バチカンが防戦する「不都合な事実」

長谷川 良

バチカン・ニュース(独語版、11月20日)を開くと、「故ヨハネ・パウロ2世の列聖は急いで実行されたのではない」という見出しの記事が目に入ってきた。このタイトルを見る限りでは、27年間、ローマ教皇を務めたポーランド出身のヨハネ・パウロ2世(在位1978年10月~2005年4月)の列聖は早すぎた、という批判が前提にあることが分かる。そして、「その批判」はやはり正しかったのではないか、という思いが湧いてくる。

記事では、ヨハネ・パウロ2世とその後継者べネディクト16世(在位2005年4月~13年2月)の時代に、ローマ司教区総代理を務めたカミロ・ルイーニ枢機卿がイタリアのメディア イルフォグリオ(Il Foglio)の中で、「ヨハネ・パウロ2世の列聖は急いで行われたわけではない」と懸命に弁明し、同2世が亡くなった日に多くの信者たちが「Santo subito」(直ぐに聖人に)と叫んだ、と証言している。

ヨハネ・パウロ2世(SerafinoMozzo/iStock)

ヨハネ・パウロ2世は生前、「空飛ぶ教皇」と呼ばれ、世界各地を司牧し、冷戦の終焉に貢献した。同2世は2014年4月27日、第2バチカン公会議(1962~65年)を招集し、カトリック教会の近代化に乗り出したヨハネ23世(在位1958年10月~63年6月)と共に列聖された。

ヨハネ23世の場合、亡くなって50年以上の時間が経過したが、ヨハネ・パウロ2世の場合、亡くなって9年しか経過していない。異常に早い列聖であることは間違いない。

教会の一部で、先の記事の見出しのように、「ヨハネ・パウロ2世の列聖は早すぎたのではないか」という声が出てくるわけだ。そしてここにきて「その声」が次第に大きくなってきている。

ところで、カトリック教会で聖人となる道は平坦ではない。聖人となる前に福者のハードルを越えなければならない。

それを通過した人が聖人への審査を受けるわけだ。福者になるためにも、その人物が何らかの超自然的現象、例えば、病を癒したといった奇跡が必要だ。少なくとも2人の証人が必要となる。そのハードルをクリアして福者入りする。列聖の場合、更に2件の奇跡の証人が必要となる、といった具合だ。

例外は、殉教者だ。奇跡の審査を通過しなくても即聖人の道が開かれる。このコラム欄で紹介したが、アウシュビッツ強制収容所で他の囚人のために自分の命を捧げたポーランド人のマクシミリアン・コルベ神父もその一人だ。

最近ではフランス北部のサンテティエンヌ・デュルブレのローマ・カトリック教会のジャック・アメル神父だ。同神父(当時85歳)は2016年7月26日、礼拝中にイスラム過激派テロリストに首を切られて殺害された。

ヨハネ・パウロ2世の場合、2011年5月、列福されたが、バチカンの奇跡調査委員会はフランスのマリー・サイモン・ピエール修道女の奇跡を公認している。彼女は01年以来、ヨハネ・パウロ2世と同様、パーキンソン症候で手や体の震えに悩まされてきたが、05年6月2日夜、亡くなった同2世のことを考えながら祈っていると、「説明できない理由から、手の震えなどが瞬間に癒された」というのだ。「列聖」入りのためのもう一つの奇跡は、コスタリカの女性の病気回復だ(ヨハネ23世の場合、フランシスコ法王は列聖のための奇跡調査を免除している)。

ヨハネ・パウロ2世の列聖までの時間が最短なのは、ベネディクト16世が同2世の福者から聖人への待ち時間の規約を撤廃したからだが、当時から「なぜヨハネ・パウロ2世の列聖を急ぐのか」という声はあった。急がなければならない理由があるのだろうか。やはり、あったのだ。

ヨハネ・パウロ2世の列聖に疑問を呈するファイルが出てきたのだ。バチカンは10日、性的虐待の罪により還俗させられたテオドール・マカーリック枢機卿(米ワシントン大司教)が行った性犯罪のドキュメントや証言をまとめた調査報告ファイルを公表した。

460頁に及ぶ同ファイルの中でヨハネ・パウロ2世のミス・マネージメントが浮かび上がってくるのだ。同2世はマカーリック枢機卿(現在90)を大司教にし、教会最高位の枢機卿に任命しているから、現代風に表現すれば、任命者の責任問題が出てくるのだ。

「マカーリック枢機卿ファイル」では、バチカンが2000年マカーリック枢機卿をワシントン大司教に任命したのは不完全な情報に基づく決定であり、後日間違いだと判明したこと、2017年までマカーリック枢機卿の未成年者への性的虐待に関する情報をバチカンは入手しておらず、枢機卿の性犯罪が判明するとフランシスコ教皇は迅速にマカーリック枢機卿の枢機卿称号をはく奪し、還俗処分を実施したことなどが明記されている。

要するに、マカーリック枢機卿の性犯罪問題ではフランシスコ教皇には落ち度はなかったといいたいわけだ。フランシスコ教皇の辞任を要求した「ビガーノ書簡」へのバチカン側の反論だろう(「『ビガーノ書簡』巡るバチカンの戦い」2018年10月8日参考)。

それでは誰の落ち度だったのか。ヨハネ・パウロ2世だったのではないか、という推測が生まれてくるわけだ。

ポーランドのクラクフ出身のカロル・ボイチワ大司教(故ヨハネ・パウロ2世)が1978年、455年ぶりに非イタリア人法王として第264代法王に選出された時、多くのポーランド国民は「神のみ手」を感じたといわれている。同2世はポーランド教会の英雄だ。その同2世が米教会で未成年者への性的虐待を繰り返した枢機卿の性犯罪を隠蔽してきたのではないか、といった批判が飛び出してきたのだ。

ヨハネ・パウロ2世への責任を追及する声が出てくると、ポーランド教会司教会議のスタニスロウ・ガデッキ議長は反論している。曰く「マカーリック枢機卿は2000年8月、ヨハネ・パウロ2世宛ての書簡で『自分は未成年者への性的虐待は行っていない』と虚言したからだ。ヨハネ・パウロ2世が同枢機卿をワシントン大司教、そして枢機卿に選出したのは教皇のもとに正しい情報が送られなかったからだ」と説明し、問題は同枢機卿の実態を正しく掌握していなかった米教会の情報提供者にあるというわけだ。

ポーランド教会側の反論も理解できる。ローマ教皇とはいえ、手元に届く情報が間違っていたならば、正しい判断、適材適所な任命は難しからだ。

ただし、聖人と称えられてきたヨハネ・パウロ2世はスーパーマンでも救世主でもなく、通常の人間であったという印象を受ける信者が出てくることは避けられない。英雄、聖人としての同2世の伝説が崩れるわけだ。ポーランド教会はそれを恐れているのだ。

ここで客観的な事実だけをまとめる。マカーリック枢機卿が性的犯罪を犯した時期、ヨハネ・パウロ2世はローマ教皇だった、同枢機卿は1990年代にワシントン大司教に任命され、2000年に枢機卿に上り詰めたが、それはヨハネ・パウロ2世の決定だった。

この「不都合な事実」は偶然だといって一蹴できない。少なくとも、同2世はマカーリック枢機卿の不祥事を耳にしていた可能性が十分考えられるからだ。知りながらも、教会の名誉と威信を守るために隠蔽していたのではなかったか。実際、カトリック教会の聖職者の性犯罪はヨハネ・パウロ2世の27年間の治世時代に最も多く発生しているのだ。

ヨハネ・パウロ2世の個人秘書を40年余り務めてきたスタニスロウ・ジウィス枢機卿(Stanislaw Dziwisz)はマカーリック枢機卿の性犯罪を知っていたが、それを隠蔽していたという批判を受けている。

また、ブレスラウ(ポーランド)のヘンリーク・グルビノウイッツ枢機卿(Henryk Gulbinowicz)は未成年者への性的虐待、共産政権との癒着問題などでバチカンから全ての聖職のはく奪処分を受けたばかりだ。両枢機卿はヨハネ・パウロ2世の側近だった。同2世を取り巻く状況は厳しくなってきている(「元法王と女性学者の“秘めた交流”」2016年2月19日参考)。

国民のほぼ90%がカトリック信者のポーランドのカトリック主義の「落日」(2020年11月7日参考)は、ヨハネ・パウロ2世への伝説が揺れてきたことから、より早まってきたわけだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年11月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。