3.9+5.1=9.0は、不正解である

中沢 良平

姪っ子の小3算数テストで、3.9+5.1=9.0を不正解にされたという写真がTwitterに投稿されて話題になっている。

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茂木健一郎氏は、つねづね小学校の算数教育への懸念を示している。

かけ算の順序、足し算の順序、という「問題」があって、2x3=6は正解だが、3x2=6は不正解、同じように2+3=5は正解だが、3+2=5は不正解、という「世界」があるのだという。詳細はアホらしいので書かないが、もし興味がある方は検索してみて欲しい。

ここでいう「2x3=6は正解だが、3x2=6は不正解」というのは、「みかんが1袋に2こはいっていました。3袋でいくつになりますか。」とか聞かれた場合に「1あたりの量」×「いくつ分」=「総量」という式に当てはめて立式しなければならないということ(らしいの)のだ。

文章題において掛け算の順番などどちらでも良いと主張すること=掛け算の意味を理解していないということになるのである。

しかし、教員の視点からすると、これは別の理由で譲れない点だ。なぜなら、教員は、学力という「結果」よりも、教員の指示通りに解答していないという「プロセス」に重きを置くものなのだ。

こういった点を擁護する理屈もあるにはあるが、ためにする議論である。

とにかく、学校は「プロセス」重視なのだ。ここで不正解になったのは、教員に言われたとおりにやっていない、ということが最大の理由である。教員は、学力向上など求められていない。学力などという「結果」を教員も学校も(場合によっては世間も)求めていないのだ。

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小学校の教室には、だいたいこんな掲示がかかげられている。当たり前のような標語だが、これが意外と曲者なのである。つまり、授業がどんなにつまらなかろうが、わからなかろうが、わかりきっていようが、こういった態度で臨むことが望ましいし、こうした態度をさせられる教師が学力とは関係なく優秀な教員であろうし、これができない教員は不適格教員にされてしまう。

わかりきっている子どもが、ノートに落書きをしていようものなら、その授業は失敗の烙印をおされてしまいかねない。もちろんノートも黒板通りに記録しないと教師に叱責されてしまう。わたしがヘンだなと思うのは、この標語が授業の「前提」ではなく、「目的」になっているということだ。

おそらく、10年、20年前と比べてこの「プロセス」重視はさらに進み、小中学校は茂木健一郎氏のような天才・奇人が生きづらい社会になってしまった。発達障害に認定される子どもが激増したのも、これが理由のひとつだと大いに疑っている。わたしが常々申し上げている、日本の教育問題は学力問題ではないということに同意してくれる人は、いないものだろうか。