仏元首相で現バルセロナ市議バルス氏が、仏政界復帰でマクロン政権の内務相に?

最近、スペイン国内のメディアで、バルセロナ市の市会議員マヌエル・バルスがフランスの政界に復帰するのではないかという噂になっている。彼はフランソワ・オランド前仏大統領の政権時に首相(2014-2016)を務めた人物だ。

バルス氏(本人ツイッターより)

スペインの国籍も持ち、またカタルーニャ地方の言葉であるカタラン語もスペイン語と同様に話すバルスは、2018年にフランス国民議会の議席を辞任。それは、スペインで当時支持率が急上昇していたカタルーニャで誕生した政党シウダダノスの党首アルベルト・リベラから同党の人気を基盤にバルセロナ市長にならないかと誘われたからであった。

彼は2017年のフランスの総選挙を睨んでマクロン大統領の政党「共和国前進」に入党を望んでいたが、マクロンから断られた。バルスが籍を置いていた社会党内部での次期大統領候補予備選に立候補したが敗れた。彼は社会党内部が分裂し国民からの支持も落ちているのを見て、社会党には未来はないと判断して離党した。

バルスが首相だった時にマクロンは経済・産業・デジタル相だったという関係から、お互いによく知っている間柄であった。しかし、マクロンは、バルスを党には必要ない人物とみなしていた。バルスが内相その後首相を務めた時の彼の政治姿勢は強硬で物議を醸す発言なども繰り替えしていたからだった。まさにそれはサルコジ元大統領を右派から左派に移したような人物だと評価されていた。

マクロンの右派と左派の良い点を合わせたような新しい中道を目指した党づくりには、バルスのそれまでの政治姿勢から見て必要ない人物だとマクロンは判断したようであった。

ということで、バルスは無所属で立候補した。それでもマクロンは彼を尊重して彼の政党からはバルスが立候補した選挙地区には誰も候補者を擁立しなかった。バルスが当選するように便宜を図ったのである。このお陰でバルスは国民議会での議席を確保した。しかし、もうこの時点で一匹狼となったバルスはフランスの政界では生ける屍と評価されていた。

このような状況にあった時に、スペインのアルベルト・リベラから「バルセロナの市長にならないか」という誘いがあった。リベラが創設した中道のシウダダノスは当時急成長していた。スペインから見たマヌエル・バルスはフランスの元首相を歴任した人物だということで箔があった。しかも、彼の父親はカタラン人の画家で長年フランスに移民していた。バルスはバルセロナで生まれたが、幼少時からフランスで育った。彼の母親はイタリア系スイス人である。

17歳でフランス社会党に入党して以来、市会議員、市長、政府内務相そして首相を歴任。政治家としてはベテランで生粋のポリティカル・アニマルである。

しかし、バルス自身もフランスの政界で重要なポストに就ける可能性は遠のいたと判断したのか、リベラの誘いを受けてバルセロナの市長になることに期待をもった。バルセロナの市長というのはパリの市長と同じように重みのあるものだ。バルセロナの市長になるのは政治家として十分価値あるものだと彼は判断したようだ。

ということで、2018年9月、市議会選挙に立候補することを正式に表明し、10月にはフランスの国民議会の議員を辞任した。選挙は翌年6月であった。この時、フランスの世論は「日和見主義者で裏切者だ」と評価する者もいたという。

当初、カタルーニャではバルス氏の登場に関心が持たれた。彼はシウダダノスの集会には必ず出席していた。ところが、シウダダノスの党首リベラ氏との溝がその後生じるようになるのである。2019年4月のスペイン総選挙でシウダダノスが32議席から57議席を獲得する飛躍を遂げ、社会労働党と連立すれば過半数の議席を持った与党が誕生することになっていた。それはスペインの経済面からも安定した政権の誕生が望まれていたことに応えることができた。また党首のリベラは副首相のポストが約束されていた。

ところが、リベラは何を思ったのか、連立政権を誕生させることを拒否。というのはこの選挙で野党第一党の国民党との票数が20万票まで縮まったことから、次回は野党第一党になって、国民党を引き連れての連立が可能になると読んだのである。

シウダダノスは中道政党として国民党と社会労働党の間で天秤の役目を果たすのが本来の務めであった。また多くの有権者もそれを期待した。ところが、リベラ党首は人気上昇している自らの政党は国民党を追い越せると思ったようである。社会労働党との連立政権を誕生させない彼の姿勢にシウダダノスの多くの支持者が失望。

バルスは執拗に連立政権を組むべきだと主張したが、リベラ党首はそれを受け入れなかった。この時からバルスはリベラから離れ始めるのである。社会労働党のサンチェス暫定首相は過半数を満たす可能性がないと見て、11月に再度総選挙に踏み切ることを決定した。

そして11月の総選挙でシウダダノスは57議席から47議席を失い僅か10議席を獲得するだけになったのである。この結果にリベラ党首は辞任。

この時点からバルスはシウダダノスに代わる中道政党の設立に向けて始動を開始。「変革の為のバルセロナ」という政党を擁立した。しかし、前年の総選挙の失敗が影響して、6月のバルセロナ市議会選挙ではバルスの政党は僅か2議席を獲得しただけであった。彼のバルセロナ市長になる夢は砕けた。2議席では何もできない。

同じく、シウダダノスも議席を失った。そして、独立派の2政党が市政の実権を握る可能性が生まれていた。バルスが取った決断は、独立派に政権を渡させないという決断であった。そこで彼は解散する前まで市長だったアダ・コラウへの支持を表明して彼ともう一人の2票をコラウに投じて市長を続投させたのであった。

彼は自党を成長させるためにカタルーニャの特に独立派に反対している企業経営者からの支持を得るべく活動した。しかし、カタルーニャの多くの企業経営者にとってバルスは生粋のカタラン人ではないという印象もあって、企業家から十分な支持を集めることができなかった。

この頃、サンチェス首相からスペイン政府の外相のポストを提供された。それまで外相を務めていたジュセップ・ボレイルがEUの外務・安全保障政策上級代表に就任するのがほぼ確実とされていたので、その後任が必要だったからだ。しかし、彼はカタルーニャから離れることはできないとしてそれを蹴った。この時点では彼はまだカタルーニャで政治活動を続ける意向であったように思われる。しかし、彼が望んでいたほどにはカタルーニャでの彼の存在に十分に手ごたえのある反応はなかった。

そのようなことから、今春から、彼がフランスの政界に戻るのではないかという噂が立ち始めた。カタルーニャの代表紙『ラ・バングアルディア』は3月7日付で「バルス氏はフランス政界に戻る可能性を育てている」というタイトルで報じた。

バルスがフランスの政界で一躍知られるようになったのは内務相の時にテロリストや極右のルペンらの飛躍の前に、テロや極右はフランスにとって有害であるとして、断固彼らを抑える姿勢で臨んだことである。

そして、10月に入ってスペインのデジタル紙『エル・コンフィデンシアル』『クロニカ・グロバル』など他数紙がバルスがフランスの政界に復帰することが確実であるような報道を始めたのである。その時期については、次期カタルーニャの州議会選挙がある来年2月14日の前だ、あるいはその後だという二つの意見に各紙で分かれている。

いずれにせよ、フランス政界に復帰することは確実だとみなされている。その場合、彼には閣僚のポストか、あるいはフランスの外交面で重要な役目を務めることが約束されているというのが各紙で指摘されている。その中でも一番有力なポストは内務相に就任するであろうということだ。それはマクロン大統領が再選されるためにはテロなど治安問題の解決と極右の飛躍を抑えることが再選の為の重要なカギを握っていることをマクロン大統領は知っているからである。

バルスの政治家としての能力を引き出すことをできなかったスペインの政界は、やはり二流なのかもしれない。