さらば、懐かしの「ガイアツ」 - 松本徹三

松本 徹三

一時期、「外圧(ガイアツ)」という言葉が流行った事があります。外国から圧力を受けるような事は、日本人としては忌避したいのが普通なのでしょうが、この「外圧」については、不思議な事に、しばしば前向きに受け取られました。「もう、こうなれば外圧にでも頼るしかないのかなあ」というような事が、しばしば囁かれたのです。


ことほど左様に、日本では「既得権」を守ろうとする勢力の壁は厚く、政治家も官僚も、色々な思惑から、そちらの方に加担する事が多いようなのです。既得権に風穴を開けようとする側も、政治家や官僚と事を構えれば、後でいろいろな面で不利を招く恐れがある事から、ついつい弱気になり、そのような「しがらみ」を持たない外国人に前面に立ってもらうことを期待する破目になるのだと思います。

情報通信産業の分野で「外圧」が猛威を振るったのは、もう三十年近くも前に、NTTの半導体の購買方針を巡って、Intel やTIが「性能や価格とは関係なく、単に国産メーカーであるという理由によって発注先を決めようとしている」として、激しくクレームをした事を嚆矢とします。これによって、NTTは発注の理由について透明性を確保しなければならなくなりました。

教育用パソコンの開発に当たって、当時の文部省と通産省が日本製OSのトロンを採用しようとしたのに対し、Microsoft等が猛然とクレームして遂に断念させた事については、トロン贔屓の日本人の一部には、今でも「米国の横暴」をなじる向きが多いのですが、当時Microsoft等が問題にしたのは、これが国家プロジェクトだったからであり、民間の会社が自らの意志でトロンを採用するのなら文句を言う筋合いは全くなかったとしています。

(「トロンの採用は、経済的、技術的合理性を欠いた単なる『国産技術振興策』であり、日本のTax Payerの合意が得られているかどうかも疑わしい」というのが、当時のMicrosoft等の言い分でした。また、仮に当初の文部省・通産省の思惑がそのまま通っていたとしても、これを機に、トロンがパソコン用のOSとして世界市場で市民権を得られたとはとても思えず、却って日本人の平均的なコンピューター・リテラシーを後退させていた可能性があります。)

通信の関係では、「NTTとそれに追随する事業者の壁に阻まれて、Motorolaが誇るTACSという優れた技術がDDI(当時)にしか採用されず、この為、東京と名古屋を含む日本の主要都市への浸透を阻まれている」とMotorolaがクレームし、「政治圧力」によって日本移動通信(トヨタ系)がその採用を「強要」されたということが、1990年代の初めに起こりました。

これについては、「米国の横暴」と「日本政府の弱腰」を詰る声が特に強かったのですが、当時の裏話をよく聞いて見ると、Motorola1側も決してこんな無茶なことを力づくで押し通そうとしたわけではなく、その背景として、「日本の通信事業者の生殺与奪は日本政府が完全に握っているのだから、何でも自分達に任せなさい」という事を、別の局面で日本政府の高官自身がMotorolaに伝えていた事があったようです。

日本の第3世代携帯通信の事業免許がおりるにあたっては、当時クアルコムの日本法人の社長だった私は、「あらかじめ決められていた路線」に異議を唱え、自ら事業免許を求める事を宣言して世の中を騒がせたわけですが、その時にUSTRにも接触した事から、私が「外圧」を使って強引に事を運ぼうとしているのではないかと疑った人もいたようです。しかし、私がUSTRに求めたのは、「ビューティーコンテスト(入札によらない免許付与)のプロセスが公明正大に行われように監視していて欲しい」という事だけで、それ以上の支援は何も求めませんでした。これは、当事者の私自身が申し上げていることですから間違いありません。

こと程左様に、「外圧」というものも、必ずしも一部の日本人が誤解しているような恫喝的なものではなく、あくまで「手続きの透明性」「内外無差別」「技術的中立性」など、一般通念として国際的に認められているものの履行を「念押しする」という性格が強いのです。私はインサイダーでしたからよく知っているのですが、その国の人達(利用者)から支持を受ける可能性が乏しければ、米国政府は安易に「外圧」と目されるような行為には出ません。

(ちなみに、欧州の人達は、米国人のような単刀直入の物言いに慣れていませんので、「外圧」といったニュアンスを感じさせるようなことはあまりしないようです。思えば、江戸末期に起こった事も、この違いを如実に示しています。長年にわたり「植民地からの収奪」をやってきた英国やフランス、それにロシアなどは、老獪な手段で内部分裂を誘い、それに乗じてその国を自国の影響下に置くやり方をしていましたが、経験に乏しい米国は、いきなり軍艦四隻で江戸の近海まで入りこみ、ペリー提督がずかずかと上陸しました。)

しかし、その様な「外圧」も、最近では殆ど話題になる事はありません。一つには、日本における種々のプロセスが、かなり透明性を増してきており、あからさまな内外差別もなくなってきている事もありますが、もう一つには、日本の市場としての価値が、以前ほど注目されなくなってきている事もあるでしょう。

ジャパン・パッシングは今や常識です。以前は、先ず日本に来て、「ものづくり」に協力してくれるパートナーを探すのが常だった米国のベンチャー企業なども、最近は日本には目もくれず、台湾、中国、更にはインドにまで足を運びます。日本が「閉鎖的でわかりにくい」ことは昔も今も一緒ですが、今は、「市場価値」も比較的小さくなる一方で、開発・製造のパートナーとしての魅力は、殆どなくなってしまったのです。

そんな中で、在日米国商工会議所(ACCJ)が、数ヶ月前に、「インターネットエコノミー白書(PDF)」と題する提言書をまとめ、日本政府の各部局にも提出しました。内容は、「どうすれば日本のICT産業が活性化するか」ということであり、「基本原則」「政策や規制面での主要課題」「利活用に際しての課題と経済的機会」「日米間の対話に向けた提案」の4章からなっています。

この白書の第2章の第2項目では、「NTTのあり方」について言及されているので、NTTは若干神経質になっているかもしれませんが、我々から見ると「常識的な提言」に過ぎず、かつてのような「外圧」を感じさせるところは全くありません。その中に含まれた「ACCJとしての提言」の論旨も、「米国の製品を売る為には、こうなる事が必要」という直接的なものではなく、「こうすれば、日本のICT市場が活性化する(結果として米国の製品も何がしかは売れるかも)」というニュアンスです。

この提言書は、慶応大学の金正勲先生が中心になり、マイクロソフト、インテルを始めとする日本在住の米国企業のスタッフ(その多くは日本人で、女性が多いのが印象的です)が、タスクフォースを作ってまとめたもののようですが、米国企業がここまで日本の事を考えてくれているのに、日本企業からはこういう提言書の類があまり出されていない事に、私は若干忸怩たるものを感じました。(やはり、いつもながらの「しがらみ」と「遠慮」があるのでしょうか?)

ところが、この提言書作成に関与した何人かの日本人と話してみて、私は彼等にはもう一つの思い入れもあった事を知りました。それは、「日本で受けられるICTサービスがもう少し安くなれば、アジア統括オフィスとしての日本の立地条件を失わずに済むかもしれない」という思いです。

かつての日本はアジアでは飛びぬけた工業先進国で、アジアの東の玄関口である日本に「アジア太平洋地域の統括オフィス」や研究所を持つ企業が多かったのですが、その後、「万事にコストが高い」「英語の出来るスタッフが雇いにくい」「空港が不便」「分かりにくい規制が色々ある」などの理由で、その地位は低下してきました。一番便利なのは香港、続いて、「インドまでカバーする地の利がある」という理由で、シンガポールが定番になったのですが、最近は「最大の市場である中国の北京か上海に統括オフィスを持ち、そこから日本や韓国を含めたアジア全域を監督する」ことを考える企業も多くなったようです。ですから、外国企業の日本人スタッフが危機感を募らせるのも、理解できるような気がします。

考えてみればICTは各企業の神経中枢ですから、統括オフィスの立地条件としては欠かせない要素の一つです。思い出してみると、私が伊藤忠の下っ端社員だった頃、中近東情勢が不穏になり、それまで中近東を統括するオフィスがあったベイルート支店(レバノン)を撤収しなければならなくなりました。私は、当然新しい統括オフィスはエジプトのカイロだと思っていたのですが、湾岸の小さな出張所に過ぎなかったクエートやバハーレンが候補として浮上してきたので、びっくりした事を思い出します。その理由は唯一つ、「通信サービスが安定していて、且つ安価」ということだけでした。

日本でICTの仕事に携わっている我々としては、その勤め先が日本企業であれ、外国企業であれ、「ICT環境としては日本が世界一だ」と胸を張れる日がくる事こそが、最大の目標でありますし、それは、そのまま、日本の重要な国家目標の一つとしてもおかしくないものだと思っています。

そして、やり方次第では、これは決して出来ない事ではないとも思っています。但し、現在のように、この業界の多くのプレーヤーから覇気が失われ、既存のビジネスモデルや既得権の保持だけに汲々としているようでは、これは夢のまた夢におわるでしょう。実際に仕事をしている人達が中心になって、勇気を出して本音を語り、何とかして状況を変えていきたいものです。