権力と権威の狭間

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今朝の通勤電車の乗客数も年末と比べてわずかに減少している程度だった。どうして今回はブレーキが効かないのかと思いを巡らせていた時、本郷和人氏の著作「歴史のIF(もしも)」の源頼朝に関する部分にあった「権力」と「権威」の違いが思い浮かんだ。

「権力」に「権威」が伴っていない時、罰則もなく、力を振りかざすだけでは、「権力」の求める自粛に敬意を払わないのではないのかと思う。ましてや、国会議員の多人数会食がこれだけ報道されると、若者ではない私でも「ふざけるなよ」と言いたくなる。マスク会食をすれば5人以上の会食でも問題がないと言っていた知事が、患者が多すぎて濃厚感染者追跡ができないと言う。

こんな無責任な政治をしていては、発言の重みも、発言者の「権威」もあるはずがない。「先ず塊より始めよ」という言葉にあるように、指示を出す側が範を示さないで、若者に責任を押し付けては物事は動くまい。「権威」なき「権力」の行使、「責任の転嫁」は、事態の悪化を招く。

この状況では、ワクチン接種を急ぐ必要はあるが、日本人に対する安全性はワクチン接種を開始して初めて確認される。もし、副反応で不幸が起これば、ワクチン接種に急ブレーキがかかる。副反応を追跡するのは厚生労働省の仕事だ。まったく不可解なワクチン担当大臣の任命である。ワクチンは注射で終わりではない。安全性の確認はどのように追跡するのか?【正論】ワクチン副反応即時把握の準備を がん研がんプレシジョン医療研究センター所長・中村祐輔 – 産経ニュース (sankei.com)

また、「不要不急」の定義もあいまいである。4月の際には、未知のウイルスに対する恐怖心が強く、職場に出かけること自体が自然に「不要不急」の範疇に入ってしまっていたが、今回はそのような環境にない。政府が命と生活を守るためにできることをせずに、テレワークを7割にというのは難しい。エッセンシャルワーカーに加え、自らの手で物作りをしている人たちは、仕事場に足を運ばなければ仕事にならない。生活を守るために、仕事をしなければならない場合、当然ながら「不要不急」ではない。

「金を出すからコロナ病床を用意しろ」という手法は、医療従事者の誇りを大きく傷つけたように感ずる。日本医師会長・東京都医師会長は早くから感染症拡大に対して警報を発していた。医療崩壊を回避するために、感染者を減らす必要性をメディアを通して訴えていたはずだ。

現実を追いかける形で後追いで策を打って、収拾がつかなくなってから、「病床を増やせ」は納得できない人が多い。ボヤで消せば消防車は少なくて済む。山火事のように広がってから、もっと消防車を用意しろといっているのが現状だ。すべての病院でコロナ患者を受け入れさせれば、院内感染のリスクが高まり、さらなる医療供給の低下を招く。当然ながら、コロナ感染症以外の患者の方が圧倒的に多いのだ。導線を考えれば、病院を機能別にする方が理にかなっている。

謎の分科会は何をしているのだろうか?

科学なき、コロナ対策に終止符を打ってほしいと願うばかりだ。


編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2021年1月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。