官僚の「転職支援システム」は不要!! - 北村隆司

北村 隆司

「民主党は再就職等監視委員会の人事案を審議せよ」を読み、気に入らないと駄々をこねる民主党の幼稚さに改めて呆れました。国民は政策を審議する事を目的として国会議員を選出した事を忘れないで欲しいものです。審議拒否は国民の信託への裏切りに通じます。

小沢氏が著した「日本改造計画」を読んだ1993年当時の私は、新しい型の政治家が誕生したと興奮を覚えたものでした。処が、多くの人の期待を背に民主党の指導者となった小沢氏の政治スタイルは、党利党略、政局一辺倒の旧態依然たる姿でした。小沢氏のマニフェストかと思った「日本改造計画」は、矢張りゴーストライターの著作だったのでしょう。


但し、「勇退を前提にした人事システムだけを急に変更しながら、経過措置として転職支援システムを設けないのは不公平」と言う池田先生の主張は、日頃の歯切れの良さに似合わない論調で、賛成する訳には参りません。

終身雇用を前提に入社しながら、途中で肩叩きされる民間企業の社員が珍しくなくなった今日、公務員を特別扱いする理由は理解出来ません。再就職先が見つからないなら、ハローワークに行って庶民の苦しみを共にするのが官僚の再出発の最良の選択です。

大半の日本人が「官僚はエリート」だと思っていると聞きます。引く手数多の人を「「エリート」と呼び、他人に斡旋して貰わないと再就職先が見つからない人をエリーと呼ばない外国の常識では、理解し難い現象です。

私は、日本の官僚は優秀どころか、悪質だと思っています。税金の無駄使いや週刊誌を賑わす不祥事はどこの世界でも起こる事で、眉毛を吊り上げて騒ぐ大罪とは思いません。

問題は、官僚の作品である法律に粗悪品や時代遅れのものが多い事です。傲慢な行政もさる事ながら、悪法や時代遅れの法律が引き起こした国家と国民の被害は、甚大なものがあります。私が日本の官僚の質の悪さを強調する最大の理由はここにあります。

2001年に発覚した三菱自動車工業によるリーコール隠しが、会社の存続を揺るがす大事件になった事は記憶にあると思います。これは、自動車の縦横高さまで細かに規定した道路運送車両法に違反した事件です。当時の社長以下、主たる幹部は逮捕され有罪判決を受けました。これ自体は、消費者の権利を守る為にも好ましい現象です。但し、日本のリコール法はアメリカの法律を10数年遅れて物真似導入したもので、日本の官僚の先見性を示したものでも、消費者保護の理念を表わしたものでもありません。

世の中を揺り動かした構造計算書偽造問題の一因は、国交省が改竄可能な構造計算プログラムを認定した事と認定申請のチェック体制の制度上の不備にありました。これに懲りない国交省は、自ら起した誤りは棚上げして「改正建築基準法」の公布に踏み切りました。改正内容に就いては、建築技術者の95%が悪法だと反対したと言う一部の報道もあります。然も、「改正」作業の遅れで、新しい建築が出来ず、幾つもの零細企業を倒産に追い込み、8兆円を超える経済的損害を国民経済に与えたと言う試算も出ています。設計ミスを犯した同じ担当部署が、何のお咎めも受けずに改正法の作成に関わるなど、凡そ常識では考えられない事が堂々と起こっているのです。

多数の人々の人生を破壊した薬害エイズ事件の原因は、非常に危険だといわれた非加熱製剤に代り安全な加熱製剤が登場しても、厚生省の意向で承認されなかった結果である事が判っています。安全な新薬を意識的に2年4ヶ月以上も放置した国は世界で日本だけでした。国民の健康や命を無視してまで、業界保護に走る官僚の罪はとても許される事ではありません。当時の管厚生相の意向を無視して、肝心な証拠書類を紛失させるなど、文明国であれば刑法上の「司法妨害罪」として追及されるべき処を、日本では不問にされる特権を持つ官僚社会です。

アスベストの例も同様です。米国政府は業界の抵抗を排して1971年から矢継ぎ早にアスベスト規制策を発表し89年には全面的に使用禁止としました。日本の行政は、ILOやWHOから受けた警告を無視して、「企業から使用したいとの要望が強かった」(厚労省化学物質対策課)と継続使用を弁護し、先進各国の使用量が零になった90年代になっても日本だけは使用量が増え続けました。健康を護る立場にある労働省の安全担当部長迄「アスベストの様に大変便利な材料は、日本全体の立場から簡単に止めるわけには行かない。」と広言する始末です。

この無責任行政による犠牲者は、私の試算では4万人規模に及びます。アスベスト業界は被害者救済費用の一部負担を始めましたが、利権擁護を優先して多くの生命を奪った当時の官僚の責任が追求された話は聞きません。現在は多分、天下りや渡りと言う預金生活をエンジョイしている事でしょう。他にもこの種の例を挙げればきりがありません。私の日本官僚悪質説の具体的論拠は枚挙に暇がありません。

日本のマスコミは、汚職、たかりなどを大騒ぎして取り上げますが、これは個人的な一過性の不祥事で、寧ろ軽犯罪です。問題は「悪法も法なり」の考えが闊歩する官僚制度の悪政に目を瞑り政治家などの個人批判に焦点を置く、日本のマスコミの報道方針の責任も問われるべきです。

官僚を厳しく糾弾する私ですが、官僚個人を攻撃する意思は毛頭ありません。腐敗した制度に順応しないと生きられない官僚自身が、最大の被害者かも知れません。星雲の志に燃えた有為なる青年男女が、天下りと渡りを「貯金」だと誤解させてしまう官僚制度は大量破壊兵器を使ってでも爆破すべきです。

国民不在の行政や悪法の闊歩は、腐敗した制度とその制度に順応した官僚との合作で起こります。従い、日本の官僚が優秀だと言う前提に立った改革は、方向音痴そのものだと思います。今は拙速を尊ぶ事が重要です。経過措置としての「転職支援システム」が改革実現を早める緊急避難として必要であれば自説には拘りませんが、本来的にはこのシステムは国民との整合性を欠く不公正な悪習だと思います。

極寒の続くニューヨークにて 北村隆司