なぜ反ユダヤ主義が消滅しないのか

共同通信4日ベルリン発の記事を読んだ。92歳の女性が出所直後、再びホロコーストを否定してベルリンの裁判所で禁固1年の実刑を受けたという短信だ。ウィーンでは先月26日、50歳ぐらいの女性が停留所にいたユダヤ教のラビのキッパを払い落して「全てのユダヤ人を虐殺せよ」と叫んで逃げていったという事件が起きたばかりだ。前者のドイツの場合、女性はホロコースト否定の民衆扇動罪で2年半の禁固刑を受け11月に出所したばかりだった。思想的には極右派だという。確信犯だ。後者の身元は全く不明だ。

当方は2件の反ユダヤ主義的言動に驚くと共に、「なぜ、2人の女性は反ユダヤ主義者になってしまったのか」と考えざるを得なかった。前者は年齢からみて、ひょっとしたらナチス・ドイツ時代で何らかの体験をしたのだろう。ホロコーストは存在しないと表明することで、両親と共に生きてきた時代を弁護しているのかもしれない。後者の場合、戦後生まれだ。オーストリア人とすれば、ナチス・ドイツに併合された時代を直接は体験していないはずだ。敗戦後、米英仏ソの4カ国に10年間占領されていた後の生まれだろう。その女性がいつから反ユダヤ主義者になり、ユダヤ人を見ると憎悪に駆られた言動に走るのだろうか。

反ユダヤ主義はナチス・ドイツが生み出したものではない。イエスが生まれる前からあった。欧州ではイエスを十字架にかけて殺害したのはユダヤ民族だとして、「メシア殺害民族」としてユダヤ人を誹謗中傷し、殺害してきた歴史がある。イギリスの劇作家ウィリアム・シェイクスピア(1564~1616年)の喜劇「ベニスの商人」に登場する金貸しシャイロックは当時の典型的なユダヤ人像だった。

ローマ・カトリック教会は久しくユダヤ民族に対し、「メシア殺害民族」といったレッテルを貼り、糾弾してきたが、その後、教会は反ユダヤ主義に対しては決別した。イエス自身がユダヤ人であり、イエスの十字架救済論からいえば、殺害したユダヤ民族側にも神の計画があった、といった論理が成り立つからだ。ユダヤ民族が当時、イエスを十字架にかけなければ、今日のキリスト教は生まれてこなかったことにもなるからだ。

イエス誕生前のユダヤ民族の歴史を記述した旧約聖書にはユダヤ民族への弾圧、迫害は既に生じているから、反ユダヤ主義はイエスの十字架の死後やナチス・ドイツ政権のユダヤ民族大虐殺(ホロコースト)の結果ではないことは一目瞭然である。

反ユダヤ主義の源流を探すことは容易なテーマではない。当方が関心あるのはウィーンの50歳余りの女性の反ユダヤ主義的言動がどこから起因するかだ。現地のメディアは第一報を報じたが、続報がないので分からない。警察側は反ユダヤ主義に基づくテロ事件の可能性があるとして捜査している。

女性は当方より若い。彼女の家系を知らないが、ナチス・ドイツ政権に関わってきた人物が過去いたのかもしれない。たとえそうだとしても、彼女自身は反ユダヤ主義に走る原因とはならないだろう。憎悪は強いエネルギーだ。漠然としたものではなく、強固な信念に裏付けされている場合が多い。50歳の女性にそれがあったのだろうか。

事件直後、33歳のクルツ首相は、「如何なる反ユダヤ主義的言動も容認できない」と語る一方、「ユダヤ民族なき欧州は考えられない」と述べ、ユダヤ民族が欧州ばかりか世界に寄与してきた功績を評価している。クルツ首相は50歳の婦人より一世代以上若いが、同じ戦後生まれの世代だ。そしてユダヤ民族の歴史を学校や書籍を通じて学んできたはずだ。50歳の女性にはそのような機会がなかったのだろうか。

ポーランドには戦前、多くのユダヤ人が住んでいたが、アウシュビッツ強制収容所で多くは虐殺された。戦後、同国にはユダヤ人がほとんどいなくなったが、戦後75年が過ぎた今日でも反ユダヤ主義は存在する。憎悪の対象がいなくなったにもかかわらず、反ユダヤ主義が生き延びているのだ。どうしてか。

考えられるシナリオは、反ユダヤ主義が民族の細胞にまで侵入して、世代から世代へと受け継がれてきたからではないか。このコラム欄でも「『細胞』は覚えている」(2013年12月5日参考)の中で書いた。エピジェネティクスという言葉がある。DNAの配列に変化はなく、細胞の分裂後にも継承される遺伝子に関するもので、「細胞記憶」と呼ばれている内容だ。細胞は過去の記憶を憶え、それを保全し、次の世代に伝える。恐怖心はその人間が遭遇した体験に基づくものだが、その心理状況が直接体験していない後世代にも継承される。

50歳の女性の細胞の中には、自身が体験もしていない出来事が継承され、それが事ある度に暴発するのだろうか。92歳の女性の場合は自身の体験が強いが、50歳の女性の場合、細胞に刻印された反ユダヤ主義が時に暴れ出すというべきかもしれない。

参考までに、戦後75年が経過した今日、韓国の反日感情は「92歳の女性型」から「50歳の女性型」へと移行してきたのではないか。歴史的出来事とは関係なく、純粋な憎悪感情が反日という歴史の枠組みを利用しているだけではないか。

ベルリンの慰安婦像「少女像」設置運動は明らかに典型的な「50歳の女性型」の反日運動だ。体験の裏付けなく、反日教育を受けて育ってきた若い世代にとって、体験を有する古い世代より、反日感情からの脱出は難しくなるはずだ。体験がないから、反日感情を検証し、再考すべき土台が自身の中にないから、謝罪を受けても癒されず、自ら相手を許すといった心も生まれてこないからだ。韓国側が日本に謝罪を繰り返し要求するのはそのことを端的に示しているといえる。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年12月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。