力性を排除してきた」という。だから、イスラム教国のシャリア導入はその教えの非政治化とはまったく逆の道となる(「『妬む神』を拝する唯一神教の問題点」2014年8月12日参考)。

また、イスラム教専門家、イエズス会所属のサミーア・カリル・サミーア神父(Samir Khalil Samir) は、「コーランは平和的な内容だが、同時に攻撃的な個所もある」という。同神父によると、ムハンマドは610年、メッカ北東のヒラー山で神の啓示を受け、イスラム共同体を創設したが、メッカ時代を記述したコーランは平和的な内容が多い一方、ムハンマドが西暦622年メッカを追われてメディナに入ってからは戦闘や聖戦を呼びかける内容が増えたという。

旧約聖書の「神」は厳格であり、妬む神だが、新約聖書では「愛の神」を具現化したイエスが前面に出てくる。コーランではメディナ時代とメッカ時代で内容が明らかに違うわけだ。イスラム過激派思想を理解するためにも、コーランが誕生した背景などの研究が不可欠だろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年10月31日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。