12歳の誕生日に寄せて〜ALS父親を持つ娘の夢の変化

恩田 聖敬

娘は幼稚園の頃からこれまで一貫して、将来医者になってパパの病気を治すと言っていました。

しかし最近私の前でも、『本が好きだから司書さんになりたい』と言うようになりました。私は正直ホッとしました。

私のALSと娘の人生は関係ありません。私のために変な気遣いは無用で、自分のやりたいことを目指して欲しいとずっと思っていました。

私がALSを発症したのは娘が年中の頃でした。あれから時は流れ、娘は来年には中学生です。娘には私が元気だった頃(今でも元気!動けた頃)の記憶が残ってます。溺愛してたので(笑) もちろん今も溺愛してます(^ ^)

現在、娘の中の『ALSの父親』がどんな位置付けになっているかは測りかねますが、妙なしがらみから解放されたのかなと思います。これからも親として娘の成長を見守っていきます!

親には子供を育てる義務があります。その義務はALSだからといって逃がれることは出来ません。妻と共に、その有り難い義務を生涯全うします!

一方、子供に親の面倒を見る義務はありません。子供の人生は子供のものです。私はそう考えています。私の親も私の人生に一切干渉しないでくれました。

だから私はこれから先も娘に介護をさせるつもりはなく、完全他人介護を貫きます。娘との関係は例えALSであっても純粋な父と子でありたいです。無限の可能性がある娘の未来に幸あれ!

*ALS研究者の方々、娘の代わりに治療法の確立よろしくお願い致します(^ ^)


この記事は、株式会社まんまる笑店代表取締役社長、恩田聖敬氏(岐阜フットボールクラブ元社長)のブログ「ALSと共に生きる恩田聖敬のブログ」2020年11月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。