津田大介氏「金は出すけど、口は出さない」は財政民主主義の否定だ

2020年11月12日 06:00

妙な話ばかりする

高須克也院長が主導した愛知県の大村知事へのリコール運動が活動休止になった。

愛知知事のリコール活動、高須氏が休止 署名は43万筆(朝日新聞デジタル)

これに対して「あいちトリエンナーレ2019」で芸術監督を務めたジャーナリストの津田大介氏はツイッターで、「中止はいいんですが集めた43万5000人の署名、複数の選管から『同じ筆跡の署名が大量にある』という報告があったり『署名してないのに自分の名前入ってた』という報告も聞こえてきて」とした上で、「事実なら健全な民主主義を阻害する大問題なのでメディアはぜひこの件の追加取材お願いします」と述べたという。

自分で取材しないところが彼らしいし見方によっては選挙管理委員会の守秘義務に係る重大な話だと思うが、まあ、ただ難癖だろう。

そんな津田氏だが美術専門雑誌のインタビューの中で「あいちトリエンナーレ2019」を回顧し今後の展望についても語っている。

津田大介インタビュー。「あいちトリエンナーレ2019」がつなぐもの

津田氏は「表現の不自由展・その後」への批判を「あの騒動で『特定の人が不快になる表現には公金を使ってはいけない』という価値観がいまの日本人のデフォルトなんだということを突きつけられました」との見解を示した。

騒動の関係者との繋がりでは「大村知事とは、あいトリが終わったあともたまにメールなどで連絡したり、意見交換をさせていただいています」と語り、このコロナ禍でも大村知事に対し「僕からもいくつかコロナでダメージを受けた文化芸術セクターへの支援策を提案させていただいたりしました」という。

今後については「政治から芸術祭を切り離す―『金は出すけど、口は出さない』環境を構築することがゴールになるのだと思います」と述べている。

津田氏は実に簡単に公金と語るが、言うまでもなくそれは税金であり、国又は地方公共団体の政策的役割を果たすための資金である。

あいトリは愛知県の補助金を含む支援で成立している事業であり地方公共団体の事業である以上、その役割を果たしているのかが重要である。

地方自治法第一条の二にも

地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものとする。

と明確に規定されている。

あいトリの「表現の不自由展・その後」への批判は地方自治法で規定する「住民の福祉の増進を図ること」に資していないのではないかという批判に過ぎない。「特定の人が不快」云々なんて妙な話である。

また、大村知事との交流は「金は出すけど、口は出さない」という芸術祭への公的支援体制の確立のためだと思うが、公金にこだわるならば忘れてはならない存在がある。

それは議会である。なぜなら予算を決定するのは首長ではなく議会だからである。首長はあくまで予算を調製(作成)し執行する主体である。例外的に災害などの緊急事態に対応するために事前議決を経ないで予算を執行する「専決処分」が認められるが、これは事後議決が義務付けられている。芸術祭への公金支出が「専決処分」にふさわしいとはとても思えない。

おそらく津田氏は予算を「事実上」決定するのは議会ではなく首長という理解で大村知事と交流しているのだろう。

実際、インタビューでも議会への見方は冷たくあいトリの名称が変わることについて「名称が変わる理由は、自民党県議団の圧力です。彼らは議会で多数派なので、予算を通すかどうかは彼ら次第」という調子である。

この津田氏の議会軽視の姿勢はある意味、首長が絶大な権限を持つ地方自治の「現実」ともいえるが、そこに肯定的要素はない。議会を軽視する姿勢にどんな価値があるというのか。

もちろん地方議会には様々な課題があるが津田氏よりは民主的正統性はある。

はっきり言って津田氏が目指す「金は出すけど、口は出さない」という公的支援体制は財政民主主義の否定である。議会の生成史を考えれば財政民主主義の否定は極めて重大なことである。

この主張は津田氏特有のものではない。

朝日新聞も社説(1/16)で「英国では、表現活動に金は出すが口は出さない『アームズ・レングス』の原則を、長い時間をかけて築いてきた。日本でも、確かな制度づくりが今後の課題である」と主張している(参照:(社説)芸術と社会 自由創作が豊かさ育む)。

この日本に「芸術」の名の下、国民の預かり知らぬところで税金を自由気ままに使うことを当然視するジャーナリスト、新聞が存在することに驚く。

表現の不自由展中止を報じた当時の朝日新聞(2019年8月4日付朝刊:編集部撮影)

健全な民主主義を阻害するのは誰か 

冒頭でも触れたように津田氏は「健全な民主主義を阻害する大問題」という表現でリコール運動に難癖をつけたが、この言葉がふさわしいのは氏自身だろう。「金は出すけど、口は出さない」を目指すなど「健全な民主主義を阻害する大問題」以外の何物でもない。

そしてリコール運動では津田氏以外にも「健全な民主主義を阻害する大問題」が確認された。それはリコール反対運動の存在である。リコール運動では「反対の署名」を求められない。賛成の署名をしたい人間が署名すれば良いだけである。あえて反対運動するのは尋常ではなく賛成派への威嚇行動とも解釈できる。

だからリコール反対運動に従事した者を安易に「市民」と表現すべきではない。

最後に芸術活動への公的支援を当然視する芸術家の方々に問いたい。本当に公的支援がなければ魅力ある作品は造れないのか。魅力ある作品とは公金の多寡ではなく芸術家の手の中から生まれるものではないのか。

魅力ある作品には自然と「民」の支援が集まり「公」とは無縁になる。芸術家の方々はもう少し自分の作品に自信を持っても良いのではないか。

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