独、コロナ禍で「主権」が国民に戻った!

ベルリンの独連邦議会(下院)でのメルケル首相の演説を聞いて、正直言って驚いた。時には涙ぐみながら国民に現状の厳しさを訴え、新型コロナウイルスの感染防止の規制強化の必要性をアピールした。

理科系(物理学)出身のメルケル首相が公の場で感情を露わにすることはなく、ましてや涙を見せたことなど過去14年間余りの首相任期中に見たことがない。少なくとも思い出せない。その彼女が連邦議会の演壇で感情溢れる演説をしたのだ。

▲国民に連帯と責任をアピールするメルケル独首相

▲国民に連帯と責任をアピールするメルケル独首相

なぜか。独国立感染症研究所「ロベルト・コッホ研究所」(RKI)がその日(9日)、ドイツ全土の過去7日間の人口10万人当たりの新規感染者数が149・1人、死者数が過去24時間で590人が死亡したと発表した直後だ。首相を動揺させたのは死者数の数だろう。590人はドイツでは最多値だ。新規感染者数は2万0815人でこれも記録だった。

このままいけば、ドイツはイタリア、フランス、ベルギーのように多くの国民が犠牲になる、といった思いがメルケル首相の緊急アピールとなったことは明らかだ。メルケル首相は「新型コロナ感染との戦いで重要なカギは国民一人一人の責任ある行動であり、連帯だ」と述べている。

9日にはドロステン教授などウイルス学者たちが新型コロナウイルスの感染防止のために「部分的ロックダウンではなく、来年初めまでハードなロックダウンを実施すべきだ。さもなければドイツで来年1月から2月にかけて、これまで以上の厳しい状況が出てくる」と警告を発している。ドロステン教授の発言は国内の規制反対派には強い反発が出てくるだろうが、メルケル首相が最も信頼している、ドイツが世界に誇るウイルス学者だ。

メルケル首相の演説は2点のことを明らかにした。第一点は、新型コロナは「主権は国民にある」という民主主義国の基本的原則を改めて思い出させてくれたことだ。新型コロナの感染防止を含む感染症対策は州政府の管轄だが、メルケル首相はその防止策を成功させるためには主権者の国民との連携がない限り、難しいことを知っている。

政治家が多くの政策を発表しても、それを実行する側の国民が真剣に受け入れない限り、うまくいかない。主権は国民にあるからだ。隣国オーストリアのクルツ首相も機会ある度に「感染防止のためには国民の結束が重要だ」と繰り返し訴えてきている。同じことだ。

興味ある事実は、「主権は国民にある」(国民主権)という民主主義の原則が、共産党一党独裁の全体主義国・中国で発生した新型コロナウイルスの感染拡大の契機となって蘇ってきたことだ。

もう一点は、新型コロナの感染防止で苦闘する欧州では「クリスマス」という筋目を意識した規制対策を実行、国民がクリスマスを迎えられるように、その前に新規感染者数を減少させなければならない、といった一種の強迫観念が強いが、それでは「クリスマスを廃止」すればいいだけではないか、ということだ。

欧州各国は政教分離を建前としているから、国がクリスマスを国家祝日リストから削除することはできる。ただし、年末、年始にはその分、数日間の国家祝日を新たに決定すれば、国民の不満をなだめることは出来る。もちろん、クリスマスをどうしても祝いたい国民(敬虔なキリスト信者)は家庭単位で祝えばいい。そうなれば、政治家は「クリスマス前までに新規感染者数を減少させなければならない」といった強迫概念から解放され、冷静に感染防止に対応できるようになるのではないか。

クリスマスは人類の救い主イエスの誕生を祝う日だ。イエスの生誕を祝うクリスマスを迎えるため、多くの国は危険を冒しながら規制を緩めたりしている。メルケル首相の涙は「クリスマスを控えたこの時、国民に厳しいを規制を強いなければ、国は大変な状況に陥るかもしれない」といった、「クリスマス」と「新型コロナ規制」の狭間にあって苦闘している政治家の姿だったわけだ。「クリスマス」が政治家の政策決定で大きな足かせとなっているのだ。

だから、「クリスマスの国家祝日」を廃止すれば、政治家は12月24日、25日を意識し、焦るように規制を強めたり、緩めたりする必要はなくなる。例えば、クリスマスのために規制を緩和し、その後、新規感染者が増え、死者が増加すれば、救い主イエス生誕のクリスマスがその本来の願いとは180度異なった結果をもたらすことにもなるのだ。

繰り返すが、イエスの生誕を祝いたい人々は国家祝日からその日が削除されたとしても影響はないだろう。その意味で、「クリスマス」はそのような人々の中で価値を取り戻すことができるわけだ。クリスマスは買物ラッシュや贈物ラッシュの時ではないからだ(「クリスマス」の祝日廃止論は今年は議会でじっくりと議論をする時間がないので、あくまで提案に過ぎない)。

以上、メルケル首相の演説から当方が考えた点だ。「国民主権」を取り戻し、「クリスマスはイエスの生誕を祝う」という本来の意味を回復できれば、コロナ禍の大きな功績ともいえるだろう。メルケル首相のエモーショナルな演説は非常に示唆に富んでいた。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年12月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。