二極化はなぜ起きるのか

2020年12月22日 14:00

thedafkish /iStock

二極化とか多極化という言葉は結構古くからあるのですが、今年はアメリカ大統領選挙の背景として特にメディアで取り上げられた言葉かもしれません。二極化が大きく取り上げられたのは近年では米ソ冷戦がその象徴だと思います。その後、新たに発生したのは米中二極時代で共に地球上で持てる者(国土、資源、人口、思想的影響力)同志の戦いであります。

一方、アメリカ国内で見受けられる二極化とは持てる者と持てない者の二極化ととらえられる傾向がありました。2015-16年頃に話題になった「1%と99%の問題」とは富を背景した事象であり、見方を変えればかつてあった資本家と労働者との対立やその搾取と似た現象だったと言えます。

今年の二極化は果たしてそうであったでしょうか?「Black lives matter」は富ではなく、黒人への差別意識でした。民主党の大統領の予備選挙では様々な人が立候補し、大乱立、かつ本命不在ともいわれました。その候補者は自分の所属意識(極左、社会主義、女性、同性愛…)などのキーワードを二つ以上組み合わせたマイナープレイヤーからcome outし、自分への支持層を高めようとするものでした。

もう少し遡ればグレタ・トゥンベリさんが環境問題を背景に高校生らへ惹起を促しました。香港では民主化運動で中国を相手に若者の激しい抵抗運動がありました。そこまで考えればかつて頻繁にあった自爆テロもその括りに入るかもしれません。

主義主張を持つ、それを声高に叫ぶことにより一定の共感を得られることができるけれど長続きしない、これが繰り返し起きるようになったのが近年の二極化の特徴ではないでしょうか?つまり、「二極化=富の不公平な分配」と捉えられる傾向がありますが、決してそうではなく、あらゆる主義主張が生んだ現代社会の歪だと考えています。

ではなぜ、そんなことになったのでしょうか?私が考える理由は法治社会の次の段階に入ったガバナンス社会に対する民のリアクションではないかと思います。

アメリカは法治社会です。理由をご存じでしょうか?あの四角い地形の国家を隅々まで同じルールで統治するには法律しかなかったのです。それは移民国家故に常識観がみな違い、道徳心に任せていては絶対に国家がまとまらないことが分かっていたからです。すぐに「訴える」という手段に出るのは双方の埋まらない解釈を法律と裁判が判断するという社会構造を作り上げたともいえます。

スターバックスはシアトルで飲もうがフロリダで飲もうが同じ味がするのは企業内の法律であるマニュアル文化がしっかり根付いているからで安心安全をブランドという名の下で売っているのです。

この縛りは次にガバナンスという社会を生み出しました。つまり、法律で決められるものではなく、人間として、道徳として、社会的存在理由としてもっと崇高でなくてはいけないという高みに向かっていったのです。

例えば高額所得者は高額の寄付をするのは法律で決められたことではなく、それをするのが当然であるという社会的使命を背にしているのです。環境問題、女性の社会進出、マイノリティへの公平感…枚挙にいとまがないのです。これが人々の主義主張を生み出したのです。

菅首相がステーキ忘年会で叩かれたのは「5人以上が絶対だめではない」という西村大臣発言を裁判官と見立てた判断を求めているのではないのです。国民はリーダーシップやもっと崇高なレベルを期待していたのです。個人的には、内閣支持率はぼろぼろになり菅首相が自壊する可能性すら出てきていると思います。それは絶対に背けない二階さんが生み出している時代と逆行した体質なのです。

バイデン氏が打ち出した閣僚や側近の多様な人材登用はうまく機能するでしょうか?難しいとみています。バイデン氏は世論の声を巧みに吸い上げバランス主義を取ろうとしています。しかし、二極のバランスすらうまく均衡しないのに多極のバランスをうまくワークさせることはほぼ不可能なチャレンジに見えるのです。それ故、イアンブレマー氏も最弱の大統領になるだろうと予想しているのです。

かつて国際連盟があり国際連合ができ、G20ができました。どれも非常に大きな括りの中で問題解決を図ろうとしてきましたがどれもほとんど機能していないのです。

二極化が多極化となり、バラバラの社会が生まれることを否定しません。それはアメリカのみならず、日本でも共産主義の中国でも同じでしょう。これは人間社会の宿命なのかもしれません。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年12月22日の記事より転載させていただきました。

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