クロアチアが誇る「ネクタイの話」

長谷川 良

第21回サッカー・ワールドカップ(W杯)ロシア大会は15日、フランスとクロアチアの間で決勝戦が行われた。32カ国からチームが参加し、64試合の熱戦を繰り広げてきたW杯ロシア大会は多くのドラマを生み出し、閉幕した。このコラムが読者の目に届く頃には優勝チームは決まっている。

試合前、どちらを応援しているのか、と聞かれて答えるのは厄介だった。フランスの友人を失いたくないから、「クロアチアを応援している」とは答えられない。一方、ブックメーカーの大方の予想のように、「フランスが有利ですね」とは答えにくい。強靭で暴れん坊なクロアチア人の性格を思い出すと、「クロアチア人を敵としない方が無難だな」といった官僚的な計算が働く、といった具合だった。

正直言えば、当方はクロアチアが優勝すればいいと考えていた。なぜ?。当方が住んでいるオーストリアに地理的にも近いうえ、周辺にクロアチア人が多いこともあるが、それ以上に、バルカン出身者の活き活きとした生活スタイルが好きだからだ。

以下、W杯の決勝戦の結果とは別に、クロアチア人が誇る「ネクタイの話」を紹介したい。猛暑と大雨に襲われた日本人からは、「この時にネクタイの話とは」と言われるもしれない。タイミングが悪いことは知っている。ネクタイを着けている男性がいたら、それを外して「ネクタイの話」を聞いて頂きたい。男性ファッションで不可欠なネクタイが実はクロアチアで誕生したのだ。

首都ザグレブにあるネクタイ店(Susan Harbach/flickr:編集部)

クロアチアの伝聞によれば、17世紀の30年戦争(1618~48年)の時、遠い戦地に行く男性にクロアチアの若い女性たちが愛をこめて男性の首に布を巻いた。「どうか私がいることを忘れないで」という願いが込められた印だという。すなわち、「私の愛は戦争より強い」という女性たちのメッセージが込められていたわけだ。

フランス軍と共に戦ったクロアチアのエリート騎兵隊が1635年、フランス国王ルイ13世(在位1610~43年)を謁見した時、日頃からファッションに凝っていた国王はクロアチア兵士の首に巻いた布のセンスの良さに感動し、その由来を聞いた。その後、ネクタイはフランス皇室関係者のファッションとなって広がっていった。クロアチアで“cravate“ と呼ばれたネクタイは「愛のシンボル」として生まれたわけだ。その後、フランス亡命中のチャールズ2世(1630~85年)が英国に戻った後ネクタイを伝えたことから、ネクタイは短期間で欧州全土に広がっていった。

世界の男性のファッションで無視できないネクタイがあのクロアチアで生まれたわけだ。多くのクロアチア国民はその伝聞を知っているし、誇りに感じている。クロアチア議会は2008年、10月18日を正式に「ネクタイの日」と指定しているほどだ。

日本では小泉純一郎政権のクール・ビズ、節エネルギー対策以来、ノー・ネクタイで閣僚会議が開かれることも増えた。夏のシーズンはノー・ネクタイで職務をこなすケースが多くなったが、重要な商談の時、洗礼式、結婚式といった公式の場では依然、ネクタイは不可欠だ。

クロアチアはローマ・カトリック教国で、人口はオーストリアの半分で約450万人だ。首都ザグレブはオーストリア南部ケルンテン州の雰囲気が漂っている。アドリア海に出れば、欧州人が愛する夏のリゾート地だ。海水浴を楽しむ人々で溢れる。民族色が強い点はセルビア人と似ているが、その言動はセルビア人より保守的だ。

日本の男性諸君は一度ネクタイの発祥の地を訪問されたら如何だろうか。クロアチア女性たちがネクタイに込めた愛の願いを感じ取ることができれば、ネクタイの価値を再認識できるかもしれない。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年7月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。