龍馬の幕末日記⑫ 土佐山内家の一族と重臣たち

※編集部より:本稿は、八幡和郎さんの『坂本龍馬の「私の履歴書」 』(SB新書・電子版が入手可能)をもとに、幕末という時代を坂本龍馬が書く「私の履歴書」として振り返る連載です。(過去記事リンクは文末にあります)

MasaoTaira/iStock

昨日は私たち郷士について説明したが、今日は、土佐の士族たち全体の姿を説明して置こうと思う。まず、最上級は上士である。騎馬を許され、「武士」と言えば彼らのことだ。

その次は白札である。これは、郷士だが上士に準じて扱われる。私の父の実家である山本家がそうだし、親戚の武市半平太もそうだ。そして郷士、徒士、組外、足軽、奉公人と続く。

中村は一条氏が戦国時代にはいたが、一豊の弟山内康豊が独立の城主としてここに入った。しかし、康豊の子の忠義が宗家藩2代目となっていったん廃された。だが、忠義の次男忠直が再興した。

五代将軍綱吉は英明であったが、極端な振る舞いが多かった。特に大名や旗本が困ったのは、気に入られてお側に仕えたことが徒になって、御家取り潰しになることもあったことだ。その被害者として有名なのが、土佐藩支藩の中村藩主山内豊明だった。

その子の豊明は狐を追い払うまじないを見せて綱吉に気に入られ、外様であるにもかかわらず若年寄となり、さらに、老中を命じられたともいうが、あまりの栄進に不安を持って病気を理由に辞退したところ綱吉の逆鱗に触れた。

まず、勤めが果たせないならと3万石のうち2万7千石を減封されて旗本とされ、ついで、3千石残してもらった御礼をしなかったといって取り潰され、遠州浜松に配流されてしまった。

しかし、その子の山内豊産は麻布山内氏という分家の養子となり、本家からも領地を分与されて高知新田藩を1790年に立て、幕末まで続いた。土佐藩としては、もともとこの支藩に与えられた3万石は20万石の内数であるので実害はなかったが、いずれにせよ迷惑な話だった。

土佐藩の上士は、家老、中老、馬廻り、小姓格、留守居に大きく分けられた。これは、執政などの重役を「家老」と通称されるのとは別で、幕末の後藤象二郎でいえば、身分としては、もともと馬廻組で、大政奉還の功で中老に昇進しただけで、身分としての家老ではない。

文政14年の家臣団構成表(「土佐藩御役人帳」森口幸司編に所収)によれば、家老となっているのは11家である。筆頭家老は佐川土居を本拠とする深尾家(宗家)である。重良は近江の人で美濃太郎丸城主。織田信忠、信孝などに仕えたのちに長浜時代に仕官した。深尾一門は四分家も家老になっている。

重良は甥の重忠を養子にしていたが、山内忠義の子の重昌を嗣子とし、重忠には分家させた。さらに、重昌の子孫から北宗、東宗、西宗の三家が分家した。このうち、東宗家の規重は名家老といわれ、その子の豊敷は藩主になった。

宿毛山内家は、西美濃三人衆の一人だが除封された安藤(安東)守就の孫である可氏が、一豊と千代いずれもの甥であったので家臣となり伊賀姓を名乗り宿毛土居をまかされた(吉田茂の実父である竹内綱はその家来)。

土佐山内氏家紋/Wikipedia

安芸土居の五藤家は山内家にとって尾張以来の譜代である。為浄は「巧妙が辻」で主要登場人物の一人となり大河ドラマでは武田鉄矢が演じた。

福岡家の祖である干孝は大和の豪族で優れた事務能力で一豊に信頼された。桐間氏の祖は近江の人である加賀野井茂兵衛で、柴田、丹羽を経て高浜時代の一豊に仕え、子の利卓が忠義の側近として活躍し改姓した。

酒井吉佐は豊臣家の家臣で関ヶ原の直後に召し抱えられ、忠義の姉妹と結婚し仕置き役を務めた。柴田氏は南画家としても知られる江戸中期の織部が奉行として活躍して躍進した。

一方、途中で断絶、出奔、降格などした家老家もある。永原刑部一照は長浜時代から仕え本山土居を任されたが子の代に職務怠慢で失脚した。林一吉は播磨時代に仕え窪川土居に封じられたが、享保年間に断絶したので名跡のみ縁者が継ぎ中老となった。肥後加藤氏の家老だった並河志摩は主家改易後に山内家に仕えたが、養子の乱行で断絶した。

土岐一族の乾和三は一豊の妹を妻とした。宝永年間の内紛で中老に格下げられた。一族から板垣退助が出る。今川・武田旧臣で掛川時代に仕官した孕石元成の子孫は知行地を蔵米支給に変えることを自ら希望するなどして中老に格下げ。百々安行は織田秀信重臣で高知築城を差配したが、無嗣断絶した。

*本稿は「戦国大名 県別国盗り物語 我が故郷の武将にもチャンスがあった!?」 (PHP文庫)「本当は間違いばかりの「戦国史の常識」 (SB新書) と「藩史物語1 薩摩・長州・土佐・佐賀――薩長土肥は真の維新の立役者」より

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