ゴーン事件:国連の警告を検察改革の梃子にすべき

八幡 和郎

カルロス・ゴーン事件について、国連人権理事会の「恣意的拘禁に関する作業部会」は、日本での逮捕・勾留は、根本的に不当だったとする意見書を公表した。

4度にわたる逮捕と勾留は根本的に不当で、不利な供述を強制するために身柄を拘束し、推定無罪の原則を侵害したと指摘し、日本政府に対し、ゴーン容疑者が置かれた状況をただちに是正し、賠償請求に応じるよう求めている。

まったく正当だと思う。法的拘束力はないが、重く受け止めるべきだ。私のFacebookのタイムラインで藤田亨氏は、

この「ゴーン被告人案件」は、国連人権委恣意的拘禁作業部会の情報提供要請に日本当局が直接答えた説明に基づいて人権侵害と指摘されたのですから、国連人権委員会で決議された「クマラスワミ報告」が、韓国と国連における福島瑞穂や戸塚悦朗ら個人の恣意的ロビー活動により、彼らの性奴隷の主張を全面的に受け入れて一方的に作成された経緯とは異なることを、日本の当局は重く受け止めなければなりません。

と書いておられたが、まあそういうことだろう。

ゴーン事件は日産の経営権をめぐって日産の西川派がゴーン排除を狙って検察にたれ込んで広い意味での司法取引込みで提起したものだ、それに政府の一部(どれだけの部分かは敢えて言いませんが)も乗っかった。

また、人質司法、検察官の独善性、従来の法解釈の恣意的な変更など日本の司法のあらゆる問題点が集約的に現れた事件だった。河井事件についても、彼らのやったことに問題はあったとしても、従来の常識からいえば事件化するようなものでなかったし、捜査方法も非常識な点が多々あった。まさにゴーン事件と同じだった。もし、ゴーン事件のときに、海外からの疑問提起を梃子にして、検察に自制を促し、法制度の改正に動いておけば、あそこまで酷い捜査はされていなかったと思う。

また、「検察に対して政府は意見を言えない」とさんざんゴーン事件のときに言ったことが、検察の独立性についての過剰な自信を与え検事総長人事での唯我独尊を引き出したものと理解している。

検察が世論にアピールして得点稼ぎをするという行動様式を取ることで、リクルート、ホリエモン、村上、ゴーン等々、日本経済に革新をもたらす賛否両論の経営者に守旧派の立場から検察が介入することが経済の活力を奪うことも言うまでもない。

それは会社のガバナンスの問題であり、まずは会社の中で取締役会で扱うべき問題であり、株主が異議唱える問題であり、次いで政府、国会や扱うべきことで、いきなり検察が出てきて新しいビジネススタイルの是非を判断すべき問題でないのだ。そして、日産の場合では、ガラパゴス素人集団に経営を委ねたら会社が潰れかかっているのも予想されたことだ。

朝日新聞と組んでリークして世論操作をするような検察のやり方を推奨することにもなった。それは、モリカケ桜にも悪影響を残している。

日本人は韓国や中国の司法を嗤うが、欧米から見れば日中韓はよく似た仲間。日米地位協定だってこのような司法ではアメリカがドイツと同じ内容にしようなど思うはずがない。