「ゆとり」とはなんだったのか - 赤沢良太

蹴活の場でも、「ゆとり世代」の「浅いコミュニケーション」「いわれたことしかできない」「失敗を極端に恐れる」といった特徴が話題になっているが、あらためて、その由来といわれる「ゆとり教育」について考えてみたい。


学力低下は、1971年の学習指導要領の改定から始まっていた。それまで小学校の高学年で学んでいたことを低学年におろすということを行った。これにより、大量の落ちこぼれを生み、校内暴力が頻発し、社会問題となった。マスコミや日教組、財界からも「つめこみ教育」だという批判がなされたが、これに全く異なった処方箋で対応した。すなわち、「生きる力」という抽象的な概念を持ちだし、これが足りなくなったことが荒れの根本原因だとして、基礎演算練習の軽視はそのままに、道徳教育の重視、「理解」を重視した学習への転換によって、落ちこぼれ問題に対応できると考えた。1990年代に入ると、「新学力観」の名のもとにその動きは加速、さらに絶対的な授業時間数減が加わった。つまり、あまり詰め込みすぎたのが問題だったので、「ゆとり」を持って時間数も減らし、内容もやさしくしましょう、ということになった。これによって、九九などの加減乗除の基礎練習の時間はますますとれなくなり、多くの子どもたちが習熟不足のまま、進級していくという事態が生じたのである。

そして、「ゆとり教育」のもう一つの問題は、巷間知られている教える内容の削減よりも、以下のような授業観の変化が大きいと筆者は考える。現在までの教科学習、とくに算数・数学では、「問題解決型学習授業」が文科省の公の方針である。台形の面積を出す場合等、公式を覚えて、練習問題を解いて理解・習熟を図るといった姿勢は、望ましくないことになっている。クラス全員で「こうすれば簡単に求められるんじゃない」「いや、こんな解法もあるよ」といった討論を重ね、みんなが知恵をしぼった結果、公式で解答できるという結論に至る。こういった授業が「よい授業」とされている。しかし、毎時間このような授業をやっていては、問題などといている時間はない。だから、塾で練習問題を解いている者とそうでない者で、学力は二極分化している。このような授業は、格好もよく知的に見える。文科省はそのような感動的な授業を広めたかったのだろう。が、一部の国立大学付属のような学力の子どもたちでないと、成立しえないレベルの高い授業である。また、この授業スタイルは、教師の圧倒的な技量も必要である。すべての教師にそれを要求するのは非現実であろう。なにより、普通の子どもたちの学力というのは、練習問題の徹底反復が基礎になるのではないだろうか。

このような問題解決学習というのは、公立学校の実状にそぐわないのだが、文科省の推奨するこの方法を、現場の教員は真面目に行い、結果、単純な演算等の基礎基本軽視へとつながり、ひいては「分数のできない大学生」に至ったのではないだろうか。蛇足ながら、公立学校の教師は、文科省の方針には面従腹背だが、自分の子どもには塾に通わせ私立に行かせるということになんら葛藤はないように見える。

また、今後の指導要領は、脱「ゆとり教育」を志向しているが、もっとも特徴的なのは、算数の指導量の増加・難化である。スパイラル学習という言葉で説明されているが、重要なことは反復学習が必要なので、低学年に教材を前倒して指導しようという考え方である。私立の学校や塾では、これらは基礎基本としてすでに指導がされており、格差は依然残される。どうしてこうなったか、どうすればいいか。今の過渡期に、考えておく必要があるだろう。対策がないままこれが進むと、不登校の急増という結果になって跳ね返る。そして、ゆとり教育を主張した人々の逆襲が始まり、改革が遅れるというシナリオになっていくだろう。
赤沢 良太 (一級建築士)

コメント

  1. armedlovepower より:

    教育方にかぎらず、なんでもかんでもある一つのやり方が正解にちがいないと思い込んでいる意識が問題です。
    人は多種多様にもかかわらず、みんないっしょで、一つのやり方を求めつづけるという愚かな国民性は、コレ一錠で解決する典型的な商品、たとえばタミフルとか覚醒剤の(世界標準と比較した)消費量が(おそらく)証明していると思います。

  2. i8051 より:

    つめこみ教育的学力は、画一的な大量生産時代の労働者に求められる能力ではあったかもしれませんが、中国等と同じフィールドで競争していくのではないとしたら、今後はどうなんでしょう。従来、日本人は自分の頭で考えない、独創性がない、自発性がない(自発的動機で大学に入ってないから大学生はやる気がない)と言われて来たわけですが、この20年の停滞の一因は、つめこみ教育の代償ともいえるこの日本人の自発性の欠如のような気もしますが。そも意味では、私はゆとり教育は少なくとも理念的には正しかったと考えています。

  3. iseeker より:

    ゆとり教育は理念的には正しかったとしても、実効性に乏しかったということでしょう。「つめこみ教育=過度な競争」という判断の反動で、「ゆとり教育=競争の排除」として運用が行われたのが、ゆとり教育失敗の原因だと思います。多様性を考えるなら、飛び級などをもっと積極的に取り入れるなど、優秀な人材をどんどん伸ばす教育も必要です。下にあわせる教育より、上を引き上げることを考えた方が、全体としてはレベルアップが図れると思います。

  4. showjishowji より:

    「クラス全員で「こうすれば簡単に求められるんじゃない」「いや、こんな解法もあるよ」といった討論を重ね、みんなが知恵をしぼった結果、公式で解答できるという結論に至る。こういった授業が「よい授業」とされている。」
    私は所謂ゆとり世代で、普通教育は全て公立で受けましたが、こんな授業は受けたことがないです。
    この授業はいったいどの程度行われていたのですか?それとも、文部科学省が掲げた理想だから多くの学校で行われていたという仮説でしょうか?