どれだけ技術が進んでも必要とされる人になろう

技術の発展とともに人々の仕事はその居所がどんどん変化してきました。昔は工場には何百人もの人がずらりと並び、まるで機械のように仕事をしていました。人の動きを無駄なく最大効率にするために「何歩どちらの方向に動く」などがQCサークル(これ、もう死語でしょうか?)で盛んに議論され、その成果発表では職場単位で喜怒哀楽がありました。若い社会人の方は全くわからないかもしれません。

(写真AC:編集部)

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もっと言うなら昔はランチタイムはさっさと切り上げ、皆で屋上に行ってバレーボールの練習、春や秋には会社主催の運動会がごく当たり前、これに出ないとお局さんから苛めにあうなんてことがありました。チームワーク第一主義ですね。本当に笑ってしまうぐらい世の中は変わってきました。(お局さんの苛めはまだあるかもしれません)

業務推進に必要な人材は今後、2~30年で更に変わっていくでしょう。例えば会計士。なぜ彼らに仕事をお願いしなければいけないかと言えば自分で作る財務諸表が投資家、税務当局、対外公表用として「基準を満たし、正しく表記されているか」を人間がチェックするためです。こんな仕事は間違いなくなくなります。

ここカナダでは社会人は全員、年度末の確定申告を自ら行う必要があります。(日本は会社がやってくれます。)カナダの確定申告も十数年前まではまだ手書きが多かったのですが、今ではソフトを使います。そのソフトが異様に進化していて半分自動で処理されるようになっていて所要時間も数年前のソフトに比べて半分ぐらいになっています。また、処理の間違い、つまりプログラムの使いやすさや正確性も格段に上がっています。もちろん会計士なんて必要なく、ソフトも有料のものもありますが、税務当局が推奨する無料のもので全く問題ありません。

弁護士。私はたまたま簡単なリーガルドキュメントは自分で作れることもあり、この2年ぐらい弁護士のお世話になっていません。そのうち、簡単な裁判も自動判定の時代が来るでしょう。裁判は恣意的に決まることが非常に多く、「担当の裁判官、誰になった?」で弁護士が対策を取るという世界です。政治的に決まることもありますが、日本の場合は裁判官の個人的信条が出てしまい、時として裁判や判決が機能していないことが見受けられます。これなどはテクノロジーで解決すべき分野だと思っています。

ではどんな仕事が人を必要とするんでしょうか?どんな仕事でも大なり小なり機械化ができないものはないと思いますが、それをいちいちカスタマイズして作ると膨大なコストがかかるからやらない業務は多いものです。例えば修理。私の家の大型家電製品などがこの1-2年で次々と壊れ、修理を要する事態となりました。5つぐらい壊れたと思いますが、そのたびに専門屋を探し、修理に来てもらいました。これなどは絶対に機械化できない作業です。

私はマリーナの運営をしていますが、船の掃除は実はものすごい需要があるのです。自分でやる方もいますが、業者にお願いすることも多くなります。大きさにもよりますが、一艘2-3万円ぐらい、これを年数回します。これも自動化できない分野です。

シニアケア。最近はロボット君としゃべったり、体操したりするシステムが出てきています。私も毎年のように東京で開催される福祉展に行くので大まかな技術の進歩は理解していますが、ロボット君はあくまでも補助業務でやはり、人間が人間をケアしなくてはどうにもならないのがこの世界です。

同様に子育てもそうでしょう。単に学力を上げるだけならパソコンに向かってやる方式でもよいのですが情操教育はロボットというわけにはいきません。親ができないならそれを代行するビジネスがなぜできないのか不思議です。昔風にいう乳母ビジネスです。

私が運営する商業施設のテナントは基本、全部サービス業です。カフェ、クリーニング店、ペットのトリミング/虫歯治療店、スパ…。どれも機械化できません。いや、やってやれなくはないでしょうが、面白くないと思います。例えば日本では洗濯物を全自動で折り畳める機械が出来ましたがあえなく破産となりました。一台185万円。業務用ならともかく、個人ならどこに置くのでしょうかね?

これらを見ていると人が必要とする職業は実は非常にニッチな分野であったりします。つまり、大手企業が入り込めないような分野ですね。カナダでは個人事業主を優遇する社会システムと税制があります。これは実は人の才能を生かし、社会の変化に合わせて自分が生き抜くための努力をさせる自助努力機能が強化されているのです。

ところが日本は基本的に雇われることが前提になっています。ここが違うと思うのです。

自分で事業をやるようになれば必ず生きていくための術を見つけるようになります。そこできっと自分の食い扶持が確保できる方法は見つけれるはずです。私が「一歩踏み出して」とずっと言い続けているのは社会の変化に敏感になり、仕事に主体的になる重要な手段だといういう意味も込めていたのです。

仕事はなくなることはありません。ただ、それを見つけられるか、そして自分をアジャストできるか、それがキーではないでしょうか?

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年12月16日の記事より転載させていただきました。