回顧2020年:歴史の節目で日本の立ち位置を考え直す

篠田 英朗

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2020年は大変な年だった。新型コロナの影響が世界の隅々にまで及んで、複合的な効果を引き起こした。
(参照:異例ずくめの2020年、私たちはどんな世界を生きているのか?

日本も感染拡大の真っただ中で2020年に終える。「第三波」の拡大が横ばいになった後、12月に入って拡大基調に入り、クリスマスのあたりの時期が出ているだろう現在、拡大の勢いはかえって増している。

(筆者作成:7日間移動平均の週単位の増加比の推移)

 12月23日に「『勝負の3週間』敗北の今、菅首相がコロナ対策でやるべき『たった一つのこと』」という題名の記事を出させてもらった。ここで私が言っている「たった一つのこと」とは、菅首相が、尾身茂・分科会会長や押谷仁・東北大学教授らとよく話し合ったうえで、国民の前に尾身会長と並び立って現れて、政策を説明するべきだ、ということだった。

すると25日夕方に、菅首相と尾身会長が並び立って記者会見をする光景が立ち現れた。良かったと思う。今の日本に、尾身会長や押谷教授を上回る助言者はいない。もちろん彼らにしても、一夜にして新型コロナを撲滅させる術を知っているわけではない。だが、だからこそWHOでSARS対応等の経験を持つ稀有な専門家たちをよく信頼して、政策を進めるべきだし、その姿を国民に見せるべきだ。

いずれにせよ、アメリカのような二極分化した社会構造の悪化に警戒をしたい。「生命か経済か」の煽り系の二者択一を避けて困難に立ち向かう姿を見せるために、菅首相が尾身会長と並び立つことが必要だった。

冷戦終焉から30年、21世紀の対テロ戦争の時代に入って約20年、アラブの春から10年、歴史の節目が、新型コロナによって劇的にいっそう明らかにされた、という気がする。

2020年に積み重なった様々な負荷は、来年以降にさらにいっそう顕在化してくるのではないか。

脆弱国家はいっそう脆弱になり、飢餓や暴力がさらに広がりそうだ。民主主義国家の数は減り始めて、権威主義国家の暗躍が進展しているが、この傾向はまだ続くのではないか。米国の力の減退はさらにいっそう顕著になり、中国の超大国としての影響力は高まり続けるだろう。2020年代のうちに中国はGDP世界一位になるし、その後すぐにインドが日本を抜いてGDP世界三位になる日が訪れる。

この現実を前にして、左派勢力と共に、「政治家は中国を見習って早く新型コロナを撲滅させろ!」と叫んだり、右派勢力と共に「政治家は早く日本を大国化させて中国をやっつけろ!」と叫んだりしても、焦燥感が募るばかりだ。

冷戦が終焉したとき、「自由主義の勝利」が謳われた。その物語を満喫したアメリカ人たちは、イデオロギー的な自由主義の経済論を盲目的に信じ、富裕層をいっそう富ませ、貧困層をいっそう貧しくした。また、イデオロギー的な自由主義の政治論を盲目的に信じ、リベラル層のポリコレ自由主義と、保守層の宗教的自由主義の思想的断絶を、かつてないほど深めた。

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しかし2001年9・11テロ事件から世界的規模で広がった「対テロ戦争」は、国際社会における「自由主義の勝利」の物語を蝕んでいった。

2010年末に始まった「アラブの春」以降の各地の混乱を目の前にして、「自由主義の勝利」などを口にする勇気のある者は、国際社会の表舞台では、もうほとんど見られなくなった。

そして2020年新型コロナ危機は、自由主義を標榜していた欧米諸国に残っていた自信を完膚なきまでに打ち砕いた。

穏健なアジアの自由民主主義国として地味だが堅実な新型コロナ対策をとっていた日本も、「生命か経済か」の煽り系の言説の中で、左派と右派に、親中派と反中派に、分裂を続け、国力の停滞をさらにいっそう加速させていきそうである。

こうした状況で、真の意味での議論は、難しい。SNSでは、「科学的なのは俺たち」「真面目なのは俺たち」といった立ち位置で、相互に軽蔑の言葉をぶつけ合う固定的な集団間の争いだけが過熱している。

こうした時代状況の中で、2021年以降の世界を、どうやって生きていくことができるのか。日本の国際社会における立ち位置を、どうやって考えていけばいいのか。

決して華やかでも、心地よいわけでもない閉塞的な状況の中で、あらためて問い直していかなければならない。