あるブログに私の日本消費者金融市場に関する認識が「誤解」だと指摘する記事があることを、磯崎さんのTwitterでの書き込みで教えてもらった。私も学者の端くれだから、誤解だといわれると、本当に誤りであれば認めて訂正するか、本当は誤りでなければ反論する義務がある。もちろん、いい加減なコメントとかであれば無視するが、まあまあまともそうなブログの記事なので、対応することにしよう。もちろん、反論である。
この記事の趣旨は、略奪的な貸し付けに引っかかるような人たちだけで、「15兆円近くの借り入れが発生していた」はずはなく、多くの「きわめて合理的な借入行動」があったとみるべきだというものである。しかし、そこで紹介されているような「きわめて合理的な借入行動」による残高というのはどの程度のものになるのか?
例えば、給料日前に1週間、2万円を毎月借り入れるということをしても、
2万円×7日×12÷365日=約4600円
の年間平均残高にしかならない。1年中2万円借り続けているわけではないから、年間の平残は2万円よりも低くなる。そうした行動を2000万人がとったとしても、
約4600円×2000万=約920億円
である。残高は、1000億円にもならない。
換言すると、本当に「短期、かつ小額の利用者」ばかりだとすると、「15兆円近くの借り入れが発生した」となるためには、30億人くらいがそうした利用の仕方をしていたはずだという計算になる。毎月、給料日前に金がなくなるという生活をすることが合理的かどうかははなはだ疑問ではあるが、それを脇に置いたとしても、基本的な数字の桁が少なくとも2桁は違っていて、話としての辻褄が全く合っていない。
短期かつ少額の利用であれば、高金利でも、利用者の負担は大したことはないというのは、年間平均の残高に換算すると、こんなに少額だからである。こうした利用ばかりだと、利用者の負担が大したことがないことの見合いとして、貸金業者の収入も大したことはない。一時、貸金業界は他の業界から羨まれるような高収益を上げていたが、そんな高収益が「短期、かつ小額の利用者」からでは生じ得ないことは、ちょっと数字を確認すれば分かることである。
この意味で、かりに「短期、かつ小額の利用者が今までの利用者の相当数を占めていた」としても(すなわち、その頭数が多かったとしても)、そうした利用者は、従来の日本の貸金業のビジネスモデルにおいては意義の乏しい(insignificantな)存在に過ぎない。残高にも、貸金業者の収益にも、ほとんど何の貢献もしていないと考えられるからである。換言すると、当該の記事が主張しているのとは正反対で、まとまった数の長期かつ多額の利用者がいたとしない限り、「15兆円近くの借り入れが発生した」とは考えられないのである。
実際の消費者向け無担保貸し付けの1件あたりの残高は、大手業者で57万円ほどだと報告されている(一人の利用者が複数の業者に渡って複数件の借り入れをしている場合があるので、1人あたりだともっと大きな数字にあるとみられるが、ここでは立ち入らない)。これだけの残高になる「短期、かつ小額の利用」方法というのは、形容矛盾であり、存在しない。したがって、少し譲って、賢くうまく消費者金融を利用している消費者は少なくないとしても、そうした利用が代表的、中心的あるいは典型的なものだと考えるのは、全く事実に反している。
平均が57万円で、一方で「きわめて合理的な借入行動」をとる者が本当に「相当数」いるのであれば、他方に数百万円とかの借り入れを長期間繰り替えしている者も相当数いなければならない。しかし、例えば300万円とかを20%を超える高金利で借りてしまうと、利払いだけで月々5万円以上ということになって、大変な負担となる。しかも、月々5万円以上の金利を払い続けても、いつまで経っても残高は減らない。
こうした現実的事態があるから、過剰貸し付けだといわれるわけである。過剰貸し付けというのを、経済学の専門用語で表現すると「略奪的貸し付け(predatory lending)」ということになる。なかには消費者金融を賢くうまく使っている者もいることは全く否定しないが、そのことは、当該の記事が示唆しているのとは異なって、過剰貸し付けが限定的な規模の現象であることを意味するものではない。
短期かつ少額の利用ニーズに応える消費者金融は望ましいものであるし、そうした内容のものとして日本の消費者金融業が健全に発展することを私も期待している。しかし、そうしたニーズを中心とする限り、既述のことから、消費者金融市場の規模は高々数千億円程度の残高のもので十分だということになる。すなわち、ピークの規模の40〜50分の1程度でも、十分過ぎるということになる。
また、短期かつ少額の利用ニーズに応えるということである限り、改正貸金業で導入される総量規制が問題になるはずがない。年収の3分の1を超えないという規制が縛りになるという事態の方が、異常というしかない。短期かつ少額の利用ニーズにのみ応えている限り、規制上限は有名無実の(頭がつかえるはずのない)高い天井でしかないはずである。このまま6月に改正貸金業法を完全施行すると混乱が生じかねないと言われるのは、過半の利用者の借入残高が年収の3分の1を超えていると推定されるからであり、日本の消費者金融の実態は長期かつ多額がむしろ中心的である。
金利上限規制に関しては、短期かつ少額の場合でも固定経費がかかるので、微妙な論点がある。ただし、現状でも自ら進んで最初の1週間だけの利用であればゼロ金利にしている業者も少なくないので、金利上限が下がると短期かつ少額でも貸せなくなると貸金業者が主張するのはどういうことか。せいぜい、(平均固定費用の高い)零細業者は淘汰を余儀なくされ、(それが低い)大手業者しか生き残れないということではないかと思われる。もしそうなっても、上記の必要規模を下回ることは考えがたい。
要するに、改正貸金業法は、短期かつ少額の利用ニーズに応える消費者金融の阻害になるものでは全くなく、むしろその健全な発展のための制度基盤を整備しようとするものである。この法によって抑止されるのは、問題の多い、長期かつ多額の利用である(個人企業の運転つなぎ資金需要は、短期だが、個人所得対比では多額なるので制約を受ける可能性がある。しかし、これは運用上の対応で善処可能な問題である)。
例えば、給料日前に1週間、2万円を毎月借り入れるということをしても、
2万円×7日×12÷365日=約4600円
の年間平均残高にしかならない。1年中2万円借り続けているわけではないから、年間の平残は2万円よりも低くなる。そうした行動を2000万人がとったとしても、
約4600円×2000万=約920億円
である。残高は、1000億円にもならない。
換言すると、本当に「短期、かつ小額の利用者」ばかりだとすると、「15兆円近くの借り入れが発生した」となるためには、30億人くらいがそうした利用の仕方をしていたはずだという計算になる。毎月、給料日前に金がなくなるという生活をすることが合理的かどうかははなはだ疑問ではあるが、それを脇に置いたとしても、基本的な数字の桁が少なくとも2桁は違っていて、話としての辻褄が全く合っていない。
短期かつ少額の利用であれば、高金利でも、利用者の負担は大したことはないというのは、年間平均の残高に換算すると、こんなに少額だからである。こうした利用ばかりだと、利用者の負担が大したことがないことの見合いとして、貸金業者の収入も大したことはない。一時、貸金業界は他の業界から羨まれるような高収益を上げていたが、そんな高収益が「短期、かつ小額の利用者」からでは生じ得ないことは、ちょっと数字を確認すれば分かることである。
この意味で、かりに「短期、かつ小額の利用者が今までの利用者の相当数を占めていた」としても(すなわち、その頭数が多かったとしても)、そうした利用者は、従来の日本の貸金業のビジネスモデルにおいては意義の乏しい(insignificantな)存在に過ぎない。残高にも、貸金業者の収益にも、ほとんど何の貢献もしていないと考えられるからである。換言すると、当該の記事が主張しているのとは正反対で、まとまった数の長期かつ多額の利用者がいたとしない限り、「15兆円近くの借り入れが発生した」とは考えられないのである。
実際の消費者向け無担保貸し付けの1件あたりの残高は、大手業者で57万円ほどだと報告されている(一人の利用者が複数の業者に渡って複数件の借り入れをしている場合があるので、1人あたりだともっと大きな数字にあるとみられるが、ここでは立ち入らない)。これだけの残高になる「短期、かつ小額の利用」方法というのは、形容矛盾であり、存在しない。したがって、少し譲って、賢くうまく消費者金融を利用している消費者は少なくないとしても、そうした利用が代表的、中心的あるいは典型的なものだと考えるのは、全く事実に反している。
平均が57万円で、一方で「きわめて合理的な借入行動」をとる者が本当に「相当数」いるのであれば、他方に数百万円とかの借り入れを長期間繰り替えしている者も相当数いなければならない。しかし、例えば300万円とかを20%を超える高金利で借りてしまうと、利払いだけで月々5万円以上ということになって、大変な負担となる。しかも、月々5万円以上の金利を払い続けても、いつまで経っても残高は減らない。
こうした現実的事態があるから、過剰貸し付けだといわれるわけである。過剰貸し付けというのを、経済学の専門用語で表現すると「略奪的貸し付け(predatory lending)」ということになる。なかには消費者金融を賢くうまく使っている者もいることは全く否定しないが、そのことは、当該の記事が示唆しているのとは異なって、過剰貸し付けが限定的な規模の現象であることを意味するものではない。
短期かつ少額の利用ニーズに応える消費者金融は望ましいものであるし、そうした内容のものとして日本の消費者金融業が健全に発展することを私も期待している。しかし、そうしたニーズを中心とする限り、既述のことから、消費者金融市場の規模は高々数千億円程度の残高のもので十分だということになる。すなわち、ピークの規模の40〜50分の1程度でも、十分過ぎるということになる。
また、短期かつ少額の利用ニーズに応えるということである限り、改正貸金業で導入される総量規制が問題になるはずがない。年収の3分の1を超えないという規制が縛りになるという事態の方が、異常というしかない。短期かつ少額の利用ニーズにのみ応えている限り、規制上限は有名無実の(頭がつかえるはずのない)高い天井でしかないはずである。このまま6月に改正貸金業法を完全施行すると混乱が生じかねないと言われるのは、過半の利用者の借入残高が年収の3分の1を超えていると推定されるからであり、日本の消費者金融の実態は長期かつ多額がむしろ中心的である。
金利上限規制に関しては、短期かつ少額の場合でも固定経費がかかるので、微妙な論点がある。ただし、現状でも自ら進んで最初の1週間だけの利用であればゼロ金利にしている業者も少なくないので、金利上限が下がると短期かつ少額でも貸せなくなると貸金業者が主張するのはどういうことか。せいぜい、(平均固定費用の高い)零細業者は淘汰を余儀なくされ、(それが低い)大手業者しか生き残れないということではないかと思われる。もしそうなっても、上記の必要規模を下回ることは考えがたい。
要するに、改正貸金業法は、短期かつ少額の利用ニーズに応える消費者金融の阻害になるものでは全くなく、むしろその健全な発展のための制度基盤を整備しようとするものである。この法によって抑止されるのは、問題の多い、長期かつ多額の利用である(個人企業の運転つなぎ資金需要は、短期だが、個人所得対比では多額なるので制約を受ける可能性がある。しかし、これは運用上の対応で善処可能な問題である)。


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